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公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

「目覚める40億人の力」について 3363

未分類 / 2016年1月22日

DSC_0241昨日は終日地元の企業等へのご挨拶まわり。先日の積雪、週末の降雪予報と対策の話題が多かったです。ホームセンターで融雪剤を購入しました。

途中、我が家がお世話になっているホームドクターのところへ。種々お話を伺う中、患者さんに外国籍の方もいらっしゃるとのこと。インドの民族衣装・サリーまとったご家族も。看護師さんのお一人が英語が堪能なため噂が広がったようです。昨年の訪日外国人観光客は2000万人目前まで来たとの報道がありましたが、観光立国・日本へ急速な変化を見せています。日本への外国人観光客の方も、日本で生活の基盤をつくられる方も、安心して過ごせる環境の整備はまだまだこれからです。

日経新聞連載の「アジアひと未来」。インドの俊英を引き合いに、目覚める40億人の力と題した記事がありました。興味深いです。

「アジアの「ひと」が輝きを増している。グローバル経済のけん引役として、国際秩序の変革者として、文化や芸術の創造者として。人口の2人に1人を占める彼ら、彼女らの活躍が、世界を変えようとしている。 

インドの気鋭の起業家、リテシュ・アガルワル(22)の電話が鳴ったのは昨年5月だった。

 17歳でベストセラーを著した「神童」は大学を3日で辞め、格安ホテル専門の予約ウェブサイト運営会社オヨ・ルームズを起業した。シャワーが出ない、薄暗いといった「安かろう悪かろう」のサービスを改善指導して自社ブランドで紹介。2年目で加盟ホテルは4千を超え、急成長中だ。

 怖い物知らずに見える彼が、電話を受けて「たまらなく緊張した」と明かすのは、相手がソフトバンクグループ副社長、憧れのニケシュ・アローラ(47)だったからだ。

 アガルワルが招かれたニューデリー郊外の自宅は中2階もある豪華アパート。「全室に無料Wi―Fiがあるといい」「清掃車を巡回させてはどうか」。熱心な助言に引き込まれ、あっという間に3時間が過ぎた。

 帰り際に言われた。「君を気に入った。僕はどう?」。一も二もない。1億ドル(約120億円)の出資が翌日決まった。

 アローラは米グーグル上級副社長から2014年9月、ソフトバンクグループ社長の孫正義(58)の誘いで移籍した。報酬は165億円だった。

 「同じ考え、同じ情熱を持つ君を見つけた」。孫の後継指名の言葉をアローラはこう引き取る。「ソフトバンクのDNAは若さ。でもマサも僕も若い頃には戻れない。ならば世界を変えたいと願う若者たちを助けたい」

 有望ベンチャーに出資して「若く情熱的な創業者たちの集合体を築きたい」と孫。目利き役と頼むのが「分身」のアローラだ。入社1年余りでオヨのような新興10社超に40億ドル規模を投じた。

 「リスクを取れ」が口癖だ。アローラの半生はその言葉を地で行く。

 空軍勤務の父の中流家庭に育ち、インド工科大を出てパソコンのセールスマンになった。1989年、21歳で米国行きを決意。会社を辞め、片道航空券を買った。所持品はかばん2個と現金100ドル。乗り継ぎの英ヒースロー空港で10ドルのサンドイッチを買う手が震えた。米東部のノースイースタン大で夜は学生寮の守衛として働き、ノートを貸した級友の謝礼を生活費の足しにした。

 「35年間の教師生活で最も優れた生徒」と評する恩師のハーラン・プラット(65)は、企業倒産の予測モデルの誤りを指摘されたことがある。「洞察力に優れ、それを主張する強さもあった」

 92年に米投資会社で通信アナリストの職を得た。7年後、買ったばかりの家と妻子を残してドイツに渡る。「安定した暮らしをなぜ捨てる」。心の葛藤を振り払った。ドイツテレコムの携帯電話子会社を経て、04年には創業7年目のグーグルに転身。欧州事業を10倍に育て、11年にシリコンバレー本社で全世界の営業責任者に就いた。

 渡米という最初のリスクを冒したのは「世界に飛び出せ」と説いた雑誌の論文に触発されたからだ、という。当時のインドは統制経済下で発展が遅れ、政治・経済分野は既得権益層が牛耳っていた。中流階級出の優秀な人材の出世の道は、国営企業のエンジニアか医者くらいしかなかった。

 時代が味方した。まさに89年に東西冷戦が終結しグローバル化の号砲が鳴った。90年代初めにはインターネットが注目され、IT(情報技術)革命が芽吹いた。閉塞感を突き破りたいインドの俊英は続々と海を渡った。

 あれから四半世紀余。電気技師の息子で93年に米に向かったスンダル・ピチャイ(43)は昨年、持ち株会社下の事業会社グーグルの最高経営責任者(CEO)に就任した。アローラの1年前に渡米したサティア・ナデラ(48)は14年にマイクロソフトCEOに就いた。

 インド独特の理系教育で身につけた論理的思考力、州ごとに約20の公用語がある国で育った多様性への免疫力が彼らの武器だった。同じ40代の彼らが世界に冠たるIT大手の頂点に並び立つのは決して偶然ではない。

 グローバル化とIT化はかつて見切った祖国をものみ込んだ。91年以降の経済開放でソフトウエアなどのIT産業が台頭した。インド経済はここ10年間に年平均7.5%の高成長を遂げた。

 覚醒した巨象――。その潜在力を知り尽くす先駆者たちは今、競うように祖国へ凱旋している。

 昨年12月16日、ピチャイは首都ニューデリーで大規模なWi―Fi整備計画を表明した。「インドが私に与えてくれた以上のものを返したい」。ナデラは11月5日に商都ムンバイで講演し「ここに来るたびにエネルギーをもらえる」と話した。

 そしてアローラ。10月13日、「ITの聖地」バンガロールに集まった700人を超す若手起業家たちに語りかけた。

 「自分の道に打ち込んでほしい。君たちが僕を探さなくても、僕が君たちを見つけてあげる」

 インドだけではない。グローバル化とIT化の大波は政治や経済、社会の旧弊からアジアの人たちを解き放つ。40億人の潜在力が目覚める時、これまで欧米主導で形づくられてきた国際秩序や企業競争、技術や文化など世界の枠組みが塗り替わっていく可能性がある。」

ビジネスに限った話ではないように思います。変化の連続。政治も、地域も、家族も、変化の連続。そこに何を感じ、どう行動するか。

哲人の言葉があります。「『志』は”心指し”。”心の指す方向”へ、人は成長していける。高い志を抱けば、足元の課題も、未来の世界も見えてくる。」

今日も前を向いて進みます。