安全・安心の横浜へ 「何を言ったかでなく、何をやったか!」

公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

今年の一冊「ポバティー・サファリ」について 4797

未分類 / 2019年12月26日

IMG_8988昨日は障がい者団体からのご相談対応、行政打ち合わせ等。今年もいくつかの本との出会いがありましたが、私にとっての「今年の一冊」は、ダレン・マクガーヴェイ著(訳/山田文)「ポバティー・サファリ: イギリス最下層の怒り」(集英社)。自分の窓が開くのを感じるとともに、「俺は何もわかっていない」と強く感じた一冊でした。

「自律」「自立」は大事なことで、そこに幅はあるものの、大人として求められるもの。しかし、ひとりの人生が誰かと同じということはなく、家庭、教育、環境等々、大人に至る道も様々。日本に限らず、「当たり前」のことができなければ「排除」される傾向が強くなっているように感じるこの頃。貧困が与える人生への影響。

著者は作家、コラムニスト、ラッパーで、社会問題へのコメンテーターとしてメディアにも出演するダレン・マクガーヴェイ氏。この本は彼自身の回顧録でもあります。グラスゴー南部のポロック育ち。2015年にはスコットランド警察暴力抑止部隊にラッパーとして初めて招聘され、スコットランド各地の特に困難な状態にあるコミュニティで活動を続けている方。

内容紹介には次のようにあります。「ダレン・マクガーヴェイは貧困とその破壊的な影響を当事者として経験した。したがって、イギリス中の恵まれないコミュニティで人々がないがしろにされていると感じ、怒りを燃やしている理由を知っている。そして、それを説明したいと考えている。読者はある種のサファリに招待される。野生動物を安全な距離から眺めるようなサファリではない。読者を貧困の内側に引きこみ、その窮迫がどのように感じられるのか、それを乗り越えるのがいかにむずかしいのかを示すのが本書である。マクガーヴェイは、左右両派がいずれも現実の貧困を誤解していると論じ、状況を変えるために自分自身を含めて人々に何ができるのかを示す。切れ味鋭く、大胆で誠実に語られる『ポバティー・サファリ』は、現在のイギリスについて忘れがたい洞察を示してくれる。2018年オーウェル賞受賞。」

心に残った一部を書き出します。

P169 「(テレビが)子どもの虐待を報じる時は、視聴者が動揺しないように細心の注意が払われている。苦痛を与える映像が含まれていると放送前には警告されることもある。殆どの人は、子どもの虐待やネグレクトといった深刻で繊細な話題に触れると、自然と犠牲者に感情移入して、犠牲者の親や保護者に怒りや嫌悪感を覚える。

心の中でみんな、無力な子どもたちに心から共感する。なんとかしなければいけない、そう思ったところでニュースは次の話題に移る。次の話題は、どうしようもない若者たちが様々な犯罪や迷惑行為に手を染めているニュースかも知れない。あるいは、コミュニティでの暴力と依存症の蔓延についてのニュースかも知れない。それを見て僕らは思う。「最近の若者はどうなっているんだ」「親の顔が見てみたいものだ」。こんなふうに考えるのは単純な理由からだ。きれいにまとめられたイメージ、つまり視聴者に動揺を与えずに子どもの虐待やネグレクトを描くために使われるあのイメージが、問題の本質をゆがめるのである。ああいったイメージは、犠牲者は永遠に子どものままだという誤った印象を与える。時間は止まったままで、その子たちは、僕らが写真のなかに手を差し伸べて危害が加えられないところに逃がしてくれるのを待っている、そんな印象を与える。子どもであるその子たちは、無限の同情とあわれみを注がれる。

けれども、この子たちが法律を犯すやいなや、みんなの態度は一変する。受け入れにくいことかもしれないが、実際には、ネグレクトされて虐待された子ども、どうしようもない若者、ホームレス、アルコール依存症、ジャンキー、無責任で暴力的なひどい親は、人生の異なる階段にいる同じ人物であることも多いのだ。

貧困とほぼすべての社会問題の間には相関関係がある、こんなことを指摘するのはほとんど陳腐である。ここで言う貧困とは、経済的困窮だけのことではなく、虐待文化を助長する貧困のことだ、これは左右の政治パラダイムを超えた問題で、これに取り組むのを拒む社会はやがて問題に悩まされることになる。こうした根深い社会問題への解決策を探るには、広い視野と客観性を保っておくことが大切だが、苦しんでいる人の現実から距離を取りすぎてもいけない。そうでなければ、こうした問題は単なるディナーパーティの話題、パワーポイントプレゼンの題材、政争の具になってしまう。貧困のもとで暮らす子供の人生がみんなあらかじめ決められているわけではないし、大人になったときにみんなが主体性をもって行動できないわけでもない。それに貧困のせいだからといって自分の行動に責任を取らなくてもいいわけでもない。ただ僕が言いたのは、この問題の解決を政治的にこれ以上先延ばしにすべきではなく、耳をふさぐのをやめて互いの話を聞かなければいけないということだ。というのも、こういう家庭の問題が燃え上がるときは、家庭やコミュニティの中だけで完結することはめったにないからだ。

問題は社会にあふれ出て大きくなり、みんなに多大な負担をかける。(中略)

経済状態が不安定だったり、非人間的な状態で暮らしていたりする無力な家庭は、予想のつかない逆境が訪れたときに、それを受け止めて処理し、実際的に対処する力を欠いていることが多い。あまりにも多くの制度が、貧困を極めて単純にしか理解していない人たちに仕切られていて、彼らの誤解を反映したものになっている。(中略)

貧困が心、身体、精神に与える影響を何もわかっていないのだ。貧困はただ仕事がないというだけの話ではない。絶えずストレスにさらされて予測不可能な環境のもとに暮らしながらも、失敗する余地がまったくない状態なのだ。そしてこういうカオスの中で育つ子どもは、この経験のせいで感情面をゆがめられて、周囲のありとあらゆるものと反目するようになる。

この問題やほかの多くの問題は、あまりにも単純化されて表現され議論されているので、子どもの虐待とネグレクトを本当に引き起こしているものについての誤った印象が世論に植え付けられている。犯罪、暴力、ホームレス状態、依存症など、今の社会問題の多くを引き起こしているものについても同じだ。

すべては、社会的剥奪のもとに暮らす子どもから始まる。子どもの虐待についていえば、貧困こそがその生産現場だ。」

これまで私がかかわった虐待事案の原因は、貧困以外のケースもあるわけですが、この指摘は社会の病巣に刺さるものだと思います。

公平とは、差別とは、人権とは。少なくとも、子どもを救える環境をつくることが大事だと思います。横浜市もまだまだやるべきことはありますが、市独自に、また国との連携の中で進めている事業がいくつかあります。食べる、教育を受ける、安心して過ごせる。そうした当たり前の環境の整備。

子どもに罪はないと思います。明るい未来のために必要なことは何か。社会に「分断」をつくらない。「差別」を許さない。そうした方向に向かって政治がリードすることは極めて重要なことだと思います。間違っても、不運な子どもに対して「君は運が悪かった」とするかのように、置き去りにしていく、葬ってしまうなことを大人がやってはいけないと思います。

世界の国々と比較して、豊かな国とされる日本とは言え、問題は山積。頑張ります。