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バックナンバー 2017年 4月

DSC_3817GWが始まりました。昨日は東京・町田市へ。久しぶりに「ぽっぽ町田」を利用。駐車場、イベントスペース、文化交流施設などの機能をもつ町田まちづくり公社が運営するビルのこと。「ぽっぽ」とは、多摩地方の方言で「ふところ」「中心」を意味。私が秘書時代に、浜田昌良参議院議員と初めて視察に訪れた場所がここでした。当時、全国の中心市街地を活性化するため、いわゆる「まちづくり三法」の改正がありました。「ぽっぽ町田」もそれにより整備された場所のひとつ。まちづくりの中心的な役割を果たす施設になることを願って「ぽっぽ」と名づけられています。

ところで、「中学教諭6割が過労死ライン」との見出し。この時事通信のヘッドラインを見て、すぐに横浜市教育委員会に問い合わせました。横浜の状況はどうなのか。確認したところ、国が調査会社を使って直接調査した結果のようで、横浜市教委で確認できているのは、市内の小学校8校、中学校9校に調査がかけられたというところまで。しかし、気になります。

「文部科学省は28日、2016年度の公立小中学校教員の勤務実態調査の速報値を公表した。

 DSC_3820中学教諭の約6割が週60時間以上勤務しており、過労死の目安とされる水準を超過。前回06年度の調査に比べ、教諭や校長ら全職種で勤務時間が増えた。授業時間が増加したほか、中学では土日の部活動の時間が倍増。同省は「学校が教員の長時間勤務に支えられている状況には限界がある」として、中央教育審議会に改善策の検討を諮問する。

 調査は全国の小中各400校を抽出し、16年10~11月のうち7日間の勤務時間を、教諭や校長などの職種別、授業や部活動、会議などの業務別に調査。小学校397校(8951人)、中学399校(1万687人)から回答を得た。

 調査結果によると、教諭の平日1日当たりの平均勤務時間は小学校で前回調査から43分増の11時間15分、中学で32分増の11時間32分だった。小学校では33.5%、中学では57.6%の教諭が週に60時間以上勤務し、20時間以上残業していた。これは厚生労働省が過労死の労災認定の目安としている月80時間超の残業に相当する。

 業務別に見ると、1日当たり「授業」が小学校で27分、中学で15分、「授業準備」も小学校で8分、中学で15分増加。「脱ゆとり教育」の学習指導要領導入により、前回調査時から授業コマ数が増えた影響とみられる。中学では土日の「部活動・クラブ活動」が前回の1時間6分から2時間10分にほぼ倍増した。」

私が議員になった10年前にもすでに社会の問題とされ、私に限らず、国でも地方でも、各議会で取り上げてきた問題でもあります。しかし、10年前の数字と比して大きく悪化。何もしていないわけではないですが、国や自治体が行ってきた「対策」とされてきたものは、「対策」になっていなかったということになります。

いじめ対策もそうですが、結果が大事。今回の調査結果を受けて、どのような「対策」を打ち、どのように各地各事業の「結果の検証」を行っていくのか。子どもたちのためにも、真摯な姿勢が問われます。 

DSC_3808昨日は午前中に2件の市民相談対応の後、市役所経由で東京へ。何のご縁か、市民相談は別々の案件でしたが、2件とも著名な芸術家の方。豊かな文化芸術の街にしたいとのお気持ちが伝わってきます。

ところで、日本では、人手不足などの理由から、宅配便の料金見直しが進んでいます。うちも大変お世話になっています。他国はどうなのか。

日経新聞の記事からです。「シリコンバレーの中心、パロアルトの目抜き通りで宅配ロボットベンチャー、スターシップが先月、路上試験を始めた。6つの車輪が付いた運送用ロボットが時速約6キロメートルで目的地を目指す。都市部の配達を置き換える構想で、同社幹部は「人よりコストは安くなる」と語る。

 米国で即日配送が可能なのは都市部のみ。時間指定は限られた地域だけで基本的に再配達はしない。米アマゾン・ドット・コムで生鮮食品を含む即日の時間指定サービスを使うには年間3万円ほどかかる。これをロボットやドローンに置き換える計画が進む。

 米国のネット通販の売上高は前年比15%のペースで増えるが米郵便公社(USPS)の宅配件数の直近5年の年増加率は約8%。運送業者の業務効率化のほかアマゾンは都市部で自社配送して対応している。配送網に過度の負担はかけない。無理をすれば離職者が増えるとの読みもある。

 パロアルト周辺の運送員は一度ベルを鳴らすと箱を置いて立ち去る。受取人がいるかを確認はしない。盗難されても報告すれば新しい製品が送られてくる。家具など大型製品だけでなく数万円の家電製品も野ざらしにされる。盗難補償より再配達の時間の方がコストがかかるという思想で運営されている。国土が広いため、きめ細かなサービスはどだい無理な話で、消費者もそれを容認しているから宅配危機は起こりえない。」

こういう記事をみますと、アメリカは競争社会で、格差が激しくて、という話はよく耳にするものの、資本家による労働力の搾取は、日本の方が強烈なのかもと感じます。

企業戦士、モーレツ社員など言葉で背中を押され、日本を支えてきた日本の労働力。その一方で、人間的なものを犠牲にしたことで、体調を崩したり、過労死に至るケースが社会問題となっています。

企業の発展と個人の幸せのバランスをいかにとって行くか。労働者の権利を守る、社会福祉を充実させることへの取り組みを、常に怠ってはいけないということではないかと思います。それこそが政治の役目と思います。

DSC_3745昨日は朝から断続的な打ち合わせの後、午後から東京へ。気温の変化大きいこの頃。元気が取り柄の私も、急に寒さを感じると、イマイチ調子が悪くなることがあります。昨日の友人との会話の中で、移民を受け入れるかどうかが話題に。「問題はあっても、経済成長を続ける国は移民を受け入れているところ」「移民問題における、政治的、経済的な問題をいかに乗り越えるかの力量が試される」等々、多岐にわたる話が続きました。

先日、東北大学大学院文学研究科の佐藤弘夫教授のインタビューを目にしました。今の時代を読む大事な指摘。ご紹介します。

「Q:近代のヒューマニズムは「人間中心主義」に陥ってしまったといえる。そこには自分さえ、今さえよければいいという、目の前のものへの現世的欲望に支配された人間像が浮かぶ。現代が「死を忘れた文明」とされることにも通じるといえる。
  
A:まさにその通りで、近代化はカミと同様に死者をも排除してきました。私たちは今、病院で「何時何分ご臨終です」と明確に生死の境目を区別しますが、そこには、死を目に見えない恐怖の世界として忌み嫌う近代の発想が表れているといえます。

 どうせ死んだら終わりという発想は“今世さえよければいい”という思考を生み、また“無理にでも生の側にとどめよう”という考えにつながる。しかも、その根底には、死への大きな不安を抱えているのが現実です。

 しかし人類は、死者を弔わない文明がなかったように、人生は死後まで穏やかであってこそ完結するという思想を持ってきたといえます。死後もなお、死者は生者とつながり続けられることで、いつかは死を迎える生者も安心して生きることができる。さらには、定期的な死者とのつながりを通し、それを緩衝材として、共同体の中の生者を穏やかにつなぎ直してきたともいえます。
  
Q:若者が容易に排外主義や孤立状態に陥りかねない現代社会の中で、未来に、人生に希望を見いだしていくためには、何が必要だろうか。
  
A:今やスマホから誰でもアクセスできるネットの空間は、一見、開かれているように見えます。しかし実は、自分の周りの理解できないものを排除し、公共空間をつくることができない孤絶した人たちが多くいる、閉ざされた空間であることも分かってきました。

 これはグローバル化が進む現代、国境や壁はなくなってきているように見えて、実は人の心の孤絶性は高まっているのと、同じ構図だと感じています。

 希望というのは、自分は一人きりではなく、周りをも変えていける存在なんだと自覚できた時に生まれてくる。

 それを実感するための知恵は、スマホでは簡単に見つからない。人類が長い年月を経て積み上げてきた、思想・哲学・宗教をはじめとした人文学の教養の中に眠っている。教養とは議論の作法であり、人と共存していく作法のことです。

 そうした教養の力を身に付け、自分の周りに一つずつ「公共的な空間」を生み出す実践の中で、自分は社会を変えられるという希望を抱いた人生を歩んでいく。若い人たちにはそれができると信じています。」

教授の指摘は「学ぶことは、人をつなぐ力をつけること」と感じました。生涯青春、生涯勉強という言葉がある一方、学ばずは卑しとの言葉もあります。孤絶性の高まりが人間の卑しさを増していく。スマホも携帯も便利ですが、人間として、顔を合わせて対話することの重要性を感じます。

DSC_3802昨日は朝から横浜港の大桟橋へ。秋篠宮殿下、妃殿下をお迎えして、平成29年全国都市緑化祭の記念式典。午後から市役所で団会議の後、地元に戻って会議。花いっぱいの横浜。花も色々。美しさも様々。人も同じ。

先日のコラム「名字の言」が心に残りました。

「人通りが少ない路傍にタンポポを見つけた。誰もが見上げる華やかな桜に負けまいと、足元で懸命に“春の到来”を告げている一輪の花がいとおしい。

タンポポはアスファルトの隙間や崖など、あらゆる場所でかれんな姿を見せる。その秘密は地中深く伸ばした「根」にある。長いものでは、1メートルに達するものもあるという。花が咲いた後の綿毛は風に乗り、土さえあれば、その場所に根をおろし、再び花を咲かせていく。

タンポポの英語名は「ダンデライオン」。語源はフランス語で、“ライオンの歯”という意味だ。ギザギザの葉が、それに似ていることから付けられたという。仏典では百獣の王であるライオンを「師子」と名付けている。「師子」を思わせるたくましさこそ、タンポポの特徴なのかもしれない。(中略)

DSC_3801華やかな場所でなくとも、誰が見ていなくとも、凜と咲く小さな花。その姿は、“たくましく生き抜け”と、私たちに呼び掛けているようだ。」

こうでありたいな、と思いました。

DSC_3409昨日は港北区での市民相談対応の後、東京へ。横浜市では、性的少数者の方々に対する差別や偏見、暮らしの中での困難などを解消するため、足りない点はありますが、様々な支援事業を進めています。LGBTについて、市は次のように見解を示しています。「同性が好きな人や、自分の心の性と体の性が一致しないと感じる人がいます。こうした性的少数者の方々は、なぜそう感じるのかわからないまま、誰にも相談することができず、必要な情報にもたどりつけず、周囲からの心ない言動で傷つけられ、孤立してしまうことも少なくありません。誰もが、社会の中で安心して暮らせるようになることが大切です。」当然ながら、排他的な対応はしないということです。

「フレンドシップよこはま」http://www.city.yokohama.lg.jp/shimin/jinken/seitekisyoususyasien/20151125170907.html

先日、日経新聞に「LGBT支援、自治体が加速」と題した記事がありました。

「首都圏自治体で性的少数者(LGBT)を支援する取り組みが加速してきた。神奈川県は1月、庁内のセクハラ規定にLGBTも含めることを明記。横浜市は4月以降、同じ悩みを持った人たちの交流事業を拡大する。LGBTを巡っては、理解不足に起因する差別感情も根強い。自治体が率先して啓発に取り組むことで、誰もが暮らしやすい社会につなげる。

 神奈川県は1月、「県の職場におけるセクハラ防止に関する指針」を改定し、「セクハラは同性に対するものも含まれる」としたほか、「性的指向や性自認にかかわらず対象となる」と明文化した。

 従来の指針でもLGBTに対するセクハラは懲戒処分などの対象となっていたが、「あえて明文化することで、庁内への周知徹底を図った」(県総務局)。県は併せて職員への研修も強化。理解促進に努めるとしている。

 (中略) 一方、横浜市は4月以降、LGBTの人同士の交流事業「フレンドシップよこはま」を、市内の複数拠点で開催する。同事業は15年末から戸塚区の男女共同参画センター横浜で月に2回開催してきたが、「自分がLGBTなのか、まだよく分からない」「周囲の目を気にせず、性的指向についての専門書を読みたい」などの声の高まりを受けて、事業を拡大する。

 同性カップルを、「パートナー」として独自に認める動きも広がっている。東京都渋谷区は15年11月から同性カップルを、「夫婦と同等」として認める証明書の交付を始め、家族向け区営住宅にも入居できるようにした。世田谷区も同性パートナーシップ宣誓書を受け付け、写しと受領証を渡している。

 豊島区の職員互助会も、事実婚に準じて、「結婚祝い金」(1万5千円)とパートナーへの「病気見舞い金」(1万円)を、同性カップルに支給する方針を固めた。5月の総会での正式決定後、支給を始める。

 神奈川県横須賀市の市立市民病院と市立うわまち病院では、意識がないなど判断能力がない患者に手術する際、同性パートナーも同意書の署名者として認めている。」

誰もが安心して生活できる環境を整備すること。人それぞれ感じ方も違いますので、簡単なことではありませんが、それは、差別がないと感じることのできる環境をつくる挑戦を続けるの中にあるのだろうと思います。頑張ります。

DSC_3797昨日18:30、横浜市からの緊急情報として「Yahoo防災」の自治体からの緊急情報として「横浜市からのお知らせ」が届きました。「こちらは横浜市です。弾道ミサイルが落下する可能性がある場合に取るべき行動と避難方法が、内閣官房の国民保護ポータルサイトに掲載されましたのでお知らせします」というもの。先日、ご紹介した取り組みですが、重要ではありますが、こんな情報はないに越したことはありません。

昨日は江田駅前での街頭演説、市政報告配布の後、市役所へ向かい各種作業。途中、市民相談が入り、話を伺っていると、「大学を卒業した子どもが、今月入った会社だったが、ブラック企業でどうしたらいいのか」とのご相談。よく聞いてみると、本当にひどい実態。労働力を、若者を食い物にしているとはこのことだと思うほど。人間じゃない、畜生むき出しの傲慢で利己的な大人たち。自分自身が賢明になることは、大人として当然のこととして、未来を担う青年たちを守っていかねばなりません。

ところで、それほどうまくないので恐縮ですが、英語は大事です。先日、日テレの「バンキシャ」を見ていると、中国から日本の高校に留学した学生にインタビューした場面がありました。「日本の高校でやっている英語は、中国では小学校でやってます」とのこと。これが事実なんだと思います。昔から耳にしますが、日本でどれだけ受験勉強が大変だと言っても、お隣の中国、韓国や先進各国から見れば楽なものだとか。よって、その外国の子どもたちが、自国の国立大学をあきらめ、日本に来て東大などの一流大学に数多く入学しているようです。世界で戦う大学側にしてみると、いかに優秀な人材を集めるかに将来がかかっているわけですので、外国からの入学者は大歓迎(日本人との日本語での受験競争です)。入学者数を見ると明らかに増加しているそうです。島国にこもることなく、外を見て行動しなくてはならないと思います。

先月、年度末の読売新聞が「小学校教員の採用、34教委が英語力で優遇措置」と題して記していました。

「今年度の小学校教員の採用試験で、実用英語技能検定(英検)や英語力テストのTOEICなどで一定の英語力が認められた受験者に加点などの優遇措置を取った教育委員会は、全国68都道府県・政令市などのうち34教委に上ることが文部科学省の調査でわかった。

 調査は教員採用を行う47都道府県と20政令市、1地区を対象に採用試験の実施方法などを尋ねた。

 それによると、福島県や静岡県、大阪府、長崎県など26教委は英検やTOEICなどの結果が一定水準の受験者に対し、1次試験や2次試験で加点を行った。加点は2点から30点まで教委によって幅があった。」

国で一律に基準を設けるのでなく、各地域の状況に応じて検討されているようです。政治における孤立主義的な流れや、個人においても孤絶性の強まる世間にあって、英語という世界共通語へのニーズは高まるばかり。英語に限らず、短期的な現象と、長期的な流れを見極めながら、「何のため」を大事にしながら、今何をすべきかを考えたいなと思います。

DSC_3790昨日は地元の会合、市民相談対応等。昼はコンビニの「ざるそば」。「ざるそば」と「もりそば」の違いは、海苔が乗っているかどうか、ワサビがついているかどうか。とはいえ、「もりそば」でもワサビがついているのしか見たことないですが。「盛る」という使い勝手のいい言葉。ごはん、くすり、まつ毛。そばの大盛りは歓迎ですが、盛られた話は困りものです。

先日、日経新聞コラム「大機小機」に「エビデンス対エピソード」と題した指摘がありました。

「米国の大学が使う経済学のあるテキストに、次のような記述がある。「政策問題に関し、エコノミストの間では常に異なった見解が存在する。しかし最も幅広い合意があるのは、自由貿易が経済全体に大きな利益をもたらす点だ」

 正統派エコノミストと良識あるジャーナリズムは、エビデンス(証左)に基づく経済政策を行うべしと長く主張してきた。しかし今、政治的な「エピソード」が経済的な「エビデンス」をしのごうとしている。

 トランプ米大統領はフォード・モーターに圧力をかけ、工場のメキシコ移転を止めた。これで800人程度の地域の雇用が守られるという。「大統領は我々の味方だ」というエピソードとなり、政治的に大きな力を持つのだろう。しかし労働市場では1日に7.5万人がリストラされ、新しい職場に移っていく。結果としてほぼ完全雇用の状況に近づきつつある。そのなかで800人の雇用維持にどんな意味があるのか。

 むしろ過剰な政府介入が経済活力をそげば、中期的に数十万人以上の雇用が失われるかもしれない。同様に、2国間の貿易収支にこだわり、無理な関税を課せば、活力がそがれることをエビデンスは示している。

 トランプ氏の登場以降、自由貿易のメリットが軽視され、政治的なエピソード重視を当然のように受け入れる風潮が広がっている。一部のエコノミストやジャーナリストの間に、政権の短期的な対応に注目するあまり、保護主義の負のインパクトが忘れられる傾向があるのは気になる。

 ある政治専門家によれば、トランプ政権には3グループが存在する。元経済人・実務家、元軍人、過激な大統領側近だ。このうち経済人と軍人のグループは、過去の経緯も踏まえ、エビデンス重視派と言っていい。一方、第3のグループは次の選挙での勝利を最大目標とし、政治的なエピソードを積み重ねようとしている。現実の米国の政策は3グループのパワーバランスで決まるというのだ。

 日本政府が大統領の主張に正面から反論するのは難しいだろう。だからこそ正統派エコノミストやジャーナリストが、声を大にしてエビデンスに基づく政策、つまり反保護主義を唱えるのが重要だ。自由な経済活動を阻害することの弊害はあまりに大きい。」

事実、真実が大事です。

DSC_3789昨日は朝から県本部での会議。向かう途中、横浜公園内の横浜スタジアムではベイスターズの選手が練習中。時々、球団のサービスで中を見ることができます。その後、中区の会合、地元に戻ってお世話になった方の通夜に参列。

団塊の世代が75歳を超えて後期高齢者となる事で、介護・医療費など社会保障費の急増が懸念される「2025年問題」。地域包括ケアシステムの構築など様々な準備が進められていますが、先日、日経新聞「ニュースのトリセツ」のコーナーに「迫る日本の「2018年問題」と題した記事がありました。色んな問題があります。

「時折、教育関連の記事などで「2018年問題」というキーワードを見かけるようになりました。これは日本の人口減少社会を象徴する現象のひとつで、18歳人口が18年ごろから再び減少期を迎えるという予測に基づいたことばです。

 政府の統計などによれば、18歳人口は直近では1992年の205万人をピークに減少し、ここ数年は120万人前後と分析されています。今後については様々な見方がありますが、近い将来には100万人を下回るとの見通しが出ています。

 「2018年問題」は、特に若者たちを受け入れる大学などの教育機関の経営やあり方に影響が及びます。とりわけ全国には約600もの私立大があり、既に4割が定員割れに陥っているとみられているからです。

 大学だけではありません。いま、18年春に卒業する学生の就職活動が動き出していますが、人材を採用する企業の経営にも影響します。企業の活力や技術力はまさに人材に支えられています。日本経済の成長力や国際競争力に直結する問題でもあるのです。」

人によって捉え方はそれぞれですが、大学であれ、学生であれ、現実を嘆いても自分の思い通りにはいかないというのは道理かと思います。うちの子どももそうですが、しっかり力をつけて、社会に出てほしいなと思います。

DSC_3749昨日はたまプラーザ駅前での街頭演説からスタート。夜は青葉公会堂で党支部会。市政報告と共に、いわゆる「テロ等準備罪」の説明などを行いました。

イギリス議会の解散、そしてフランス大統領選挙も気になります。的確に民意を反映できるかどうか。今週のフォーリン・アフェアーズ・リポートをチェックしていますと、「メディアとしてのインターネットが、民主主義を求める声を増幅させるのは、すでに、民主主義への希求が存在する場所においてだけだ」「(専門的見解に対する)ある種の信頼と相互尊重を取り戻さない限り、世論における議論は、根拠なき意見への追随によって汚染されてしまう。そのような環境では、民主主義の終わりを含む、あらゆるものが現実となっても不思議はない」などの鋭い指摘がありました。メディアの役割は大きいです。公明新聞コラム「北斗七星」からです。

「2人とも1889年の4月に生まれた。20日が誕生日のヒトラーと、その4日前に産声を上げたチャップリンである。

共通点は、まだある。希代の喜劇王はスクリーンを通じて感動を与え、ナチスの総統も映像を中心とするメディアを「戦車や爆撃機と同じぐらい重要な武器」(「チャップリンとヒトラー」大野裕之 岩波書店)として重宝した。

両者の戦いは名作「独裁者」で決着がつく。「民主主義の名のもとに、持てる力を集めよう」。映画史に残るラストシーンの呼びかけは人々の心を摑んだ。逆に、パロディー化されたヒトラーは、その後の演説回数が「極端に減っていく。リアルな戦場での敗北より先にメディアという戦場からの撤退を余儀なくされた」(同著)。

排外的なナショナリズムに訴えて、国民の支持を広げようとする動きは今も欧州などにはびこる。時代背景も経済情勢も異なるので、強権的な政治勢力の伸長が、直ちにかつてのような全体主義の復活につながるわけではない。しかし、そうした勢力は不確かな伝聞や嘘・デマを駆使して、人々の冷静な判断力を鈍らせようとする。放置すれば、民主主義を蝕みかねない。

虚実の境界線が曖昧な時代こそ、民主社会の基盤であるメディアの役割が重みを増す。持てる力を集め、発揮してほしい。」

「民主社会の基盤であるメディア」。日本でも、世界でも、社会のために役立つメディアに頑張って欲しいです。

DSC_3679昨日は地元企業へのご挨拶の後、市役所へ向かい各種打ち合わせ等。途中、国際局からメールが入りました。林市長も参加した昨年の第6回アフリカ開発会議(TICADⅥ)の「廃棄物管理セミナー」を契機として、このほどアフリカのごみ問題の解決に向けた「アフリカのきれいな街プラットフォーム」が設立されることになった。具体的な解決を進める上で、ごみ問題で豊富な経験を持つ自治体の参加が不可欠であり、横浜市は本プラットフォームへ積極的な協力を行うというもの。とてもいい話ではないかと思います。益々、世界に貢献する横浜にと願っています。

先日、日経新聞「半歩遅れの読書術」のコーナーに、文化人類学者の渡辺靖氏が寄稿されていました。同氏のアメリカに関する著作は秀逸。よく読ませて頂いていますが、この読書術のテーマは「地球の歩き方」。私も学生時代から大変お世話になり、今となっては子ども達に引き継いでいます。因みに、比べものにはなりませんが、同氏は私と同い年。親近感を感じます。

「ふと自宅の書棚を眺めてみると、黄色い背表紙の一角が自己主張してくる。『地球の歩き方』だ。手元にあるものだけで19冊。随分とお世話になった。私が大学生だった1980年代後半。すでにガイドブックの代名詞になっていた。初めて購入したのは留学先の「アメリカ」版。旅行者の口コミ情報はとりわけ斬新で重宝した。今日のネットレビューの先駆けと言って良いだろう。

 初刊は79年。現在、約120タイトルあり、年間発行部数は約800万。バブル前夜の「国際化」の時代から、まさに日本人にとって「世界」への入り口となってきた。『歩き方』だからこそ見える世界のリアルもあろう。日本人の世界認識の変容を読み解くヒントにもなりそうだ。いつかそんな本も書いてみたい。

 その半面、書棚に並ぶ『歩き方』を見つめていると切なさにも襲われる。育児から受験、終活までマニュアル化し続ける日本の日常。その上さらに異国や異文化との出会い方までマニュアル化されてゆくこと。非日常の体験においてすら無駄が忌避されてゆくこと……。

 無論、これは『歩き方』だけの問題ではなく、グローバル化する現代の宿痾(しゅくあ)でもある。既視感を増す一方の世界。そこから抜け出す術(すべ)も狭まるばかり。いや、それどころか、抗(あらが)い方そのものすらマニュアル化されつつある。

 もはや独自の視点を持って他者を見つめ、描き出すことなど不可能なのか。個人であれ、国家であれ、今日の世界において独自性などというものはいかに抱き得るのか。かつて人類学者が好んで訪れた「未開社会」を日本のバラエティ番組が気軽に訪れ、ジャングル奥地の先住民がそれをスマホで観(み)る時代。

 他者性とはどこに見出(いだ)すべきものなのか。残されているのは小さな差異のみなのか。他者理解を生業とする一人として、根源的な問いを突きつけられている気がする。

 さすがに『歩き方』を片手に米国に赴くことはもうない。現地の地図さえスマホ頼みになって久しい。それでも『歩き方』を大切に保管しているのは、その問いを忘れないためでもある。

 世界に開かれてゆく喜びと世界が閉じてゆく哀(かな)しみ。そんな現代世界の両義性を反芻(はんすう)するのが私なりの『地球の歩き方』の歩き方である。」

この指摘、わかるような気がします。他方、子どもたちを見ていると、国の内外問わず、それはそれなりに新たな発見を続けているようにも感じます。時代が変わり、環境が変わり、自分も変わる。人類2000年の歴史で発信された情報量が、ネットによって1年で発信されている時代とか。めまぐるしく変化する時代。ついていけているのかもわからないこの頃。ある意味で、まだ「大航海時代」なのかも知れない。いや、ずっと「大航海時代」なのかも知れないなとも思います。

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