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公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

法要と報恩について 2879

未分類 / 2014年9月24日

朝から墓地の写真で恐縮ですが、昨日は父の37回忌のため行田家の墓を訪れました。一般的には33回忌で法要を終えることが多いわけですが、我が家の場合は中々皆のスケジュールが合わないなどの理由から延び延びに。今年は特に大きな予定が入らなかったため昨日となった次第です。只、日々仏壇に向かって合掌し、回向、追善供養を行っています。

私は男3人兄弟の長男。それまで家族5人の生活でしたが、私が小学校5年生の時、我が家に転機が訪れました。突然父が交通事故で亡くなりました。国道でトラックとの正面衝突。即死でした。人が思った通りに生きることの難しさ、宿命というものを知りました。

それから親子4人の生活がスタート。母は、昼は職安で紹介された会社で働き、夜は手に職をつけたいとレタリングの勉強をし、自宅でスーパーやレストランのレタリング、ポップの内職をしながら家庭を支えてくれました。そんな母も、今は満ちた幸せな人生を関西の地で送っています。

私にとっても結構大変な幼少期だったのですが、それは忘れられない日々でもありました。そうした我が家に声をかけ、温かく手を差し伸べくれた近所のおっちゃん、おばちゃん、学校の先生、商店のみなさん。私は一生忘れません。「この人たちに恩返しすることが親孝行」。これが私の原点です。

高校卒業後、東京・八王子にある創価大学経済学部へ進学。大学時代は、大学の授業はもとより、生活費と学費稼ぎのアルバイト、そして東南アジア研究会の活動とすべてに勝つため、全て挑戦の学生生活でした。

在学中、ゼミ教授の薦めもあってマレーシアの国立マラヤ大学への交換留学試験に挑戦し合格。異国での貴重な体験や国境を超えた友情を育むなど充実した1年。

卒業後は、株式会社日立製作所に入社。半導体の世界で一貫して資材部という部門で購買・外注関連の仕事に従事しました。先輩、上司、同僚、後輩から多くのことを学ばせて頂くとともに、日立アジア(シンガポール)で1年、中国蘇州市にある日立半導体(蘇州)で6年の駐在を経験させて頂きました。

これまでの経験を活かし、社会のお役にたちたいとの思いが自然と湧いてきた30代後半。帰国に合わせ、ご縁があって参議院議員・浜田昌良議員の公設秘書に。その後、多くの方々から真心のご支援を頂戴し、神奈川県会議員にして頂き、そして現在、横浜市会議員として活動させて頂いています。

私の人生の原点。それは「報恩」。近所のおっちゃん、おばちゃん。忘れがたき学友。苦楽を共にした会社時代の皆さん、そして母への感謝は尽きません。この恩に報いるためにも、力をつけて社会を良くしたい。誰もが笑顔になれる社会にしたい。

昨日は、亡き父のお蔭で、また新たな決意の日となりました。これからも、市民お皆様のご期待にお応えできるよう全力で頑張って参ります。