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公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

養老孟司氏の「遺言」について 4070

未分類 / 2017年12月28日

IMG_0600昨日は終日市役所で防犯カメラ関連、街づくり等々、断続的な打ち合わせ。

一昨日のNHKニュースウォッチ9に作家の五木寛之氏が出演。「50歳という年齢は肉体的、精神的に大きな変化のある歳」との主旨の話がありました。私自身が50歳ということもあり、印象に残りました。実績を積み重ねてきた作家の言葉は重いです。

今、昼時や合間を見て読んでいる本が、養老孟司著「遺言」(新潮新書)。「バカの壁」以来の書き下ろし作品だそうです。ともて深く、面白いです。

「都会は意味で満ちている~ すべてのものに意味がある。都会人が暗黙にそう思うのは当然である。なぜなら周囲に意味のあるものしか置かないからである。(中略)世界は意味で満たされてしまう。それに慣れ切った人たちには、やがて意味のないものの存在を許さない、というやはり暗黙の思いが生じてくる」

「意味のあるものだけに取り囲まれていると、いつの間にか、意味のないものの存在が許せなくなってくる。その端的な例が神奈川県相模原市で生じた19人殺害事件であろう。障害があって動けない人たちの生存に、どういう意味があるのか、そう犯人は問うた。その裏には、すべてのものには意味がなければならない、という(暗黙の)了解がある。さらにその意味が「自分にわかるはずだ」という、これも暗黙の了解がある。」

「SMAPは「世界に一つだけの花」と歌った。(中略) みんなそれぞれ違うに決まっている。だから「世界に一つだけの花」はその意味では当然である。その当然をわざわざ歌い、それがヒットするのは、当然が当然でない社会だからである。つまり違いを主張する感覚所与が排除されている社会だからである。」

「動物もヒトも同じように意識を持っている。ただしヒトの意識だけが「同じ」という機能を獲得した。それが言葉、お金、民主主義などを生み出したのである」。

思い出したのが、私の好きな一冊、ロマン・ローラン著「ジャンクリストフ」の一節。「1つとしてつまらないものはない。一人の人間も一匹の蠅も、すべてが同じ価値を持っている。(中略)部屋は一つの国である。一日は一つの生涯である」。通じるものを感じます。

4年ほど前に養老先生の講演を伺ったことがあります。その時のメモにありました。「日本では「死んだら仏」と言うが、これは特殊な考え方であり、「死んだら仲間じゃない」ということにする。世間の慣習もそうで、戒名という別の名前にしてしまう。人とは分けてしまって、死んだ人には権利がないということ。(極端に言うと)死んだら最後村八分ということ。だから塩をまく。その代り、本人が死ぬと水に流す。ある国では墓をあばいてムチを打つ。日本はすぐに忘れたいから火葬する。世界的に見て珍しい国。死んだ人も、生きている人も同じだと言いたい。」

解剖学者の養老先生の作品。深いです。面白いです。よろしければどうぞ。