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バックナンバー 2014年 12月

CAM00019今年もお付き合い頂きまして、誠にありがとうございました。多くの方々にお支え頂き、感謝、感謝です。

昨日もご挨拶まわりをしていますと激励のお声を頂きました。こうした声が励みとなり、活力となり、生きがいになっています。

日経新聞の「らいふ」欄の「プロムナード」というコーナーに「人生の逆算」と題して批評家の佐々木敦氏が寄稿されていました。

「あえて名は秘すが、その昔、ある詩人の何冊目かの詩集を読んでいて、あとがきに書かれていたことにひどく感銘を受けたことがあった。その方は詩だけでなく評論や小説も書くのだが、そこには彼がこれからするつもりの仕事の予定が列挙してあり、最後に、自分が生きているあいだに出来るのはこれが全部だ、という意味のことが書かれてあったのである。正確にどんな言葉遣いだったのかは忘れてしまったが、いずれにせよ、その妙に毅然としてさばさばしたあとがきを読んで、私はこう思った。ああ、このひとは、自分の人生が有限であることをよくよくわかっている。このひとは、自分の人生のおしまいから、これから出来ることを逆算しているのだ。

 その詩集を読んだとき、私はまだ20代の終わりだった。だが、すでにフリーランスになって筆一本で生活していて、いよいよ三十路に差し掛かろうという時期であったことも影響していたのか、とにかくそのあとがきに、ひどく心動かされた。ほとんどショックであったと言ってもいい。もう若くはないとはいえ、まだまだこの先どうなっていくのか自分でもよくわかっていなかったあの頃、人生の有限性をかくも明晰(めいせき)に自覚して、残りの時間で自分にやれること、やるべきことの計画を淡々と書き記すその文章に、それまで未来へと向かうベクトルしか感じられていなかった私は、逆向きのベクトル、すなわち自分の人生の終焉(しゅうえん)から現在に向けられたベクトルの存在に気づかされた。そんなことは誰に取っても当たり前のことなのに、まったくわかっていなかったのだ。たかだか長くて100年くらいの時間のあいだに自分ひとりがやれることなど、所詮限られているのだということを。

 それから約20年が経過して、私は、その詩人が私にショックを与えたあとがきを書いた年齢をとっくに超えてしまっている。その人と自分は10歳程しか離れていないので、人生の残り時間を算出してみせたとき、彼はまだ40歳そこそこだったのだ。いま50歳の私は、いよいよ本気で、残された人生の計画を立ててみるべきなのかもしれない。だが、確かに20年前、私は詩人のいわば「人生の逆算」に強く揺り動かされたのだが、実をいえば、だからといって計画的になったわけではなかったのだ。私が、そのときに得た教訓(?)は、むしろ、人生が有限であるからこそ、これからはもっと、したいことをしてゆこう、というようなことだった。ポイントは、人生は有限であると同時に、いつ終わってしまうか誰にもわからない、という歴然たる事実だ。やはり特に名を秘すある映画監督がインタビューで、別荘の書棚に未読の大量の本が並んでいて、引退したらゆっくり読むつもりだと語っていて、それから間もなく亡くなってしまった。彼は読もうと思っていた本をほとんど読めなかっただろう。個人の話に限らないが、将来の計画というものは、時としてひどく虚(むな)しい。

 だから私は、あの詩人のあとがきを読んでからというもの、自分の人生がいつ突然に終わってしまってもいいように、どこか身構えながら生きてきたように思う。その身構えは、ともすれば、性急さや無軌道さ、あるいは一種の放縦さに結果したこともあったかもしれない。けれども自分には、計画表や工程表よりも、目の前の何かに反応してゆく方が向いている。そう思うのだ。」

私の場合、逆算などはできていませんが、時に見失うことをがありましても、人生の目標に向かって、なんとか前に進むようにやっているつもりです。前に進もうとすると、何かと変化があり、風が吹いたり、壁があったり、失敗もしますし、そして新たな風景が見えたり。時に止まっているように感じることもありますが、何かとありましても、ひたすら前に進むことが大事かなと思っています。

人生について、それぞれ考え方があると思います。「旅の恥はかきすて」のような人生にならないように気をつけたいですが、できる限り、人に尽くす、社会に貢献する、喜びを分かち合うことで得られる人生の充実。それを求める生き方は、人間ならではの生き方かなと思います。

 

CAM00033 (2)昨日は市民相談の後にご挨拶回り。夜は青葉消防団・第三分団第2班の一員として出動。19時から24時頃まで街の警備にあたりました。皆さん、世のため、人のために一肌脱ごうという方々ですので、心ある良い方ばかりなのですが、人員不足は課題です。

消防団員の確保は全国的な課題。私も議会で取り上げてきましたが、横浜市において条例で定める消防団員の条例定数8,305人に対し、実員数は約7,200人。地震や豪雨などによる災害の発生が危惧される中、消防団員の確保は、まさに喫緊の課題です。

昨日の神奈川新聞でもこうした問題を記事にしていました。

「全国の消防団員総数が今年4月1日時点で前年から4525人減の86万4347人となっていたことが、総務省消防庁の集計で分かった。減少していたのは神奈川を含む35の都道府県。消防団を地域防災の中核と位置付け、自治体などに一層の加入促進を求める消防団等充実強化法が昨年12月に施行されたが、依然として減少に歯止めがかかっていない。

 江戸時代の町火消(びけし)の流れをくむ消防団は120年余りの歴史を持つ。消防組織法に基づき、市町村がそれぞれ定数を定めて設置しており、都道府県別の団員数は最も少ない沖縄で1600人余り、最多の兵庫では4万4千人近くを数える。戦後しばらくは全国の総数で200万人を超えていたが、その後はほぼ一貫して減少が続いている。」

9月の一般質問でも、林市長に現状認識と加入促進策について質しましたが、来年は一歩も二歩も踏み込んで対策を進めなくてはなりません。来年の課題のひとつです。

CAM00029 (2)昨日は、書類作りに打ち合わせなどの後、夜は青葉消防団の特別警戒が始まり、各消防小屋をまわりました。今夜は私も着任です。

「21世紀の資本」(トマ・ピケティ著 みすず書房)。名著と言われるだけのことがあり、多くの書評が出されています。私も読みすすめているのですが、自らの無力さと、短い人生でできることは何を考えさせられます。 

「本書は、主に所得の歴史的な変動を理解しようという15年(1998~2013)にわたる研究に基づいている」から始まり、「富の分配は、今日最も広く論議されて意見の分かれる問題のひとつだ。でもそれが長期にわたり、どう推移してきたかについて、本当にわかっているのは何だろう?19世紀にマルクスが信じていたように、私的な資本蓄積の力学により、富はますます少数者の手に集中してしまうのが必然なのだろうか?それともサイモン・グズネッツが20世紀に考えたように、成長と競争、技術進歩という均衡力のおかげで、発展の後期段階では階級間の格差が縮まり、もっと調和が高まるのだろうか?18世紀以来、富と所得がどう推移してきたかについて、本当にわかっていることは何だろうか、そしてその知識から、今世紀についてのどんな教訓を引き出せるだろうか?」

社会への信頼は、格差の是正によってつくられ、そこに政治の信頼が生まれる。公平・公正であるとともに、「機会の平等」を求める声に応えることが民主主義の基本ではないかと思います。

今日も頑張ります。

CAM00026昨日はご挨拶回りに打ち合わせ。年内の仕事を終えた雰囲気の街中で、昼は友人が営む鉄町のそば屋へ。円安や需給バランスの崩れもあって材料値上げが続く中、なんとか頑張っています。良心的な価格と味もサービスも変えないその姿に、馴染みのお客さんは離れることなく、いつも大勢の方が来られています。友人は人間的も素晴らしく、いつまでも多くのお客さんに望まれるそば屋にと願っています。

ところで、受験シーズンの只中にあるわけですが、大学入試の有り様が変わるそうです。朝日新聞からです。

「一発勝負の学力テストから、思考力や人物を総合的に評価し、合否を判定する大学入試へ。中央教育審議会の答申を受けた大変革を前に、受験生を送り出す高校からは困惑の声が上がった。一方で予備校などでは、次世代の入試に向けた対策の動きが、すでに始まっている。

大学入試センターが新試験に変わるのは2020年度だが、2次試験など各大学ごとに実施される試験は、最も早ければ今の高校2年生から変更される。知識量だけを問うよりも、部活動の実績を示す資料や志望理由書などを基に、プレゼンテーションや集団討論などを組み合わせて評価することが求められる。

「部活や学校行事に影響が出ないか気にかけているようです」。埼玉県立浦和高校で進路指導を担当する岡田直人教諭のところには、昨年ごろから生徒が入試改革について聞いてくるようになった。

浦和高では5年ほど前から、生徒が討論などをしながら学ぶ「グループ学習」を採り入れてきた。ただ、教員の間では、「討論やプレゼンが重視されるといっても、知識の吸収や定着なくして『活用』はない」と話しているという。

難関大学突破を目指し、「従来型」の受験対策を重視してきた高校は、新しい評価手法に疑問を投げかける。札幌市の私立北嶺中・高校の谷地田穣校長は「プレゼンや課題解決能力は大学に入ってからでも伸ばせる」。プレゼン能力ばかりにウェートが置かれることは疑問だという。」

変化に応じてこうした検討は必要ですし、今の時代、ひとつの試験ができるだけでなく、総合的な力が求められることは当然の話かと思います。冒頭のそば屋の友人も、笑顔でサービスを提供し、お客さんに総合的な評価を受けることで発展しているのだと思います。

総合評価。公務員や教員の採用試験にもより積極的に取り入れることが求められているのではないかと思います。

DSC_0027昨日、多岐にわたる議論を経て、最終日を迎えて条例制定や各種施策、補正予算等の議決を行い、横浜市会の定例会が閉会しました。多様な意見が飛び交う議場ではありましたが、大事なことは横浜市として取り組むべき課題を明確にし、真摯な議論を通じて市民の声を、具体的に、カタチにすることだと思います。

最近読んだ本に「『不利益分配』社会―個人と政治の新しい関係―」(高瀬淳一著 ちくま新書)があります。同氏があるテレビでバランスのとれた的確と感じる評論されているの見て、著書を購入したのですが、大変勉強になる書籍でした。

日本はこれからしばらく「不利益」の分配、負担増の時代が続く。どの政党のどの首相が政権についても、この時代の宿命は避けて通れない。こうした時代の政治がうまく機能できるかどうかは、「政治の技量に対する市民の判断力」と、「政治力」の復権にかかっている、とのような視点で論が展開されています。

同著は多くの場面で、歴史的な社会学者、経済学者などの言葉を引用していました。 「マックス・ウェーバーは、『職業としての政治』とういう講演の中で、政治には情熱が必要であると説いた。その際、かれは情熱を『事柄(ザッへ)への献身』を支えるための心情と位置づけ、間違っても政治イデオロギーへの狂奔と勘違いしないようにと忠告した。

 理想国家への情熱がどんなに強くても、それをもって優秀な政治家とは言えない。責任倫理で判断されるべき政治の世界では、自分の前に横たわる現実問題(ザッへ)への克服に粛々と取り組む強い気持ちこそ、「情熱」と考えられなければならない。ウェーバーはこう主張したのである。」

その昔、このウェーバーの考え方を学び、今は末端の市会議員として、この考え方を大事にしているつもりです。 

議論とは、互いの意見を述べ合い論じ合うことであり、民主主義国家における政治は、議論を通じて異なる立場を理解し、意見を集約することで前に進むことができます。政治の世界では、評論家のように指摘をするだけであったり、主張をするだけで、議論ができないとなると、現実問題を克服することはできません。そうなると、ウェーバーは政治家としての資質に欠けると指摘するのではないかと思います。

CAM00183 (3)昨日は終日市役所。以前からご報告しております、横浜市中期4か年計画の採決が行われ原案が可決されました。横浜市の近い将来に関する計画であり、我が党の主張も多く盛り込まれた内容になっています。目の前を見れば課題山積ですが、魔法の杖はなく、解決に向けて着実に前へ進んでいかねばなりません。防災・減災、介護、子育て支援、教育現場の充実等々、安全・安心の街づくり を進めて参ります。

ところで、今日で仕事納めという方も多いのではないでしょうか。年末年始にかけてやるべきことが多々あるかと思いますが、日頃の疲れをとったりストレス発散をしたり、大事なことだと思います。

ストレス発散の方法は、入浴、睡眠、カラオケ、飲酒、食べる、ショッピング等々、人それぞれ。私の場合は、食べることと読書かなと思います。本を読むと、時間と空間を超え、自分の悩みやストレスがちっぽけなことだと感じたり、自分の今と人生を大きく捉えることなどができます。そうした意味では、友人との出会いと同じで、古くても新しくても、良書に出会うことは大事なことだなと思います。

時々ご紹介しています日経新聞「がん社会を診る」に東京大学病院の中川一准教授が、「ストレスは免疫の大敵」と題して、ストレスとがんの関係について指摘されていました。

「東京電力福島第1原子力発電所の事故から4年近くになる今も、福島では12万人以上の県民が不自由な避難生活を強いられています。そして、地震や津波などの直接的な影響ではなく、避難生活による体調不良や過労、自殺などで亡くなる「震災関連死」が増え続けています。

 避難の長期化によるストレスが、背景にあるとみられています。ストレスは、人体内で毎日発生するがん細胞を監視する免疫の働きを抑えてしまいますから、がん予防の観点からも重要です。人間社会ではストレスを定量化することは困難ですが、ネズミを広々とした環境で飼育した場合、狭いカゴの中で飼うより、がんの成長が抑制されるという実験結果も出ています。

 全村避難を続ける飯舘村でも、高齢者が外出をしなくなって狭い室内に閉じこもる傾向が顕著です。とくに、同じ避難者でも、仮設住宅より住環境が恵まれている借り上げ住宅に暮らす避難者に健康状態の悪化が目立ちます。

 自治体が借り上げるマンションやアパートの部屋は、仮設住宅に比べて住環境はよいと思います。しかし、孤立しがちで外出しなくなり、ストレスを抱え込む避難者が多いのが問題です。

 飯舘村の村民約1000人を対象にした健康診断の結果でも、震災前後で、健康状態は明らかに悪化していました。高血圧、肥満症、糖尿病といった生活習慣病がはっきりと増加していました。

 がんの原因の約3分の2は生活習慣です。たとえば糖尿病になると、膵臓(すいぞう)がんや肝臓がんでは発症リスクが約2倍、がん全体でも2割程度上昇します。今後、がんの増加も危惧されます。

 幸い、福島県民の被曝(ひばく)量は当初の予想より少なく、とくに、食物を通した内部被曝はほぼゼロに近くなっています。国連などの国際機関も、被曝によるがんの増加は見られないだろうとの見解を示しています。それにもかかわらず、皮肉にも、がんを避けるための避難が、がんを増やす原因になってしまう可能性があると思います。

 今回の原発事故は許せるものではありませんし、国や東電の責任は甚大です。しかし、今、避難民の健康をいかに守るかを総合的に考える時期にきていると思います。」

感情に流されない、客観的かつ冷静な判断が大事ということかと思います。

CAM00157 (6)昨朝、あざみ野駅での街頭演説の後、ご挨拶まわり。そして、東京へ。夕刻は長子が所属する落語研究会のライブへ。学業とバイトとサークルと、キツイ事も、眠いことも、楽しいことも様々あるでしょうが、傍から見てて成長の糧になってるかなと感じています。

私の経験もあって、子供たちには、高校生、大学生になったら、できる限り、働きながら学ぶことを勧めています。長子はビザ屋。進学が決まった次子はしゃぶしゃぶ屋のバイトにコンビニを追加。3子は高校野球で時間がないのですが、この年末は引越し屋でお世話になるとのこと。末子はまだまだ先の話ですが。親の役目は、子供を大人にすること。何かと課題はあるにせよ、それぞれが、生きる力、自立する力を身につけ欲しいなと思っています。

以前、ボーナスが現金ではなくテレビなどで現品支給されたことが問題ではないかと指摘されたことがありましたが、年末のノルマ問題はまだ存在しています。責任者の目標達成のためにバイトにも購入を強要することもあるとか。雇用・労働政策研究者でNPO法人POSSE代表の今野晴貴氏が「クリスマスケーキの強制買い取りは違法?」と題して発信されていました。

「クリスマスが近づいている。こんな季節に続発する労働問題がある。「クリスマスケーキ」や「おせち料理」の買い取り強制問題だ。

「ウチの職場では、18000円以上のおせちをバイトが買うか売ってくるかのノルマがあります。月10数万円の給料なのに、高いもんを買わされそうで、本当に困っています」。

これは、私のツイッターに寄せられた労働相談だが、典型的な内容だ。

最近では、大手コンビニからクリスマスケーキ自腹購入の相談も続々と来ている。ある相談によれば、ケーキやお歳暮は数千円だから「まだ乗り切れる」。心配なのは、おせち料理(約2万円)の自腹だそうだ。

こうした実情を踏まえ、改めて、アルバイトの「ノルマ」や「買い取り」を法的・社会的に考ええたい。

法的には、アルバイトの商品の買い取りそのものが、即座に違法になるわけではない。買い取りを求められたとしても、アルバイトが買うかどうかは本来「自由」だからだ。問題は、それが「命令」として強制されている場合である。つまり、どの「程度」強制的なのか、どんな「方法」で買わせているのか、という二つが論点となる。

任意の勧誘→〇

例えば、「買ってほしいと思っている」とか「買う人もいるよ」という「勧誘」の程度であれば、違法だとはいえないだろう。「任意」に買い取りを行う場合には、一般の消費者と同じである。

しつこい勧誘→△

一方、何度も「買ってほしい」「買う人が多い」「バイトは買うものだ」などと繰り返していれば、たとえ強制ではなくとも、組織的な力関係(店長や上司への気遣い)から買わざるを得ない場合もある。かといって、強要や強迫ともいえない。法的な評価が難しい、一番微妙なケースである。

強要→✖

明白に違法になるのは、店長や上司がアルバイトに買い取りを「強要」している場合である。「買え」と命令されたり、「買わなければクビだ」などと言われている場合がこれに当たるだろう。この場合には命令を録音しつつ(隠し撮りは法的に合法)、はっきりと拒否するのが正解だ。後から首などにされた場合も、損害賠償を請求できる。

給与から天引き→✖

次に、「方法」が悪質な場合も違法性が高まる。商品の代金を「給与から天引きされる」という場合には、労働基準法違反になるので、刑事犯罪となる。司法警察員である労働基準監督署も取締りができる。当然、天引き分の給与はすべて請求可能だ。

罰金→✖

さらに、ノルマを達成できない場合には「罰金」を支払わせるという場合もあるだろう。だが、「罰金」もほとんどの場合が労基法違反である。「罰金」を合法に科すためには、就業規則に定めがあり、しかもそれが「合理的」な内容である必要がある。アルバイトにノルマを課して罰金までとるのは「合理的」とは言えないので、確実に違法になるだろう。

さて、このように多くが違法になる商品の「買い取り」であるが、対応方法をいくつか挙げておこう。

チェーン店の本部は違法な買い取り強制を認めていない。コンビニチェーンなどであれば、本部に通報し、店長を指導してもらう方法が有効だ。自分で電話をする勇気がなければ、私のような労働側のNPOに相談し、連絡してもらうのもよいだろう。

労基法違反の場合には、労基署に相談することが有効だ。ただ、労基署は証拠がはっきりしていないと動いてくれない。また、人員に限りがあるので、対応が遅くなってしまう可能性も高い。

法律上は違法でも、「弁護士に相談するほどでもない」と考えている人が多いのではないだろうか。確かに、金額が少額であれば、弁護士に頼むほどではないかもしれない。だが、あまりにも高額な商品を買わされたり、継続的に強制されている場合には、弁護士への相談も選択肢になる。文末に無料労働相談を受け付けている弁護士団体の連絡先を紹介しておいた。

職場全体の改善を目指すなら、労働組合に相談することが有効だ。ただし、本社の労組は小さい店舗のノルマや買い取りの問題までは扱ってくれない。社外の労組であっても、労組は個人加盟で交渉をすることができるので、そこに相談すれば、店長と交渉し、ノルマをなくすように話し合いで解決することが期待できる。

最後に、最近話題となっている「ブラックバイト」とも関連して、「社会」の視点からも考察してみたい。

日本のサービスは本当に「便利」で「安い」。だが、そのサービスを支えているのは圧倒的多数のパート・アルバイトなどの非正規雇用である。コンビニでは宅配便や公共料金の支払いまでできるが、最低賃金近い時給のアルバイトが支えている。支払いのミスが生じると、大きなトラブルになってしまうこともあるという。

日本の非正規雇用は低賃金の割に、本当にまじめに働いている。「便利」「安い」の背後には、「安く」「一生懸命」にサービスを提供する人たちがいるのだ。宅配便の管理も、公共料金の支払いも、本当はプロが行うべき作業かもしれない。お隣、韓国では非正規雇用が増えすぎたために、交通機関での事故が絶えないとも言われている。きちんとした待遇が保障されなければ、日本のサービスもいつか質が確保できなくなっていくかもしれない。

また、最近多いのは、高校生のアルバイトからの労働相談だ。消費者としては、「安く」、「便利」なサービスに利益を受けているのだが、その提供者が高校生や大学生だという実情も見過ごせない。暴力的なクレームの対応を19歳の女子大生が行っている職場もある。

さらに、学生が責任の重いアルバイトばかりしていては、学業に支障をきたすことも考えられる。将来、日本の新しい産業を支えていくために、学生時代は基礎的な語学力や技術、国際情勢などに精通する時間ともなる。

アルバイトは学生の家計にとっても、企業や社会にとっても必要不可欠なものだ。だが、その「あり方」は、もっと真剣に考えていく必要があるのではないだろうか。」

鋭い指摘ではないかと思います。大人を見て子供達は育ちます。そして、社会の行く末が決まります。時代がどうであれ、社会の未来を作る責任は大人にあります。いずれにしましても、大人のモラルが問われます。

CAM00159 (2)昨日は年末のご挨拶まわり。そして、今日はクリスマスイブ。一人を除いて、我が家の子供も大きくなりましたが、クリスマスプレゼントがいらなくなった分、お年玉への要求が上がります。

年末年始にかけては、一般的にもケーキはもとより、少し食卓が華やぐ時期でもあります。その主役級のひとつが「エビ」。その昔、学生時代に読んだ「エビと日本人」(村井吉敬著 岩波新書)。エビフライ、天ぷらなど、1人平均の年間エビ消費量は約70匹。当時の世界一のエビ消費国・日本は、その9割を輸入に頼り、輸入食品ではエビが首位とされていました。どこでどのように獲られているのか。「バナナと日本人」(鶴見良行著 岩波新書)とともに、当時の日本と東南アジアの複雑な関係を示した名著でした。

しかし、ここ最近は日本のエビ輸入量の減少に歯止めがかからないとのこと。

日経新聞が伝えていました。「国内消費の大半をまかなう輸入物の今年の数量は、エビ不足が深刻になった昨年をさらに1割以上下回るペース。12月はエビの需要が1年で最も盛り上がる時期。かつては世界の取引量の半分を占めた「エビ消費大国」に何が起きているのか。

業務用食品卸大手のトーホーは今年の年末シーズン向けのエビの卸値を、価格が落ち着いていた2年前に比べ5割高に設定した。販売数量は同2割強減りそうだが、「仕入れ値の上昇が大きすぎ、経営努力ではとても吸収しきれない」と苦しい事情を説明する。(中略)

 エビの指標品の東南アジア産地価格は現在1キロ17ドル前後。5年前に比べ約6割高い。大幅な円安が追い打ちをかけ、円建てでみた産地調達価格はこの2年でほぼ2倍になった。高値が響き14年の日本のエビ輸入量はピークだった1994年の32万トンのほぼ半分にとどまるとの見方が多い。

 エビが庶民の味として日本に定着したのはそれほど昔ではない。80年代に入り日本の商社などが主導して東南アジアに養殖場をつくり、日本で販売する開発輸入を本格化したのがきっかけだ。日本の輸入量は90年代にかけて年30万トン台に膨らみ、世界で取引されるエビの半分は日本向けになった。

 ところが、この大量消費を支えた仕組みがきしみ始めている。東南アジアの産地が相次いでエビの病害に見舞われ始めたためだ。昨年は大生産国であるタイの養殖池でエビの病気が発生し、生産量は通常の年間50万トンからほぼ半減し、その後の回復も鈍い。他の東南アジア諸国の病害の影響もあり市場への供給は絞られたままだ。

 瀬戸内海でクルマエビの養殖を手掛けるスズキファーム(広島県大崎上島町)の鈴木隆社長は「エビのウイルス性の病気は過度なストレスがかかることで発症しやすい」と指摘し、狭い養殖池にエビを密集させるエビの養殖法が病気の発生を招いた一因とみる。

 エビの貿易地図もかつての日本の「一手買い」から変化している。日本とは対照的に「世界における水産業は成長産業。今後もエビをはじめとする水産物の消費は拡大していく」(三井物産の北本晶英水産事業室長)見通しだ。所得の向上した中国のエビの消費量が10年で2倍以上になったのは肉や穀物などでもみられる現象だ。ただエビの場合、欧米の消費が健康志向を背景に伸び続けている特徴がある。足元の世界最大のエビ輸入国・地域は米国で日本は3位に後退した。

 服部栄養専門学校の服部吉彦副理事長は、「エビは昔から結婚式などで欠かせない食材とされてきた」と話す。「縁起物とされたのは紅白の華やかな色合いだけでなく、エビのように腰が曲がるまで長生きできるようにという願いや威勢良く跳びはねる姿が景気よく元気なイメージを連想させた」という。

 品薄による高値が続けば、エビがかつての「特別な日に食べるごちそう」だった時代に少しずつ戻っていく可能性もありそうだ。」

エビが特別な品に戻っていっては困りますが、エビに限らず、世界の人口構造の変化と共に、環境や市場も変化を続けています。かつてのことが「当たり前」と思って生きることほど楽なことはないと思っていますが、季節の変化に順応するように、こうした変化に対応していくことも人間が生きるうえだ必要な力なのだろうと思います。

只、エビが大好物っというわけではありませんが、回転寿司の「えびアボガド」が食べられなくなるのは困ります。

CAM00145 (2)昨朝は青葉台駅前での街頭演説。その後、年末のご挨拶回りへ。

昨日の演説は「防災」について。3.11以降、ご家庭で、地域で、行政で、災害対策を進められてきましたが、先週の政府の発表は、改めて注意を喚起すべき機会となりました。

読売新聞からです。「政府の地震調査委員会は19日、今後30年以内に震度6弱以上の揺れが起きる確率の分布を示した2014年版「全国地震動予測地図」を公表した。

想定する地震の規模や計算法を見直した結果、13年版に比べて関東各地で確率が上がり、高い確率となった。都道府県庁所在地の市庁舎(東京は都庁)周辺で、全国で最も高いのは横浜市の78%だった。さいたま市は21ポイント上昇の51%、都庁周辺は20ポイント上昇の46%と、確率が大きく上がった。

 同委員会は今年4月、相模湾から房総半島沖に延びる相模トラフ沿いで起きる地震の評価を見直した。地震の規模を示すマグニチュード(M)の最大想定が8・6に引き上げられたことや、震源の深さが約10キロ浅くなった結果、14年版で関東の確率が上昇したという。」

これまで、学校耐震化や横浜市立小中学校の児童・生徒約28万人のための備蓄。道路の陥没を防ぐための路面化空洞調査や災害時の徒歩帰宅者が休憩するためのステーション設置をはじめとるする帰宅困難者対策など、様々な角度から防災・減災対策を進めてきました。

今回の発表に危機感を感じないわけではありませんが、改めてこれまでの備えを確認するとともに、対策途中の案件のスピードアップをはかって行かねばなりません。

CAM00142 (2)昨日は市民相談の対応とともに、青葉台駅前や奈良山公園前で街頭演説。革新政党の支持者という方から「(地域包括支援センターでもある)ケアプラザの機能を充実して欲しい」とのご要望を頂きました。自ら支持する政党に要望されてはどうかと思いましたが、着実に政策を実現する公明党への期待の表れと思いつつ、お話を伺った次第です。民主主義国家においては話し合いが大事。唯我独尊だけでは、反対だけでは、何も実現することはありません。

時事通信によりますと、政府は、地方で就職する大学生向けに奨学金の返済を減免する制度を2015年度から始める方針を固めたとのこと。学生の奨学金返済を肩代わりするため、自治体と地元産業界が共同で基金を創設。自治体負担額の一部は国が地方交付税で手当てするとしています。若者の地方離れに歯止めをかけ、地方の活性化につなげるのが狙いで、年内にまとめる地方創生に関する総合戦略に盛り込むとしています。

また、奨学金返済を減免する対象には、大学院生や短大生らも含め、地方出身の学生のほか、地方での就職を希望する都市部の学生も利用できるとしています。 

このブログでご紹介したことがありますが、これまでも地方が自らの創生を目指して同類の施策を展開してきた経緯があります。具体的に行動することが大事だと思います。

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