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バックナンバー 2011年 10月

上の写真は、羽村の堰近く奥多摩街道です。昨日深夜、スピードを出しすぎた車がカーブを曲がり切れず駐車していた車と一般住宅に突っ込む事故が起きました。

知らせを受け、公明議員4人で現場調査を実施。以前より事故の多発するこのカーブ。公明党前議員の働きもありガードレールや反射板も設置されましたが、事故は無くなりません。減速させるための看板設置や、道路面を目立つように変えて、危険回避できる等、速やかな対応を警察署にも申し入れさせていただきました。

ここのところ事故が続いています。お互い用心していきたいものです。

午後からは羽村市議会として、救急救命講習を福生消防署の協力を得てで実施しました。AEDの使用方法等の講習。しっかりと身につけるためには、毎年継続していくことが欠かせないとの印象を持ちました。

本日、多くのご来賓に参加いただき、市制施行20周年の記念式典が挙行されました。先人の方々が血と汗で築いていただいた羽村市。今日も多くの諸先輩・功労者の方が参列されておられました。

住んでよかったといえるまちを共々につくりあげる。そのような思いが溢れる式典となりました。希望ある未来へ向うため、更なる前進を誓いました。

終了後は、会場となりました生涯学習施設「ゆとろぎ」に隣接する幼稚園、五ノ神幼稚園のおまつりを参観。父母会が主催する「らんらんまつり」は毎年の伝統行事のひとつです。お父さんお母さん方、楽しい企画をありがとうございました。

園内の食堂で焼かれた、とってもおいしいクッキー

 午後、羽村駅西口側の一角での収穫祭に立ち寄りました。居酒屋さんを経営する方とお仲間で毎年実施している企画です。畑で収穫された野菜やお米をお手頃の値段で提供するもの。焼き鳥や豚汁などもあり、和やかな雰囲気の中で行われていました。小さな企画ですが、活性化の一歩となることを願ってやみません。

大きなラディッシュ

今日は、別な20周年もありあました。本来は先週実施される予定でしたが、雨で延期となっていました。根がらみ前水田で稲作体験が開始されて本年で20年。本日は脱穀が行われ、20周年のイベントもあり羽村太鼓も駆けつけていただき、この田んぼでできたお餅もふるまわれたと聞きました。式典等の行事で参加できずとても残念でした。これまでこの企画を推進されてこられました関係者の皆さまに心より感謝申し上げます。

今日は秋晴れ、晴天の一日でした。

小学校では学習発表会がありました。5学年の、「なみだ」を拝見させていただきました。宇宙人がなみだを流す地球人と触れることで変化が起きてくる物語。長いセリフも覚えて見事な演技。約1ヶ月半くらいの練習だったと伺いました。教師と児童の努力が推察されました。本当にごくろうさまでした。

東小学校では伝統の竹フェスティバル。地域の方が竹を採ってきて、1学年から6学年まで様々な竹細工を作ります。発表会の後、みんなで豚汁をいただきました。これも地域の方の手作りです。中には学校で育てただいこんやにんじんも入っていました。地域の皆さま毎年ありがとうございます。

朝の8時30分よりジュニア駅伝大会が開催。雨で順延されたものです。小学生が対象のこの駅伝、我が子も最高学年となり最後の参加となりました。他の行事と重なり見ることはできませんでしたが、表彰式前に駆け付けさせていただき、主催者の皆さまにご挨拶し、参加した児童をねぎらわせていただきました。みんな、よく頑張りましたね。

午後からは、党の教育政策プロジェクトの会合で党本部に。皆で材料を出し合い、これから具体的施策をつめてまいります。いよいよ未来のために真剣勝負開始です。今後回を重ね、よりよい政策にと練り上げてまいります。

午前中は、市民相談の対応をしました。午後からは、東京たま広域資源循環組合の議会が府中で開催され参加。

夜は、土砂災害警戒区域等の指定に関わる説明会があり聞いてきました。一昨日から3日間市内3カ所で開催され、合計で160名あまりの参加があったそうです。

これは土砂災害防止法に基づいて開催されるものです。土砂災害から国民の命を守るために、ソフト面からの対策を推進しようとするものです。具体的には、危険の周知、警戒避難体制の整備、一定の開発行為の制限、建築物の構造規制、既存住宅の移転促進などがあげられます。

羽村市では28カ所の指定が予定されており、関係する地域住民への説明会を行ったわけです。市民の方もどうとらえてよいものかと思案顔の方が多いのが現状でした。今後、丁寧な説明が必要になってくると感じました。

土砂災害に関する詳しい内容は以下の国土交通省のホームページをご参照してみてください。

http://www.mlit.go.jp/river/sabo/linksinpou.htm

午前中は、議会だより編集の打ち合わせ等で市役所。午後は、市民相談の対応等も丁寧に。気になるお宅も何件か訪問。

そんな中、文化祭の第二期の展示をゆとろぎに見に行きました。写真、絵画、蓮鶴、押し花、陶芸等拝見させていただきました。

不思議なもので、その会場独特の雰囲気があり、作品に込めた思いと愛情があふれていました。制作者の方とともに、文化協会の皆さまのご尽力にも感謝申し上げます。

多種多様の陶芸作品。きっと悩み納得できなくて、何度も挑戦されたのでしょう。どれも目を引きました。

また、今日は、「文字・活字文化の日」でもあります。秋の読書週間も始まります。図書館に立ち寄り、この分野での更なる貢献を誓いました。

日本で初めての開催となる、24時間インドアウルトラマラソンが羽村市内で実施されることが決まり、今準備が進められています。

インドアレースとは、倉庫や体育館などの施設の中を走る巣ポートです。今回の企画では、24時間、12時間、6時間、3時間のそれぞれで、個人と団体リレーといった種目が予定されているそうです。

開催日時は12月17日(土)、18日(日)で、17日(土)は模擬店も出店される模様。会場は神明台4丁目のブリジストン物流(株)羽村営業所。競技参加の申し込み締め切りは11月15日となっています。

参加される方は挑戦されてみてはいかがでしょうか。お問い合わせは、日本インドアウルトラマラソン実行委員会まで。

http://info.toyosystem.co.jp/24hindoor/

日本初の企画が羽村市で開催されることに嬉しく思います。スポーツの祭典ではありますが、地域活性化の面からも期待されます。

本年の9月議会で一般質問した、入学資金融資制度の詳細が明らかになりましたので、以下ご報告させていただきます。

本年の公明党夏季研修会で講演された中川恵一氏が、ツイッターやブログを通して放射線を正しく理解するために文章を綴ってこられた。それを一般の人にもわかりやすくまとめられたものがこの本です。

あっという間に読んでしまいました。著者がまえがきで、「放射線に対する正しい理解を欠いたままでは、放射線への恐怖・懸念・ストレスが大きくなる可能性がある」と指摘されています。

どこの自治体でも放射線量を測定して公表しています。安心の担保のためには必要な措置だと思います。しかしながら、それ以上にわたしたちが、より正しく放射線のことを知ることが大事だと思います。

ご一読をお勧めいたします。

毎日、真剣勝負で市民相談に臨んでいます。昨日も今日も、そして明日も。

昨日の午後、これまで活動されておりました「市民パトロールセンターはむら」がNPO法人を取得し、その発足式が開催されました。ここに至るまでご尽力戴きました関係者の方々に、心より感謝を申し上げたいと思います。

私はこのNPO法人の出発まで、あしかけ8年かかっていると認識しております。先駆者に敬意を表しその経過を振り返ってみたいと思います。

平成15年12月22日、「市民生活安全パトロール」がスタート。これは今回の組織とは異なり、民間警備会社の警備員と市民ボランティアで構成し、羽村駅と小作駅周辺を徒歩でパトロールするというものでした。

当時、市内の犯罪件数は5年間で1.5倍と増加しておりました。私が初当選させていただいたのは、平成15年の4月でした。この時の市民要望の多くは、「安心安全のまちづくり」に関するもので、その声を受けて以降何度も議会の中で取り上げてきました。

平成18年9月28日、「羽村市交通安全・防犯対策等に関する懇談会」が発足し、第一回の会合が持たれました。各分野からの代表と市民公募からなる24名の委員で構成。座長には学識経験者として東京大学教授の小出氏が就任。

私も第一回には傍聴者として参加し、小出氏の講話、「安全・安心まちづくりへの取り組みについて」を聞かせていただきました。それ以降、懇談会は回を重ねていき、条例制定に向けての準備、駅前にパトロールセンターの設置を明記していきます。

平成21年3月27日、「羽村市防犯、交通安全及び火災予防に関する条例」が制定されました。そしてこの条例を実効性のあるものとなるよう、羽村市防犯、交通安全及び火災予防推進会議が設置され、懇談会から一歩進んだ組織となっていきました。

平成21年6月16日、その第一回の会議が開かれました。この時も傍聴者として私も参加させていただきました。学識経験者、各分野の代表、市民公募らにより30名の委員で構成。引き続き小出氏も参加していただきました。

委員の任期は2年。皆さまのお力で、より現実的な取り組みへと進んでいきました。

平成22年5月13日、小作駅東口に市民パトロールセンターが開所。そして本年5月21日、羽村駅西口に市内2つ目となる、市民パトロールセンターが開所。

本年9月に正式に特定非営利活動法人(NPO法人)の認証を取得し、昨日その発足式が行われました。

忘れてならないのは、NPO法人の中心者の方々は、この推進会議のメンバーが多く含まれていることです。志しを持ち、自分たちのまちは自分たちで守るとの精神で集っていただきました。本当に感謝です。

いよいよこれからが本番でしょう。羽村市の安心・安全のために更なるご発展を祈っております。初期の志しが続く限り、今後とも全力でご支援させていただきます。

不況の時代、苦しむ農村を救済するため、昭和7年(1932年)、農村経済更生運動がはじまります。翌年、西多摩村(現羽村市)は経済更生指定村に指定され、負債整理組合が設立されました。

不況から脱出するため、村では昭和13年(1938年)から乳牛の導入を行いました。この様子は『牛飼ふ村』という映画に記録されています。

昭和16年(1941年)以降になると、農村も戦時下の様相を帯び、食糧の供出割当が厳しくなり、桑樹・花卉(かき、観賞用植物)の整理通達が出されます。かつて「養蚕の村」といわれた面影はなくなっていきました。

上の文章は郷土博物館資料のホームページから抜粋したものです。

『牛飼ふ村』とは、昭和15年に制作された、当時の西多摩村の様子を映し出したたいへん貴重なフイルムです。市制20周年の記念事業として、地域文化功労文部科学大臣表彰者である羽村康次郎氏の講演に先立って上映されました。

話には聞いておりましたが、拝見したのは初めてで感動しました。当時の村人の力強い映像が映っておりました。

現代の我々も立ち上がる時です。先人に負けてはいられません。羽村の原点の一つを見させていただき、決意を新たにしました。

羽村氏の講演は残念ながら他の行事と重なり、どうしても聴くことができませんでした・講演を聞いた方はたいへん感動されておられました。改めて、聴ける機会があることを望みます。

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羽村市 石居尚郎
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