木村ゆうこ物語
STORY 1
皆で協力して成し遂げる
昭和46年8月31日、三人兄弟の長女として長崎にて誕生。
幼い頃は引っ込み思案でおとなしい性格でした。
歌うことが好きだった木村ゆうこは、小学生~高校生までコーラス部に所属。
皆で協力して成し遂げる素晴らしさ、表現する楽しさを経験した木村ゆうこは、両親の教えを守り、勉学にも熱心に励む素直な少女でした。
STORY 2
看護師を目指す
8歳の頃、働き盛りだった父親が腎不全にかかり、入退院を繰り返すように。幼かった木村ゆうこも必死で父の回復を祈りますが、46歳という若さで亡くなってしまいました。
その時、父の闘病生活を支える母や医療関係者の温かい看護をみて、「私も苦しんでいる人たちのお役に立ちたい」と思うように。
これがきっかけとなり看護師を目指すことになります。
STORY 3
役に立てる自分が嬉しかった
木村ゆうこには脳性小児麻痺で障がいをもつ兄がいます。
仕事で忙しい母に代わり、身の回りのお世話を手伝うこともありました。
「大変だと思うことはあっても嫌だと思うことはありませんでした。むしろ役に立てる自分が嬉しかった。兄がいたからこそ、人の役に立つ道に進もうと強く思うことが出来たのだと思います」と。
ここに〈人の痛みが分かる〉木村ゆうこの原点があります。
STORY 4
母の目線・女性の目線で
看護学校を卒業後、長崎市内の大学病院へ就職。
患者さんに対し、少しでも状態が良くなるようにと心を込めて勤務をしてきました。
その後、木村ゆうこは結婚を機に粕屋町へと移住。
これまでの看護師の経験や子育てを通じ、福祉に強い町づくりの重要性を実感しています。