国連の力について 3093
昨日は統一地方選挙後半戦最終日。地元での農協祭りの後、伊勢原市へ。今日の審判を待つのみです。
国会議員であろうと、地方議員であろうと、日本の政治家が目指すべきもののひとつに「平和」があります。一人の力に限界があろうとも、対話と協調の中から、創造されゆく「平和」があります。様々な批判の矢面に立つことはあっても、世界平和実現へのテーブルのその中心が国連であることは間違いないと思います。
先日、日経新聞コラム「春秋」が指摘していました。
「国連にどれほどの力があるのか。安全保障理事会や総会決議で非難されても馬耳東風の国々をみると、悲観せざるを得ないこと再々である。それにしても、23年間も総会が毎年同じ決議を繰り返し、アメリカがほおかぶりを決め込んできた図式は、異常というほかない。
対キューバ経済制裁の解除を米国に求める決議が国連総会ではじめて採択されたのは1992年だ。賛成59、反対3(米、イスラエル、ルーマニア)、棄権71という数字に、大国への遠慮がにじんだ。それが様変わりし、去年は賛成188、反対2(米、イスラエル)、棄権3。当初は棄権した日本も97年に賛成に回った。
そうなると、はたからは米国とキューバ、どちらが孤立しているのか分からない。その両国首脳が59年ぶりに会談した。互いの言い分に隔たりはあろうが、正常への大きな一歩である。オバマ米大統領が生まれたのは両国が断交した61年、キューバ国民の76%は経済制裁のない生活を知らないという。歳月の長さが知れる。
「他国より優れた国はないし、他の人民より優れた人民もいない」。キューバのフィデル・カストロ前国家評議会議長はそう言った。150キロの狭い海を挟んで角突き合わせてきた両国の和解に大切なのはそんな気構えか。この秋、24回目の総会決議が採択され米国がまた無視して、というなりゆきだけはごめんこうむる。」
一人の人生にも、会社の判断にも、政治決断にも、何事にも重要なタイミングというものがあります。その選択を過たずできるかどうか。各国とともに平和を目指しているならば、平和の共有を求める人々が嫌がることはしない。国家間もひとりの人間関係も同じようなものかと思います。当たり前のことですが、言っていることと、やっていることが異なる場合、どれだけ本人が言葉巧みに平和を訴えても、周りは受け入れることは難しく、対応に困ります。ひとりだけで、一国だけで平和が築けるわけではありません。話し合いが重要。
大事なことは、目先の利益に振り回されない、目的を忘れない、そうした精神を持っているかどうか。政治家の哲学が問われる重要な時であると思います。そうした中で、国連の重要性が再認識できる今年であって欲しいと願っています。