市議会公明党では、加藤市長へ「ワクチン助成及び障がい者福祉に関する緊急要望」及び「教育施設等の安全とバリアフリーに関する緊急要望」を行いました。
加藤市長は、議会前の公務のお忙しい中、対応していただきました。
ワクチン助成及び障がい者福祉に関する緊急要望
1.市民の健康を守る予防ワクチン接種助成事業の
継続拡充
●ヒブワクチン・小児用肺炎球菌ワクチン・子宮頸
がん予防ワクチンの接種助成及び高齢者肺炎
球菌ワクチン接種助成の平成25年度継続実施
●おたふくかぜ・水痘(水ぼうそう)ワクチン予防
接種費用の一部助成
2.障がい者「児童デイサービスの設置」について
●特別支援学校及び特別支援学級に在籍している児童生徒の放課後等について、居場所
を確保
教育施設等の安全とバリアフリーに関する緊急要望
1.第一中学校裏門出入口のバリアフリー
2.第三中学校体育館の二階通路(キャットウォーク)への階段設置
3.子ども応援館入口前の歩道のバリアフリー
ヒブ・小児用肺炎球菌・子宮頸がん予防の3ワクチン接種助成は24年度までしか国の予算措置がなく、まだ来年度予算は見えない状況です。
せっかく開始した3ワクチンの接種助成なので、後退することがないように継続実施を要望。
また、おたふくかぜ・水痘(水ぼうそう)もいまだ任意接種だが、この2ワクチンについても助成している自治体もあるので、子育て・定住化の施策の一つとして要望しました。
今回の一般質問でも取り上げます。
2011年4月から運用開始となったジェイ・アラートによる緊急地震速報のテスト放送が行われ、防災サイレンで開始。
今年は福生第4小学校がメイン会場となり、6町会が集まっての発災型の訓練が行われました。
体育館では、家具転倒防止器具の紹介、応急救護についての訓練、東日本大震災のパネル展示、罹災証明の発行の申請についてなどの説明。
特に罹災証明申請は、地震で倒壊した場合は市役所、火災の場合は消防署へ申請するとの事は勉強になりました。
校庭では、起震車による体験、国土交通省のトラック
では土石流についての3D映写、煙体験などあり、その他、発災型と言う事で、自主防災組織が本部となり、そこで指示を出しての救助訓練、火災の消火活動、消防署・消防団・自主防災組織による放水、また屋上に取り残された方をはしご車での救助訓練などありました。
テントでは自衛隊の方による炊き出しでカレーを提供するなどもあり多くの団体が参加しました。
福生消防署長は、共助の部分が大事で、災害に備えて自治会内でよく話し合っておくことが大事だと好評がありました。
町会、市の職員を始め、消防署・消防団・警察・自衛隊・ボランティア等多くの皆様のおかげで総合訓練を行うことができました。
東京都本部議員総会が、新宿京王プラザホテルで行われました。
市川雄一 常任顧問から記念講演があり、活動報告、今後の取り組み等の後、山口那津男 代表から挨拶がありました。
市川顧問は、公明新聞の副編集長となった時、「政治の出来事をどう見たらよいか」「機関紙とは何か」公明党の考え方は、また読者は何を知りたいのか」など非常に悩んだとの事でした。
そのような中から、自分の頭で考える習慣をつける。考え続けることで自分の考えができる。考えることの重要性を言われていました。
どうしたらよいかと人に聞いてばかりいたら、自分の考え方は生まれないと強調されていました。
それは、市川顧問が、議員になってからも同じとの事でした。
国連の平和維持活動(PKO)協力法の成立から20周年、当時ある政党や一部のマスコミは国民の不安をあおってPKOへの自衛隊派遣を批判し続けました。
「日本が一国平和主義を貫くのではなく、世界平和のために国際貢献に乗り出すべきだ」とキャスティングボードを握る公明党がPKO協力法に賛成して成立したことは、世界の注目でした。そこに中心となる市川顧問がいらした事からも考える習慣をつけると言う事はとても納得できるお話でした。
また、自分と人と信頼関係を作っていく。人間としての力、人間としての魅力を磨いていくことが大事。
人間は人間に興味を持つ、地方議員は地域における外交官だとも言われていました。
そのほかにもいろいろ話され、40分の講演時間が延長となりましたが本当に良かったです。
また、引退されても議員当時と変わらない、市川顧問の鋭い目が印象的でした。
昭和40年代公害問題の時に、独学で勉強し、解決に奔走した議員の行動
。今年7月の九州での集中豪雨の時の国・県・市と議員が一体となっての行動が紹介されました。
どの時代も、どこへ行っても地方議員の地域へ密着し、ひたむきに活動していることに感動しました。
また、決意新たに頑張ってまいります。
今朝は福生駅東口でご挨拶しました。
昨夜は一緒に戦わせていただいた、偉大な先輩(56歳)の通夜でした。
三期12年間福生市議を務められ、私とは一緒に4年間やらせていただきましたが、先輩とは子どもが小さいころからのお付き合いでしたので、相当な年月になると思います。
受付けのお手伝いをさせていただきましたが、遺影の笑っている写真が先輩らしくとてもいい写真で、いろいろな事が思い出され、涙が出ました。
残念でなりません。
PTA会長から地域の事までいろいろ貢献されてきたこと、また人望・人柄、そのお付き合いの広さを伺わせるかのように、式場の外から斎場の外まで多くの弔問の方が見えられました。
また、告別式にも最後のお見送りまで、多くの方がいらっしゃいました。
心の中ではいつも一緒に戦っていこうと決意して、今日の駅頭挨拶でした。