安全・安心の横浜へ 「何を言ったかでなく、何をやったか!」

公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

「流」と既読スルーについて 4123

未分類 / 2018年2月20日

IMG_0963昨日は地元での打ち合わせの後、市役所で各種打ち合わせ、予算委員会へ向けての質問準備。

台湾生まれ日本育ちの作家・東山彰良さん。私と同じ50歳。年齢が同じというだけで、あとは全然違う立派な方。直木賞作「流」が印象に残っています。その東山さんが日経新聞に「神様だって既読スルー」と題して寄稿されていました。さすがに粋な文章でした。

「ケータイを持ってない。べつに自慢しているわけではない。私は自宅で仕事をしている。外出するにしても、ごく限られた範囲をぐるぐる回遊しているだけなので、本気を出せばわりと連絡はつく。長く家を空けるときは、たいてい編集者と一緒にいる。家人に彼らのケータイの番号を教えておけば、なんの問題もない。たとえ問題があったとしても、焦ってイラつくのはいつだって家人のほうで、私ではない。

 外出先でこちらから電話をかけねばならぬときは、もっぱら公衆電話を使う。うわあ、今時は探すのがたいへんでしょう、などとよく同情されるが、あまり苦にならない。私はどこに公衆電話があるかちゃんと知っているし、テレフォンカードだっていつも過分なほど常備している。テレカはいつも金券ショップで買い、なくなったら補充する。図柄など気にしたこともないが、一度だけ五枚ほどまとめ買いをしたとき、五枚が五枚ともきわどいビキニ姿の熊田曜子だったのには、さすがにぶったまげてしまった。

 (中略) それよりなにより、自分の全能感をこれ以上助長したくない。

 手を触れなくてもドアが開けばいいのに。ある日、誰かがそう考えた。おかげで自動ドアができた。階段上るのタリィな、階段のほうで勝手に動いてくれればいいのに。また誰かがそう思って、エスカレーターが発明された。電気、ガス、水道、エアコン、車、飛行機。誰かの夢想が、つぎつぎに現実になっていく。恋人と愛をささやき合いたいけれど、自宅の電話ではきまりが悪いし、相手の親に取り次いでもらうのも緊張する。

 さあ、携帯電話の登場だ。世の中、どんどん便利になるぞ。頭で考えただけで、世界が思いどおりになる。手紙のやりとりをしていた時代は、相手の返事が届くまで一週間でも十日でも平気で待てた。だけど、またしても誰かがもっと早く返事を欲しがった。それでeメールが開発された。おかげで文章のやりとりが格段に速く、便利になった。それでも飽き足らず、瞬時に返事を欲しがる奴が出てきた。だから、LINEが普及した。

 頭で考えたことをすぐに叶(かな)えられるのは神様だけだ。社会が便利になるということは、人が神に近づいていくことを意味する。私たちは底なしに欲しがる。そしてスマホとは、そんな私たちが神になるための魔法の杖(つえ)のようなものなのだ。もしも私たちひとりひとりの全能感がスマホによって止めどなく肥大化し、神に近づいていくのだとすれば、神と神のあいだに生じるのは断絶だけだろう。なぜなら全能感の行き着くところとは他人を意のままに操ることで、そんなことはほとんどの場合、不可能なのだから。

 社会はこれからも人間の全能感を満たすべく発展していくし、欲しがりつづける私たちはその恩恵をたっぷり受けることになる。けれど、けっして私たちの思いどおりにならない領域もある。たとえば恋愛や子育てが教えてくれるのは、何事も自分の思いどおりにはならないということだろう。既読スルーくらいのことでも、充分(じゅうぶん)こたえる。私たちはみんな神様なので、シカトされると傷つく。おまえなんか取るに足りない存在だと言われるのだから、無理もない。

 人生なんてままならないことだらけだ。それでも、どうにか耐えていくしかない。なのに、スマホのせいで私たちはますますこらえ性がなくなっている。私がケータイを持たないのはなにも精神鍛錬のためではないが、スマホの反対語は「我慢」なのではないかと思うのだ。」

 自分の思い通りにしたくて、周りに迷惑をかけている人を見かけます。自分では問題ないと思っても、年輪を重ねるごとに良くなることもあれば、悪化していくこともあるんだなと感じます。後者の方が多いかも。自戒の念を込めて、「気をつけねば」と思います。