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公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

新聞週刊と岩國哲人氏について 2901

未分類 / 2014年10月16日

昨日午前中、党県本部で会議の後、市役所で事務処理等々。天気予報の当たらないぐずついた一日でしたが、昨日の新聞コラムは嬉しいものがありました。

昨日の朝日新聞の天声人語のテーマは「新聞週刊はじまる」。そこには、これまでご指導頂いてきた岩國哲人氏が登場。是非ご一読いただきたいです。岩國氏は、東京大学卒業後、メリル・リンチニューヨーク本社上席副社長など金融界で活躍。島根県出雲市長、衆議院議員(民主党副代表)、自由民主党政務調査会顧問を歴任され、現在も世界の大学で教壇に立たれています。

ご縁あって、約5年前の県議時代からご指導を頂いているのですが、いくつになられても、いつも頭の中が回転し続け、発想が豊か。何事も前向きに考え、より良き方向に導こうとする思考は、変わらぬ輝きがあります。そうした岩國先生の基盤は、少年時代に作られていたことを実感する内容。私も新聞少年でしたが、足元にも及びません。

「早くに父が亡くなり、家には新聞を購読する余裕がなくなった。好きなのでなんとか読み続けたい。少年は新聞配達を志願した。配った先の家を後で訪問し、読ませてもらおうと考えたのだ▼元島根県出雲市長で衆院議員を務めた岩國哲人(いわくにてつんど)さん(78)の思い出だ。日本新聞協会の新聞配達エッセーコンテストの大学生・社会人部門で今年、最優秀賞になった。題して「おばあさんの新聞」

▼小学5年の時から毎朝40軒に配った。読み終わった新聞を見せてくれるおじいさんがいた。その死後も、残されたおばあさんが読ませてくれた。中3の時、彼女も亡くなり、葬儀に出て実は彼女は字が読めなかったと知る。「てっちゃん」が毎日来るのがうれしくてとり続けていたのだ、と。涙が止まらなくなった……

▼岩國さんはこれまで新聞配達の経験を語ってこなかった。高校の同級生で長年連れ添った夫人にも。しかし、今回、おばあさんへの感謝の気持ちを表す好機と思い、応募した。「やっとお礼が言えて喜んでいます」。きのう電話口で岩國さんはそう話した

▼70年以上、朝日新聞を読んできたという。市長時代には本紙オピニオン面の「私の紙面批評」欄を担当し、当時の政治に関する社説を厳しく批判したこともある。きのうも「思い込みや独善が一つの欠点」と、本紙への苦言を頂戴(ちょうだい)した

▼新聞週間がはじまった。失った信頼を取り戻すため、身を切るような出直しに取り組む覚悟を新たにする。岩國さんの叱咤(しった)を肝に銘じつつ」。

岩國先生の益々のご活躍を願うとともに、不祥事の続く同紙においては、二度と誤った記事を掲載しないためにも、事実を伝えるための仕組みを示し、具体的な行動と結果で答えることが求められます。また、業界においては、対岸の火事に終わらせないように願うものです。