本日、桜川市市政施行10周年記念式典が、市内の大和ふれあいセンター・シトラスで開催されました。桜川市は本年10月1日で合併10周年を迎えます。多数の来賓と関係者の方々が出席しました。
第1部の記念式典では、井上副市長が開式の挨拶、大塚秀喜市長が式辞を述べました。潮田新正議長が議会を代表して挨拶し、その後、故平間小四郎元真壁町長(代理)、中田裕前桜川市長(元岩瀬町長)、飯島輝信元大和村長が名誉市民顕彰を受けました。
来賓祝辞では、橋本県知事代理、駐日ブルガリア共和国特命全権大使のゲオルギ・ヴァシレフ大使が祝辞を述べました。大使の挨拶の中で、桜川市合併以前から、彫刻家の浅賀正治氏との文化交流が続いており、ブルガリアでは、桜川市と友好関係を結びたいという市もあり、今後とも桜川市と交流を深めていきたいとのことでした。
その後、茨城県市長会長の豊田稔北茨城市長、衆議院議員を代表して田所嘉徳衆議院議員、参議院議員を代表して岡田広参議院議員、白田信夫県議会議員が挨拶しました。
第2部では、ブルガリア共和国の民族舞踊があり、最後に私も一緒に踊りました。あらためて文化交流の重要性を実感しました。
長崎市議会 林広文さん(公明党)のFacebookより引用(本人の許可をいただきました。)
写真は23年前、平成4年6月のPKO国会の成り行きを報じた地元紙の紙面です。現在の野党寄りのマスコミ紙面と全く同じ構図であることに驚くばかりです。
当時、公明党は野党ではありましたが、世界の中の日本として、「世界平和構築のためどのような国際貢献を果たすべきなのか」という命題に真剣に向き合い、PKO協力法を推進する立場で矢面に立ちました。
その中でいわゆる「参加5原則」を強力に提唱し、憲法の枠内で自衛隊を派遣できる筋道を創ることに党勢を賭けて取り組みました。
あれから23年が経過しました。今や自衛隊のPKO活動は国際的な評価はもちろんですが、国内においても9割近い国民が評価するまでに定着しています。
しかしながら、残念なことに23年前は国民の約7割が反対する大逆風の世論の中で成立したのがPKOの歴史の真実です。世論の潮目が変わったのは、その後のカンボジアPKOをはじめ、一つ一つ国際貢献の実績を積み重ねてきたからに他なりません。
様々な批判、中傷を乗り越えて、真に国民のために益することを為すための政治であってほしいと心から念願します。歴史は必ず正義を証明すると信じるものです。
青年党員と常総市災害ボランティア活動を行いました。
守谷市の前川製作所駐車場から茨城交通のバスで、常総市中妻町の常総市ボランティアセンターに移動し、そこからマイクロバスで、常総市相野谷町に移動し、この地域で活動しました。
1軒に10人以上が入り、家具類の洗浄、床下・庭の消石灰散布、軒下や納屋の洗浄、物置の片付けなどを行いました。
電気や水道が復旧したことで、高圧洗浄機が使え、バケツと雑巾とブラシなどがあれば家具類の洗浄が出来ます。
ボランティアの人数が多かったので作業がはかどりました。
昨日は、1500人の募集に対して、3100人を超える人数が活動したということで、災害ボランティアセンターの対応できる許容範囲を超えているとのことで、午前9時に締め切ったそうですが、今日も午前9時に募集を締め切ったそうです。
後の発表ですが、今日も3000人を超えたそうですが、ボランティアセンターのスタッフも、許容範囲を超えている中でも効率的にボランティアに活動していただくために工夫をしていると思います。