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公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

集団的自衛権論議の行方について 2815

未分類 / 2014年7月22日

昨日は朝から市役所で資料作成、書類整理等。夜は地元の通夜へ。

「世間におもねるジャーナリズムの偏向というものは、世間の思惑に合わせたものにしてしまう」とはジャーナリズムの性質を見抜いていた先哲の言葉。私も事実を伝える真のジャーナリストの活躍を求めるひとりです。

集団的自衛権に関する論議の焦点のひとつは「現状の捉え方」ではないかと思います。日本の領空・領海・周辺、及び世界規模で見た場合の日本の安全という視点において、なんとかなる、問題ないと認識するか、何とかしなくては危ないと考えるか。前者は後者に対して「何を急いでるのか」となり、後者にとって前者は「具体的にどうするつもりだ」となります。いずれにせよ評論と異なり、政治は理想と現実の間を埋めリアルな作業。「現実の捉え方」に対する違いが、行動の違いとなっていったようにも感じます。

長くなりますが、今日は集団的自衛権に関する朝日、毎日の2本の論評と、先週、先々週に続きハマダレポートをご紹介します。

一昨日、朝日新聞に「理念守り、許される範囲の変更 集団的自衛権、竹内行夫元外務次官に問う」との記事が掲載されていました。これまでより一歩踏み込んだ内容で、賛否があるにせよ、憶測などではなく「事実」に基づいたやり取りが掲載されています。

「安倍内閣は今月、憲法解釈の変更で集団的自衛権の行使を認める閣議決定をした。朝日新聞はこれまで、内閣の手続きや安全保障・外交上の判断などについて問題点を報じてきた。これに対し、元外務事務次官の竹内行夫氏(71)は「今回の行使容認は極めて抑制的なものだ。朝日の報道には疑問を感じる」と話す。「客観的な議論を求めたい」とする竹内氏に、閣議決定の意味を尋ねた。

 ■閣議決定は9条の枠越えたのでは?

 ――集団的自衛権をめぐる朝日新聞の報道のどこに疑問を感じるのですか。

 竹内氏 まず今回のお話はあくまで私の個人的な意見です。今回の閣議決定は、国際的な環境が変化するなかで、憲法9条の下で許される自衛の措置を強め、国の安全を守る抑止力を高めるものです。朝日新聞などの一部メディアは、9条の枠内で自衛の措置を拡充しようとした政府の姿勢を理解せず、批判を繰り返した。国民が議論をなかなか理解できない一因になったと考えています。

 ――従来の政府見解では集団的自衛権を認めていませんでした。今回の閣議決定はやはり9条の枠を越えたと感じています。その出発点で竹内さんの考えとの違いを感じています。

 竹内氏 集団的自衛権は国際法上の理念です。国連憲章に初めて明記されたが、定義は書かれていない。国際法上は大雑把にみて二つの学説があります。一つは、自国が武力攻撃を受けていないが、他国が受けた場合にその他国を守るための権利とみる「他国防衛説」。もう一つは、他国が攻撃された時、その国との連帯関係を踏まえて自国への攻撃と同じことだと認識し、武力攻撃に参加する考え方で、「自国防衛説」と呼ばれます。

   ■    ■

 ――とはいえ、集団的自衛権の本質は他国を武力で守ることではないですか。

 竹内氏 それこそ一面的な見方です。国際法や国連憲章上、集団的自衛権も国家固有の自衛権です。その行使の濫用(らんよう)を防止するため、攻撃された国による支援の「要請」または「同意」が必要とされていることも重要です。

 確かに従来の政府解釈は他国防衛説であったとみられます。例えば、角田礼次郎内閣法制局長官は1982年、参院の委員会で「自衛のため、必要最小限度の武力行使は許されるけれども、他国を助けるというような意味の武力行使は許されない。従って集団的自衛権の行使は許されない」と答弁している。

 他方で、例えば、日米安全保障条約5条には、集団的自衛権に関して「いずれか一方に対する武力攻撃が、自国の平和および安全を危うくするものであることを認め……」とある。日本が攻撃されれば、米国人の生命、暮らしが直接被害を受けなくても米国の平和と安全を危うくすると認める考え方は、自国防衛説に基づいています。

   ■    ■

 ――政府解釈が「他国防衛」から「自国防衛」に変わったということですか。

 竹内氏 政府内にその意識があったかは知らないが、砂川判決を巡る議論や首相の私的諮問機関の報告書で、すでにそうした考えが読み取れた。そして閣議決定の「武力行使の新3要件」では、日本が直接武力攻撃を受けていなくても、国の存立が脅かされ、国民の生命、生活、暮らしが根底から覆される「明白な危険」がある状況なら、「自衛のための措置」を行使しても憲法上認められる必要最小限度の武力行使になるとした。その意味で、集団的自衛権の解釈は今回、自国防衛説に変わったと私は見ています。

 ――それこそ立憲主義に反する解釈改憲ではないのでしょうか。

 竹内氏 他国防衛のための集団的自衛権を導入するには、憲法改正が必要だと考えますが、今回は9条の理念を守り、許される範囲内で解釈の変更をしたのであって、解釈改憲との批判は当たらないと思います。

 ■米の要請で日本が参戦する危険は? 憲法覆されるなら断ればいい

 ――しかし、いくら「自国の防衛」のためと主張しても、米国が対外戦争で集団的自衛権の行使を要請してきたら、日本が参戦する危険はないのでしょうか。

 竹内氏 私が朝日新聞の報道に疑問を持つのは、まさにこの点です。5月以降の記事で、集団的自衛権を説明する際に「他国を守るために武力を行使する」という修飾語を付けて定義するようになった。これは、自国防衛説の存在だけでなく、政府・与党が進めていた検討の流れを全く無視しています。他国防衛説だけ引っ張って「米国の戦争に巻き込まれる」と主張するのは不正確で、情緒的な反対キャンペーンになりやすい。これでは、読者は「他国を守るためだけに日本の若者は血を流すのか」と受け止め、反対しますよ。

 ――安倍首相は記者会見で、日本人のお年寄りや子どもが乗った米艦船を自衛隊が守る事例を持ち出しました。これこそ情緒論ではないでしょうか。

 竹内氏 この事例だけで、閣議決定が出されたわけではない。それに政治家がキャンペーンとして国民の感情に訴えることはあり得ると思いますが、メディアはそれを批判すればよく、報道は冷静かつ客観的に行うべきだと思います。

 ――閣議決定後の国会審議で、首相は日米同盟を維持するために集団的自衛権を発動する可能性を示唆した。「米国の要請を断れば日米同盟が壊れる」と、行使することもあるのでは。

 竹内氏 閣議決定で認められたのは、9条の制約を踏まえたわが国独特の抑制された集団的自衛権であると思う。自国防衛説に切り替えた上で、更に現実の「明白な危険」という国際法にはない強い限定を加えた。これらの要件が満たされないのに米国からの圧力で参戦するようなことはあり得ない。もし米国が日本の憲法や法秩序を根底から覆すような要請をしてきたら、「日本は憲法上できない」と胸を張って断ればいいだけ。ただし、米国は日本にとって安保条約の絆で結ばれた、かけがえのない同盟国。当然、新要件の下でも他国との関係と同等ではなく、特別に考える必要がある。

   ■    ■

 ――多国籍軍による中東・ペルシャ湾での機雷除去への参加も議論になりました。外務省は従来、国連決議があれば、侵略国などに複数の加盟国が制裁を加える集団安全保障への参加に積極的です。

 竹内氏 集団安保措置については今回、与党協議で結論が出ず、閣議決定の対象にはならなかったと私は理解しています。国連憲章では、集団安保と集団的自衛権は本質的に理念が異なる。国連憲章51条は「安保理が国際の平和及び安全の維持に必要な措置をとるまでの間」、自衛権の行使を認めている。

 一方、42条の集団安保措置がとられれば、武力行使の理念が平和の回復や平和の破壊者への制裁といった国際社会の利益という、いわば高い理念となる。抑止力を高めるとともに、国連の集団安保に日本が従来以上にどう貢献していくかについては、今後、真剣に正面から検討してほしい課題です。(聞き手・蔵前勝久)

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 たけうち・ゆきお 71歳。1967年、外務省入省。宮沢喜一首相の秘書官を経て、条約、北米、総合外交政策の各局長を歴任。2002~05年に同省事務次官、08~13年に最高裁判事を務めた。

 ■行使すれば「出口」はない

 竹内氏は、政府が認めた集団的自衛権を「憲法9条の制約を踏まえた我が国独特の抑制された」ものとみる。ただ、その根拠となる武力行使の新3要件には、国の存立や国民の権利が「根底から覆される明白な危険がある」という抽象的な言葉でしか書かれておらず、歯止めとしては不十分だ。百歩譲って、新要件が歯止めになったとしても、政府が集団的自衛権を使うかどうかを判断する「入り口」での抑制に過ぎない。

 参戦後、日本にとっての「明白な危険」が去ったからもう撤退すると言っても、敵になった相手国は日本への攻撃を続けるだろう。「入り口」を狭くしたと主張しても、戦争を一度始めれば「出口」を探すのは難しい。それが現実だ。(蔵前勝久)」

これまでの主張から一歩踏み込んだ内容。最後のコメントについては賛否が分かれるところかと思います。課題があれば、その解決のために様々な想像力がはたらくもの。これは大事なことです。その上で、国民を守るために国家として、現実とどう向き合い行動するかが大事なのではないかと思います。いずれにしましても「現実の捉え方」が異なりますと、選択が異なります。

他方、7月18日の毎日新聞コラム「論点」には添谷芳秀・慶応大教授のインタビューが掲載されていました。先輩に紹介された記事なのですが、賛否あるにせよ、これもまたこれまでの論調より一歩踏み込んだ評論が展開されています。

 「◇国際主義で意義付け説明を−−添谷芳秀・慶応大教授

 集団的自衛権ばかりが注目されたが、今回の閣議決定で特筆すべきは「国際社会の平和と安定への一層の貢献」と銘打った国連平和維持活動(PKO)の強化だろう。従来の後方地域、戦闘地域という概念定義を取り払い、現に戦闘行為が行われていない地域での活動を認めた。武器使用も規制緩和の方向が明確になった。これにより、日本の後方支援の領域は格段に広くなる。防衛政策としては「武力攻撃に至らない侵害への対処」が緊急の課題だ。集団的自衛権に関しては「憲法第9条の下で許容される自衛の措置」として、個別的自衛権と集団的自衛権の区別をなくしたことがポイントだ。ただ、そこでの武力行使は依然として9条の制約を受ける。

 今後、閣議決定に沿って法律が作られ、自衛隊の訓練や装備が整えられていくのだろうが、それが、一部で指摘されるような安全保障政策の革命的な変化になるとは思わない。日本の軍事的な役割は相当限られており、中国や韓国が喧伝(けんでん)するような軍事大国になることはない。にもかかわらず、今回の議論が内外でよく理解されなかったのは、プロセスがゆがんでいるためだ。

 集団的自衛権もPKOも本質的には世界とどう関わるかという国際主義的な問題だ。憲法解釈がからむため、自国中心主義的な論戦も目立ったが、一連の政策は、本来的に国際主義的な論理で意義付けていくべき課題だった。錯綜(さくそう)したのは、安倍首相の衝動が必ずしも国際主義的ではなかったことに起因している。一種のルサンチマン(怨恨(えんこん)の情)、「戦後のリセット」というイデオロギーが先にあり、靖国神社への参拝、河野談話の見直し、集団的自衛権が、そうしたイデオロギー的衝動を満たす象徴的事柄になっているからだ。歴史問題と集団的自衛権という異なる問題が、安倍首相の中では似たような意義付けをされてしまっている。

 安保政策上は大騒ぎする変化でもないのに中韓両国の反応が厳しいのは、彼らが安倍首相の思想というレンズを通して政策をゆがめて見てしまうからだ。残念なことだ。しかし、裏を返せば、ルサンチマンが原点の安倍首相だから、本来はもっと困難であったはずの政策変更ができたという国内政治の力学もある。

 国家主義的な衝動から始まる安保政策転換の動きは、いずれ憲法9条、日米安全保障条約という相いれない二つの要素を併存させてきた戦後レジーム(体制)の中に引き戻される。そういう力学が戦後一貫して働いている。岸信介元首相の日米安保条約改定も当初は、米国と対等になることによって、日本の主体性が回復されるという衝動からだったが、日本の対米依存の制度化という結果に落ち着いた。今回の安倍首相の発想も戦後レジームの外側からだったが、閣議決定文は「平和主義」の言葉をうまく使った国際主義的な論理で構成されており、戦後レジームの枠内に基本的に収まっている。

 PKO強化などの政策内容は、国際主義で安保政策が動いていた1990年代からの連続性の上にある。本来、国際社会から歓迎されるべきことなのだが「積極的平和主義」だけでは真意は伝わらない。国際主義の哲学と論理による政策の意義付けと、相手を説得できるだけの言説が必要だ。【聞き手・因幡健悦】」

事実をもとに公平・公正に伝える「真のジャーナリスト」の活躍こそが日本を発展に導く礎。しかし、その反対であるならば、日本を不幸にする元凶になることは明らかではないかと思います。

日本の未来のためにも、日本のジャーナリズムの発展を期待しています。

下記は識者の声を紹介した今週のハマダレポートです。

ハマダレポート Vol.219 2014.7.21
ー安全保障法制の整備についての閣議決定について(その3)ー

 先週までの2回にわたり、公明党の戦い、勝ち取ったものを、浜田まさよしの視点でご報告させていただきました。

今回は、公明党の戦いについての、識者の声をご紹介します。

 閣議決定がされた7月1日に発売された「週刊朝日」7月11日号に、ジャーナリストの田原総一朗氏の以下のコメントが掲載されています。

 「公明党はよく頑張ったと私は評価している。おかげで集団的自衛権を巡る自民党案の曖昧さや矛盾がずいぶん露呈して、問題点がわかりやすくなった。」

 また、閣議決定翌日の7月2日には東京新聞で、作家で元外務省主任分析官の佐藤優(まさる)氏が、「公明党が連立与党に加わっていなかったら、即時、戦争ができる閣議決定になっていたと思う」と述べています。

 その他、公明新聞で掲載された識者の声です。 
先ず、安全保障の専門家としてよくテレビに出演している小川和久静岡県立大学特任教授のコメント。

「当初、安倍晋三首相の姿勢には前のめりの印象があったが、閣議決定は安定した仕上がりとなった。公明党が「平和」という立脚点を外さず、憲法との規範性、政府解釈との論理的整合性などを厳格に問い続けてきた結果だ。」

 次に、明治学院大学川上和久教授は、「公明党は、現実的に平和を守るために何が必要で、安保環境の変化に応じてどこまでできるかという基準を明確にすることで与党の責任を果たした。」「何も対応せず、「平和の党です」と言っていたら、”平和ボケの党”だ。」と語っています。

 その他、劇作家・評論家の山崎正和氏や、東日本大震災復興構想会議議長を務めた五百旗頭(いおきべ)真氏も、公明党の果たした役割を高く評価しています。

 さらに、7月14日、15日の衆参予算委員会でも、「憲法の番人」たる内閣法制局長官からも、「今回の閣議決定は解釈改憲に当たらない」など重要な答弁が数多くなされました。