安全・安心の横浜へ 「何を言ったかでなく、何をやったか!」

公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

「それでも親子」について 2754

未分類 / 2014年5月22日

昨日は雨。区内の市民相談2件に対処した後、子育て支援関連の広聴活動のため厚木市へ。

一昨日、横浜市の待機児童ゼロが達成できなかったとの報道がありました。当局からの資料を見ると4月1日現在の待機児童は20名。需要が需要を呼ぶとの言葉もある通り、他の自治体からの転入者を含め入所申込者が急増。この半年以上の間、目の前の需要増の数字を見て、当局も受け入れ枠増加のために相当な尽力をしていました。ゼロにできなかったことは残念ですし、保護者のことを思うと早急に次の対策を講じる必要があります。一方で、単純に数を増やせばいいというものでもなく、質の確保も大きな課題となっていますので、改めて来年度に向けてスタートを切っていかねばなりません。

親はなくとも子は育つ。子供は親の背中を見て育つ。どちらのことわざからも、親は子どもから見て恥ずかしくない言動が必要なのかなと思いますし、子どもが自立していくために大変重要なことかと思います。

テレビでもよく見かけるコメディアンのパトリック・ハーランさん。約4年前のブログでも紹介しましたが、奥行きの深さ、人柄など、お会いしたこともありませんが、この方はすごい方だなと尊敬しています。

「コメディアン・パックンのライフプランについて 1140」http://gyota.seesaa.net/article/144017260.html

今週の日経新聞「それでも親子」のコーナーに「コメディアン パトリック・ハーランさん 頑張る母の姿、心に刻み」との掲載がありました。ご紹介します。

――母子家庭で育った。

 「両親は僕が7歳の時に離婚しました。反抗期もあり母との衝突が絶えなくなった姉は父の元に移ったので、それからは母と僕の2人きりの生活になりました」

 ――そんな母に迷惑をかけまいと必死だった。

 「母を喜ばせたくて、中学も高校も常に成績トップでいるぞと誓い、家計を助けるために早朝の新聞配達も始めた。母は時に感情が高ぶって父への愚痴をこぼし、僕がなだめ役になることもしばしば。でもお金を切り詰めながら栄養満点の食事を用意し、熱を出した僕の新聞配達を代わり、毎日宿題をみてくれて。厳しい生活をともに乗り越えたパートナーみたい」

 ――勉強熱心な性格は母譲りだとか。

 「不景気で女性の就職は大変。失業を繰り返し、安定した仕事に就こうと教員を目指し、借金して大学院で修士号まで取った。しかも首席。母の姿に頑張らない選択肢はないと心に刻まれました」

 ――一方で思春期の父と息子の関係は微妙になる。

 「空軍に志願して各地を転々とした父は冷静で論理的な人。僕とは離婚後も週末を一緒に過ごし、チェスの次の手を互いに書き送る文通もした。ただすごく気を使っていたと思います。常に楽しい時間になるよう僕の様子をうかがって」

 ――内に秘めた思いを語ってくれたことは。

 「来日して僕の出演番組をみながら、離婚の経緯や当時の経済的事情、思いなどを話してくれた時があります。距離が縮まった感じでした。父から受け継いだことも多いんです。父は大学で演劇を学び、アマチュア劇団の演出もしていた。僕が芝居に興味を持った原点かもしれません」

 ――日本で俳優やお笑い芸人を目指すことには?

 「母の言った『あなたは面白いけれどコメディアンじゃない』という言葉はよく覚えています。『お金大丈夫?』と心配もされました。父は『夢を追っていいんだぞ』と応援してくれた。ただ『他の仕事を想像できるなら辞めなさい』とも」

 ――日本での活躍は喜んでいるのでは。

 「2人ともね。周囲に自慢しているみたい。米国で会った日本人に『パックン知っている?』と知名度調査して報告してくれます。日本にはそれぞれ年1回は僕が渡航費を出して招いています。孫に会うのがすごく楽しみみたい」

 ――親孝行ですね。逆に親不孝だなと思うことは。

 「日本にいること。両親は口に出さないけれど米国に戻るのを望んでいるはずだから。そう思うと泣きたくなります。母が病気の時も仕事で帰れず、姉が支えてくれた。申し訳ない。どうすればもっと親孝行できるか。海の向こうをいつも気にしています」

※ハーバード大卒、英会話教師を経てお笑いコンビ「パックンマックン」結成。情報番組や俳優にも活動を広げる。東京工業大での講義をまとめた著書「ツカむ!話術」を4月に出版。米国出身、43歳。
 
もちろん及びもしない立派な方がですが、私の人生と少し似たところがあるので共感するところがあります。益々のご活躍を期待しています。