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羽村市 西川美佐保
nmisaho@yahoo.co.jp

壮絶な人生を歩まれているFさんから学ぶ

本日は、書類や新聞の整理、12月議会の資料作り、調査活動、少しだけ配布物を配らせて頂く等の1日でした。

今日の国会での党首討論では歴史的な党首討論となりました。山口代表の堂々とした態度・キレのいい弁舌。総理は16日の衆議院解散を明言。12月4日公示、12月16日投票。いよいよ始まるのでしょうか。

さて、本日フェイスブックで友人となった方の人生があまりに壮絶で、ご本人の承諾のもと、以下ご紹介したいと思います。

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<Fさんの生い立ち>

私は、昭和31年8月25日生まれの56歳です。

私の人生は本当に波乱万丈でした。3歳から小学校入学までは親戚中をタライ回し

にされて育ちました。

生まれは大阪ですが、父の事業の失敗で借金をした親戚に預けられ所謂借金の

担保代わりに鹿児島、和歌山、福井、岐阜の親戚を転々とし毎食事ごとに大人の

顔色を窺いながらいつしか拒食症で生死をさまよったこともございます。

富士山

小学校3年生から新聞配達を始め小学校5年生からは朝刊を配り終えたあとに更に牛乳配達をし両親を支えながら中学校卒業まで続けました。

そんな貧困生活ですので当然中学校を出て15歳で宮大工の奉公に精進しました。

勉強したい!との一念から次年度からは大阪府立今宮工業高校の定時制過程に進みました。そこからが私の勤労学生の始まりでした。

やがて大阪工業大学Ⅱ部の建築学科を卒業し同年同大学の短期大学部Ⅱ部の土木工学科に編入し何とか卒業しました。

仕事の方では宮大工を辞め、鉄工所、設計事務所、現場監督と様々な建築全般を

体で覚え、やがて起業家として成功したかのように思ってたとても生意気な人間に

なっておりました。

わずか19歳で多くの社員から社長と呼ばれ有頂天になってた私は当然の如く、信頼してた人に裏切られ事業に失敗22歳にして2億円の負債を抱え失望と絶望の淵に立たされ、

債権を肩代わりしたヤクザに3日間監禁された経験もございます。その後死にもの狂いで働き、その借金も3年間で返済いたしました。

枚方市にはS57年に中途採用で26歳で入庁しました。

役所の直前の職場は現在では全国に1300校も有する「日建学院」で設計製図と建築設備の講師をしておりました。

紆余曲折の人生経験を若くして通常の人の30年分位で歩むことを11年間で凝縮して覚えたって感じです。日建学院でチョークを持って教壇に立つ前は第2の倒産

(この時は先輩と起業して発起人として取締役専務という肩書で奮闘しておりましたがその先輩(社長)が危ないと思って内部留保のお金を持ち逃げしたために倒産に追いやられました)

で押し寄せる債権者他に毎日朝から晩まで家まで押し掛けられて精神的にもかなりまいりました。

でも乳飲み子の長女のミルク代もない始末でしたので、切り替えの早い私はもう次の日の朝4時に起きて新今宮のあいりん地区で日雇い人夫(土方)で日雇い労働者バスに乗り込み必死でドロだらけになりながら働いて日当6000円を握りしめて急いで粉ミルクを買って帰ったことを思い出します。

昭和56年の冬は本当に極寒の冬でした。私の歩んできた人生のまだほんの一部す。

2010年3月に、53歳にして龍谷大学の大学院法学部を卒業し法学修士をいただきました。

仕事との両立、まして私は建築技術者ですのでまったくの畑違いの学問で本当に大変でした。

ですので卒業式の時は達成感で嬉し涙が出ました。

56歳になった今も尚、特別専攻生として通っております。

専ら教授のサポートや院生の修士論文のお手伝いをさせていただいております。

毎日が、『気づき』と『学び』、そして『つなぐ』の連続でとても新鮮です。

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とのこと。すごいですね!

人生の苦難は乗り越えるためにあると感じさせて頂きました。


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