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羽村市 西川美佐保
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Archive for the ‘家族.友人’ Category

ご近所の方との再会で

20245483_1101234910021251_7299184848295094614_n昨年、我が家の三軒どなりのご夫妻が、伊豆高原にお家を建てて引っ越しされました。

この地域は夫の会社の保養所があり、子供達が小さい頃から両親も含め夏に時々お世話になった懐かしい地域です。

今回、たまたま(夫の会社の)提携ホテルが抽選で当たり、色々な予定もありましたが、思い切って昨日から訪問を。

久々に訪ね、1年ぶりに、引っ越された以前ご近所だったHさんご夫妻にお会いしました。

         (Hさん宅の物置前にて)20228898_1101234886687920_4974269167925285052_n

20265114_1101234943354581_6796894740129552574_n「羽村を出て、初めてその地域がどんなに良い地域だったか分かった」と。

でも、お庭にはとても立派な家庭菜園で、素敵なお宅です。

間を忘れるほどお話しが弾みました。20264663_1101260943351981_7575709038537397572_n

昔の、大室山の噴火の際の溶岩が沢山あり、その土地のお庭を畑として作られるまでのご苦労には頭が下がりました。お世話になりありがとうございました。 ーーー夕方帰宅しました。

 

羽村市少年少女球技大会と 結婚式へ

19989566_1095525997258809_5894383207017003409_n朝8時、30度を超えこれまで経験がない程最高に暑い中で、羽村市少年少女球技大会の開会式へ。

子ども達が熱中症、怪我が無いようにそれだけを祈ったスタートでした。

関係者の皆さまのご努力に、心より感謝致します。大変お疲れ様でした〜。

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この後、今日は大切な用事があり、すぐに移動を。

20106549_1095539390590803_684297742897139589_nそれは午前中から午後にかけてフェイスブックで知り合ったMさんの結婚式にお招き頂き、出席させて頂きました。

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武蔵村山市での盛大な仏前での式典では谷村都議が代表でご挨拶を。そこでお会いした式典や御食事会で多くの方との心温まる交流と出会いに感謝致します。
大変おめでとうございました。

19989355_1095935630551179_8581768359576920942_n夕方帰宅し、広報委員会でやることになっていた町内会の写真撮りだけ2箇所廻らせて頂きました。

母の施設での演奏会

19958886_1093372207474188_5519965798383374059_n朝一番はラジオ体操へ。

今日は母の施設でバイオリンのコンサートが開催され、妹二人など親戚4名でお邪魔して、母と共に素晴らしい音色に心が癒されました。

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4名の奏者の中に、お父様が同施設にお世話になっているという方がおられ、昔音楽の教師だったと言うお父様は「ブラボー!」と車椅子で息子さんを応援され、心打たれました。19989619_1093372254140850_3446361057376043967_n

さて、首都圏の水瓶は、水位が過去最低値との事。九州北部 茨城など一極集中では無く、もっと日本全体に雨が降りますように。

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夕食のおかずの一品に、鶏のひき肉で作って見ましたが、意外と美味しかったです。

親友と 数年ぶりに

今日は午前中は立川での会合へ。

18057961_1038300252981384_5411354685319415047_nその帰り、お昼は八王子にお住まいの高校時代の親友と待ち合わせしました。

落ち着いた素敵なお店で久しぶりに高校時代に戻り「シュン」「美佐保ちゃん」の呼び名に。

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よく、私が「戦争にならないように」というと、友人は「人間は戦争する程バカじゃない」等、議論したものです。

そこに担任の先生が二人の間に入って、三人での対話になったり、懐かしく思い出したことも。

お互い、いい大人となったと感じる部分と、何十年も経っているのに変わらない面もあり気持ちがタイムスリップしたようでした。何でも語れる友人はとても大切です。

今日も沢山の話題で、議論、情報交換、楽しいひと時を大変お世話になりました。

ポータブル電子ドラム誕生!!

984013_1029837697160973_932413447401123154_n午前中は、会派での呼吸合わせと打ち合わせを。
午後から勉強会と終了後は、市民相談2件の対応、町内会の事、企業回り、夕方からお約束の方とお会いしました。

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DSC03530昨日まで満開だったのに雨で、やっと今日はお天気の中で、桜が見られました。
時間との闘いの中で、季節のお花に癒され、安らぎを感じます。
桜さん、もう少し、頑張って咲いてて下さいね。

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さて、甥っ子(YAMAHA)が携わって開発されたポータブル電子ドラムが誕生しました!!

ドラムをやっている方は、ドラム人生を10倍楽しめる楽器、とのこと。生で聴いてみたいです。https://www.youtube.com/watch?v=P8bbV8Iu4fw&feature=share

11年前の出来事に触れて

21日午後から会合へ。本日も含めそれ以外の時間を市民相談のことで現地の確認、大量の書類の整理、新聞の切り抜きや整理、父の文章チェック、写真探しなど。また父の1周忌までにやらなければならない事、親戚への連絡など

その写真の中から、11年程前、父の台湾時代の親友を羽村、青梅、奥多摩へご案内させて頂いた時の懐かしい写真が。

皆さんお元気で、この時で84歳位で、全員が94歳まで生き延びられ、お一人の方は今でもお元気です。17426063_1016225785188831_3728319288904122614_n

父が亡くなった事を伝えた時、皆で励まし合っていたので、伝えづらくとても残念な思いや、父と話しているような錯覚に陥った事など思い出しました。

やるべき課題が山積ですが、1つ1つ終わらせていきたいと思います。

「福島県民お断り」 中学生作文

「福島県民お断り」というタイトルの作文がネット上で話題になっています。

こちらは、宮城県女川町の中学3年生「門馬瑠々 (もんまるる)」さんの作品で、仙台法務局長賞を受賞しています。新聞にも掲載され、私も感動し涙が出ました。

 

その感動の作品がこちらです。

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福島県民お断り」。

 

それは、福島県民の私に大きなショックを与えるものでした。

小学校三年生まで、私は福島県南相馬市で生まれ育ちました。

南相馬といえば野馬追が有名で、昔からの歴史を大切にしてる町です、

私は、そんな南相馬の町や人が大好きでした。

 しかし、五年前、東日本大震災の影響で原子力発電所が爆発し、全てが変わりました。

放射能の影響から、南相馬市は一夜にして人の住めない町になってしまいました。

この事故の影響で、私は家族と一緒に、親戚がいる栃木県に避難することになりました。

ところが、その途中に寄った店で、とても衝撃的なものを見てしまいました。

それは、駐車場に停めてあった車に、

 

福島県民お断り

 

と書かれたステッカーを貼った車があったのです。

私はそれを見て、これからのことが不安だったこともあり、

「え?」とただただパニックになり、

意味を理解したとき、悲しい気持ちになりました。

 

 

 

震災から5年が経過した現在でも、福島県に対する偏見はまだまだ消えていません。

それは、祖母の知人が熊本地震の際に、支援物資を届けに行ったときのことでした。

決して近いとはいえない熊本に、福島から行ったのにも関わらず、

 

福島の物資はいらない

 

と現地の方々に拒否されたそうです。

現地の方々も、放射能の被害を恐れての発言だったのでしょう。

しかし、被災した方々のために、

直接届けてにきてくれた人に向かって

どうしてそのような心ない言葉が言えるのだろうとむなしさがこみ上げてきました。

 

 

 

結局、その場所では物資は受け取ってもらえず、別の場所で受け取ってもらったそうです。

この話を聞き福島県の風評被害は今なお続いているのだと恐ろしい気持ちになりました。

同じ日本人なのに、どうして福島県から来ただけで、このような酷い言葉をかけられなければならないのでしょうか。

私が育った町や人が否定されるならば、私の今までの人生までも否定されている気がしました。

 

 

 

震災後、私は自分の気持ちを人に話すことが苦手になっていました。

「福島県民だ」という周りの人達の視線がとても気になったからです。

しかし、そんな私の心を新たな出会いが変えてくれました。

 

 

 

小学校五年生の時、私は宮城県の女川町に引っ越してきました。

見知らぬ土地での生活はとても不安で、これからどんなことが待っているのか心配でたまりませんでした。

また「福島県民だ」と悪者扱いでもされるのかと思っていました。

自己紹介を終えて指定された席に着くと、周りは男の子達でした。

するとその中の一人が、私に「福島から来たんでしょ?」と聞いてきました。

私はその質問にひどく動揺し、この後何か言われるのだろうかと思いました。

 

 

しかし、聞こえてきたのは私の想像するものではなく「大変だったね」という気づかいの言葉でした。

他の子達も

友達にならない?」「一緒に遊ぼう

などと、とても優しく接してくれました。

女川町もまた、震災で大変な被害を受けました。

 

友人の中にも、津波で家や家族を亡くした人がたくさんいました。

それでも、明るく毎日を過ごしている友人を見て、女川の人たちの力強さを感じました。

同時に、苦しい思いをしているのは自分だとばかり主張して、

ふさぎ込んでいたのが「なんだこの人達の方が辛かったんじゃないか

と思い、自分が情けなくなりました。

女川町の人達は、本当に強い人ばかりで、何度も助けられました。

 

 

私がここまでの体験で感じたこと、それは「偏見」と「共感」です。

偏見」とは、自分の勝手なものさしで周りのものを判断することです。

相手の気持ちを無視した、とても自分勝手な行動だと思います。

みなさんは、人と関わるとき、偏見を持って接することはないでしょうか?

 

あの人はテストの点数が悪いから頭が悪い」や「あの人は口数が少ない人だから暗い人だ」など、

 

ちょっとした偏見で他人を見ることは誰にでもあることだと思います。

しかし、その偏見が無意識のうちに人を傷つけるということを忘れてはならないと思います。

 

 

逆に「共感」とは、相手のことを思いやり、相手の立場に立って行動することです。

私が女川に来てから、私の心に寄り添ってくれた友人たち。

私の痛みを自分の痛みとして捉え共に乗り越えようとしてくれたことにとても感謝しています。

だからこそ、自分もまた、

 

傷ついている人がいたら共感し、手を差し伸べることができる人間になりたい

 

と思うようになりました。

私は将来、自分を救ってくれた人達のように、苦しむ人の助けになりたいです。

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福島県民が抱える苦しみや、悲しみを表した非常に素晴らしい作品です。

震災から6年あまりたった今現在でも、なかなか風評被害や、偏見はなくなりません。

一人でも多くの方にこの文章が読まれ、一刻も早く福島やその他被災地への偏見がなくなることを祈っています。

 

兄弟の団結

午前中は、最後の仕上げを1年ほど中断していた歯科治療へ。

特に痛みがあるわけでもありませんが、最後まで治療をしなかったことで気にかかりやっと本日実行。

赤ちゃんの歯、乳歯3本が未だに頑張ってくれています。治療はあと1、2回で終了とのこと。

午後から立川への会合へ。その後、いくつかの市民相談の対応など。

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数日前、一番下の息子の就職が昨年決まったお祝いを、兄達二人から都内でお祝いをやろうと呼ばれて出かけて行きました。コース料理を振る舞ってくれたそうです。

早い段階で昨年決まっていた就職先を兄たちからの意見でそこをやめて、別の就職先に挑戦しており、兄たちも責任を感じ心配していたのでしょう。

家族で登録しているSNSでのやり取りには、ちょっと感動していましたが、結果が出て良かったです。

2017年スタートの街頭遊説と…

仕事始めの本日、会派での打ち合わせの後、年頭のご挨拶を羽村駅、小作駅駅頭にて羽村市公明党4名でスタートしました。
暖かい太陽に助けられ、公明党の政策を訴えさせて頂きました。

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15895165_965475990263811_4071084600217316764_n夕方は、暗くなるまで市内をご挨拶に回らせて頂きました。昨年からの残りの宿題です。

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夜の食事を済ませ、合間に行っている作業に取り掛かり数時間、そろそろ終えようかと考えていた真夜中の12時半過ぎ、夫が帰っていない事に気付き、「大丈夫?」メールを。
返事メールが12時50分頃、今「国分寺」で立川へ向かっていると。
「立川から(青梅線)の終電は7分前に終わっている。」と調べ、迎えの準備へ。

遅くなった理由は、高尾へ行ったり、行き過ぎて立川へ戻ったと思ったら東小金井へ戻り過ぎ…という事を仕事の初日からだった模様。立川まで迎えに。15871493_965655276912549_9198368251636191033_n
帰宅は深夜2時過ぎ。緊急救助隊の初出動願いが我が家からとは、勘弁して頂きたいものです。

父のいない初めての親族の集まり

初めて父のいないお正月を2日親族で集まりました。

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15825999_965962466881830_4330034093045520598_n息子達も海外や仕事でいなかったりちょっと寂しいですが、4姉妹でこれからも団結していきたいと思います。

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