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羽村市 西川美佐保
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陸前高田市での震災の様子 視察2日目

4日午前中は、陸前高田市役所で待ち合わせ、観光協会ガイド部会の方に東日本大震災の語り部として同行して頂きました。
最初に、室内で説明を受けた後、現地へ。

震災前の陸前高田市

震災前の陸前高田市

被災後の同市の様子

被災後の同市の様子

70代のガイドさんは、震災当時、直前まで海の近くにあった観光案内所におられましたが、14時半ごろ同窓会の打ち合わせで、案内所を出た後に、地震や津波が起こり自分は助かった。でも同時にご自分の妹、友人、知人を300人失ったと。

震災直後の気仙中学校の周り

震災直後の気仙中学校の周り

震災直後の気仙中学校の周り

現在の気仙中学校の周り

 

妹さんは社会福祉協議会の次長さんで、最後まで避難誘導の案内で亡くなった。また、町内会長さんも多く亡くなり、民生委員の方も11名亡くなり、消防団の方が最も多く34名が殉職。そのことから消防団の規約が変わり、「津波の15分前には(全てのことを置いて)撤退せよ」と。

岩手県や宮城県は津波で大きな被害を受け、両県で「津波石が200個ある」と。

西川撮影

西川撮影

残された言葉に「津波は2度逃げ」(1度高いところへ逃げて、それでも津波が来たら更に高いところへ避難)「川添いに逃げるな」(津波は川を登る)「遠くへ逃げても追いつかれる」(津波は時速50㎞などですぐ追いつかれるので遠くではなく高いところへ避難せよ)「避難所と避難場所は違う」(皆んな避難所へ逃げたがるが、まずは近場で命を守る避難場所へ)など。

この地域は50年に1回の割で大きな津波被害があったにも関わらず、海沿いに建てられた気仙中の事情。でも、危機管理はあり、直ぐに行動開始。高い場所へ2回移動して足元まで海水が迫っていたが助かった。

学校は海水にすっぽり浸かったが、学校での子ども達の被害は無かったことなど。過去の歴史が十分に伝わらなかった理由に、語り部さんがほとんどいなかったこと。1名だけおられて、その方は最後まで一生懸命伝えられていたこと。
語り部さんの大切さや、沢山の教訓を頂きました。

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