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公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

「帝国議会開設から130年」について 4847

未分類 / 2020年2月14日

IMG_0353昨日、本会議で議案関連質疑が行われ、公明党からは安西英俊議員(港南区)が代表して質問。子ども・子育て支援事業計画の策定、横浜市手数料条例の一部改正、小中学校に1人1台のタブレット端末整備等について多岐わたり質問しました。この本会議場とも間もなくお別れ。1959年に竣工した現在の横浜市庁舎。関内駅前での約60年の役目を終え、5月中旬からは桜木町駅前に建設中の新市庁舎に移ります。

昨年10月から「関口宏のもう一度!近現代史」という番組を録画して見ています。(BS-TBSで毎週土曜日12:00~13:00)「明治維新から150年余り、そこから終戦までの流れをほとんど詳しくわかっていません。そこでご一緒に」とのフレーズで始まる番組。事実を淡々と伝えているのですが、面白いですし頭の整理ができます。

先日、公明新聞に「帝国議会開設から130年 国会と政党政治の今」と題し、成蹊大学法学部・高安健将教授へのインタビューが掲載されていました。帝国議会は大日本帝国憲法のもとでの議会。旧憲法の主権は天皇にあり、議会は天皇の立法の協力機関。現在の国会は日本国憲法のもとでの議会。現憲法は主権が国民にあり、戦前と戦後とで大きな違い。いつも長いのに、もっと長いですけどご紹介します。よろしければどうぞ。

IMG_0354「1890年11月に第1回帝国議会が開かれて、今年で130年となる。開設当初とは異なり、現在の議会では、国民の代表で構成される政党や会派が民意を反映する機能を担うが、どこまでその責任を果たしているか。国会と政党政治の今について、成蹊大学法学部教授の高安健将氏に聞いた。

■(先進国の現状)国民の声届かず機能低下/大衆迎合や分断社会の芽に

 ――議会発足当初はどのように議論を進めていたのか。

 高安健将・成蹊大学教授 各国で議会が開設された当初は、政党組織の存在は前提とされていなかった。地域の代表が議員として集まり、話し合って決めていくスタイルだった。その後、議会内で組織化が進むにつれ、政党をベースにした議会が主流となっていった経緯がある。

 その中で現代の議会は主に、英国型と米国型に分類される。英国型は、議会の場が争いの舞台となって常に対決しながら最後は多数派が決めていく手法で、野党は政策を訴えるよりも、政権側の不手際を指摘して有権者にアピールする役割に徹している。

 米国にも政党があるものの党議拘束はほぼなく、大統領が強い権力・執行権を持つため、議会政治の観点では他国と比較しにくい面がある。

 ――二大政党制以外の国ではどうか。

IMG_0349 高安 代表的なのは、ドイツを中心とする欧州大陸型の議会だろう。議会内で政党間の交渉や妥協といった調整をしながら、法律を修正し政策を構築していく手法だ。

 日本では130年前、明治憲法の下、本会議を重視する英国をモデルに議会が開設された。両院に委員会制度が設けられるが、これは米国の影響だ。一方で、かつては法案審議で調整や妥協もあってドイツと似た面があり、日本の議会システムは接ぎ木されたようなものと言ってよいだろう。

 ただ、いずれの国でも議会政治は社会のエリート層が主導している点では共通している。ところが今、多くの有権者は、自分たちの声や利益が反映されているのか実感できなくなり、「偉い人が決めたこと」と不信感を抱いたり、傍観してしまっている。これへの反発が今の、自国第一主義、ポピュリズム(大衆迎合主義)の台頭にも関係している。

 エリート層と一般の人たちとの距離感が広がる一方、社会における分断が深刻な課題になっている。本来なら、エリート層が一般の人たちを巻き込みながら議会の機能を向上させるべきだが、それができていない。日本も同様であり、状況を決して軽視してはならない。

■(衆参での論戦)健全な競い合いめざせ/政策を磨く建設的な議論を

 ――具体的には。

 高安 日本では1990年代、政治改革の名の下、従来の調整型の議会に対立型の政治を持ち込もうとした。対立型の議会は、常に政権交代の可能性を伴って初めて緊張感が保たれるが、今の日本政治にはそれがない。その結果、権力側へのチェック機能が弱まり、片方に強い権力が生まれる状態となってしまっている。それでは、良い政策が出てくる環境にはなく、望ましい状況とは言えない。

 ――状況の改善には何が必要か。

 高安 まずは、健全な政党間競争を取り戻すことだ。メディアへの圧力など、適切な政党間競争を疎外することがあってはならない。また、今の議会には、ブラッシュアップ(磨き上げ)して法律をより良くしていくための建設的な議論が十分になされているとは思えない。重要なことは、政策について深く突っ込んだ野党の追及と、必要に応じて改める政権与党の柔軟性だ。だからこそ政権与党は、正当な批判に対してきちんと答える真摯さが求められる。

 もう一つは、政権が批判されている疑惑や疑念について、議会の中で自浄作用を発揮する取り組みだ。政策論議以前の問題だ。自ら膿を出して改めないと有権者の信頼は得られない。

 近年の欧米を見ていると、議会の外からエリート層をなぎ倒していくような民意が出てくる可能性を感じないではいられない。それは日本も例外ではない。自由主義や法の支配、基本的人権の尊重といった民主主義の根幹をも揺るがす事態が議会の外から出てくる可能性がある。第2次世界大戦後の世界を牽引してきた欧米型のリベラル・デモクラシーが堅固であると自信を持って言える時代ではない。こうした事態を国会議員がどこまで自覚できるかが問われている。

 ――野党のあり方も問われるのではないか。

 高安 その通りだ。問題を追及するのは野党の義務である。しかし、それだけでは有権者の支持は得られない。求められるのは、政権を得た時にどのような未来があるのかという将来像を示せるかどうかだが、ここ10年近くはそうした姿が十分に見えてこない。

 「議会政治の父」と呼ばれる尾崎行雄は「とにかく誠実堅固にして、権益のために心を動かさない人を選ぶべきである」という言葉を残した。代議制の日本では、有権者自身が自らの責任で候補者を選んでいるかも問われる。最近は政治家が「選んだのは有権者だ」と言ってはばからない。

■(各党への要望)国の将来像を明示せよ/公明は与野党つなぐ役割担え

 ――一方で、日本の政治は先進国の中でも非常に安定していると言われているが。

 高安 それは間違いないし、ある程度評価されるべき状況である。ただ、政党間競争が疎外されてきた面もあるし、この安定期を利用して日本が将来どういう方向性に向かおうとしているのかがはっきりしない。政治の安定を得たのだから、次の時代に備えた仕込みを急がなければならない。

 その意味で、公明党のアジェンダ(議題)は、生活の安全・安心につながるものをたくさん持っている。もっと積極的に訴えるべきだし、公明党だからこそ、議会で与野党をつなぎ、議論ができる役割が果たせると思う。自公政権が世論に評価されている政策は、公明党や旧民主党が以前から主張していた社会福祉政策が含まれており、与野党の合意をつくれる要素はあるはずだ。同時に、安定が権力に対する緊張感を失わせた結果をもたらした面も侮ってはいけない。

 ――政党のあり方が問われている。

 高安 もちろんだ。政党の存在理由は、昔からの政策を言い続ければ済むほど単純ではない。眼前の課題に対して常に新しい考えを発信していくことが求められる。そのためには、絶えず自らを見直す作業が欠かせないが、その仕組みが各党の中にあるのか疑問だ。

 政党は、政治家の信念や思い付きだけで動く存在であってはならない。政治家は価値判断のフィルター(装置)として、多種多様な政策課題や政策をどう採用して組み合わせるかという役割を担うべきである。社会の中にあるアイデアを引き出す政党が複数存在し切磋琢磨すれば、政党政治ひいては議会のありようも変わっていくはずだ。一つの政党だけが民意を代表することはあり得ないのだ。

 ――有権者との距離も縮めなければならない。

 高安 今は、政治家と有権者との距離が遠くなる一方で、それを取り戻すことが何より重要だ。この点で公明党は、有権者の顔がよく見えているのが特徴だ。政治家が自分を支持してくれている人に日々会う中で、その時代の問題や不安をビビッド(はっきりと)に感じられる意味は極めて大きい。問われるのは、意見を吸い上げ、単に会合を開くだけにとどまらず、政策としてどうブラッシュアップできるかだ。

 同時に政権与党の一角として、ただすべきことは厳格にただす姿勢も重要だ。最終的には公明党も連立政権の一員として後世に責任を問われる。政権与党間で隔たりのある政策についても合意すれば、その合意点を丁寧に説明し、安全保障政策などは特にその後の運用のあり方についてしっかりチェックする姿勢を維持してほしい。それが公明党の日本の政治における存在意義につながろう。」

大変鋭い指摘をされているように感じました。特に「今、多くの有権者は、自分たちの声や利益が反映されているのか実感できなくなり、「偉い人が決めたこと」と不信感を抱いたり、傍観してしまっている。これへの反発が今の、自国第一主義、ポピュリズム(大衆迎合主義)の台頭にも関係している。エリート層と一般の人たちとの距離感が広がる一方、社会における分断が深刻な課題になっている。本来なら、エリート層が一般の人たちを巻き込みながら議会の機能を向上させるべきだが、それができていない。日本も同様であり、状況を決して軽視してはならない。」との言葉。

今の政治は信用ならない。自らの身は自らで守らねばならない。先のことはわからない。未来の話は信用できない。自分の目の前の問題を解決できる人を選ぶ。との意思がポピュリズムの原動力ということかと思います。

真摯に受け止め、行動していかねばと思います。