公明党広報局
公明党広報
外部リンク
サイト管理者
門真市 内海武寿
utsumi@komeikadoma.com

Archive for 2012年 8月

8月25日(土)第6回子ども議会が午前10時より本館3階の議場で開催されました。

開催にあたり事前に参加者の募集が行われ、参加希望者は原稿用紙に市に関するテーマをきめ自身の意見を提出し、小学生5年生~6年生の29名が子ども議員になりました。当日までに2回の事前学習を行い本番にのぞみました。

5つのテーマにそってグループごとに質問を行いました。

質問は、

①まちづくりについて

 ・防災を有した公園はあるのか

 ・ボールを使える公園を作って欲しい等

②福祉について

 ・障がい者福祉について

 ・高齢者や障がい者のことについて、子どもが学べる場を作って欲しい等

③門真の安全・安心について

 ・カーブミラーやガードレールはすぐに設置できるのか。すぐに修理できるのか。

 ・犯罪を減らす取り組みについて等

④環境問題について

 ・ゴミの問題。ポイ捨てなどの禁止について等

⑤教育と文化について

 ・学校が楽しくなるためには。

 ・門真の歴史について等

以上について子ども議員から質問があり、全ての質問に園部市長が丁寧に答えていました。

子どもの質問に対して、大人がきちんと誠実に答えることは、大変に大切だと感じました。

子ども議会は2年に一度開催され、2年後には、現在の3年生と4年生で子ども議会が行われます。

                 質問に答える園部市長

8月23日、市の環境対策課を中心に午後4:30から京阪古川橋駅南側ロータリー、午後5:15から市役所庁舎前で、「打ち水でまちを涼しく、元気に」をテーマに打ち水が行われました。

当日は、最高気温が35℃と大変熱い中、バケツとひしゃくを40セット、水を500ℓ用意され、市民の皆さんも参加しヒートアイランド対策の一環として打ち水の効果を実感してもらう機会として行われました。。今夏も35℃以上の酷暑日が何日もあり、その中で、省エネや節電が注目されています。まだまだ暑い日が続くと思いますが、熱中症等十分に気を付けていきましょう。

8月15日、戦後67回目の終戦記念日を向かえました。先の大戦で犠牲となられました方々に謹んで哀悼の意を表するとともに、ご遺族並びに戦傷病者の皆様に心からお見舞い申し上げます。

8月15日の終戦記念日は、戦争で犠牲になられた方々に深い祈りを捧げ、「不戦への誓い」「平和への誓い」を新たにする日ではないでしょうか。特に唯一の被爆国である日本にとって、核兵器廃絶は重要な課題だと考えます。公明党は、2015年の「核廃絶サミット」開催と、2020年までに「核兵器禁止条約」の締結を提唱しています。非核三原則である、核兵器を「もたず、つくらず、もちこませず」を堅持し、日本が先頭に立ってリーダーシップを発揮すべきだと考えます。

8月14日の早朝に、集中豪雨が発生し、門真全域で床下浸水、床上浸水や道路冠水が発生しました。落雷も3か所発生し(自身で確認できたもの)停電状態の中、水を吸い上げるポンプが動かせない状態になっていました。朝の7時過ぎには、消防にも連絡がつかず、かろうじて警察には連絡がつきましたが、人が足らず現場にすぐに急行することができない状態でした。私自身も、朝から地域と役所の往復であっという間に一日が終わってしまいました。最近は、温暖化の影響か想定外の雨量が発生しているように感じられます。今後、市全域を対象に対策を講じていかなければいけないと感じました。

                    豪雨で浮き上がった遊歩道

明治5年8月11日、堺県茨田群門真一番下村(現在の門真市一番町一番地)で幣原喜重郎(しではらきじゅうろう)が生誕しました。明治11年に新設された門真小学校に入学し、大阪中学校、東京帝国大学へと進みました。

明治29年に外交官試験に合格し外務省に入省。外交官として活躍しました。

昭和20年8月15日終戦、その年、天皇から内閣総理大臣の任命を受け、喜重郎が74歳で第44代内閣総理大臣に就任しました。

そして、連合国の占領下でマッカサ―から日本に憲法改正を求められ、兄の坦(たいら)の協力を得て、松本国務相と共に改正憲法草案の作成に傾注しました

昭和21年、幣原内閣が総辞職後、吉田内閣で喜重郎は、国務大臣として入閣し、11月3日に「日本国憲法」が公布、翌年5月3日に施行され、喜重郎は「日本国憲法」に大きく関わりました。

そして、衆院議長などを就任して、昭和26年3月10日に80歳の人生を終えました。

改めて、門真市にも素晴らしい偉人がいたんだと感じました。

       幣原兄弟の碑(門真市一番町)

今日、8月9日は長崎に原爆が投下されて67年。そして、「長崎原爆の日」である。

「8月9日」は問いかける。広島に投下された原爆はウラン型、長崎はプルトニウム型である。なぜ2度も原爆が投下されたのか?

なぜ、長崎までも・・・

長崎で被爆した体験を取材すると、共通する証言が得られる。「朝から空襲警報が鳴った。しかし、すぐに警報が解除されたので、防空壕から外へ出た。その後、原爆が投下された」

原爆搭載機を含む米軍の爆撃機B29が、少数で来襲。それを偵察機と判断したためであった。だが、大本営参謀の備忘録によると、広島に原爆を投下したB29が発したものと同じコールサインを、長崎投下の5時間前、日本軍は傍受していた(「原爆投下」松下秀文・夜久恭裕共著、NHK出版)。2度目の投下を察知しながら、手をこまねいていたことになる。

原爆の歴史を知るほどに確信するのは、原爆とは、生命を奪う「権力の魔性」の産物にほかならないという事実である。核兵器廃絶への運動とは、人間の「魔性」を克服し、善性を開発する究極の人権闘争であると確信する。

8月6日は広島、9日は長崎が67回目の「原爆の日」を迎えます。日本は唯一の被爆国であるが故に、核兵器廃絶、核軍縮を訴える使命と責任と権利があると考えます。核兵器廃絶には、被爆者が一貫して発信してきた「核兵器は人道上許されない」とする思想を国際法の規範として確立する必要があると思います。

 昨年11月には国際赤十字・赤新月運動代表者会議が核兵器の非人道性を理由とする核廃絶決議を採択し、さらに今年5月に開催された次回再検討会議の第1回準備委員会でも、オーストラリアなど16ヶ国が「核軍縮の人道的側面に関する共同声明」を発表し、直接の犠牲者だけでなく世代を超えて苦しみを与え続ける核兵器の魔性を訴えています。

公明党は被爆者の意思を受け、2020年までの核兵器禁止条約の実現を訴えています。