校歌と大人になることについて 2399
昨日は朝にこどもの授業参観をのぞいてから、地元の方々と地域課題についての話し合い。午後には党の遊説カーに乗車し区内を巡り、夜には相模原で会合の一日でした。
授業参観で見た授業は音楽。子ども達は校歌を歌っていましたが、お隣にいたあるお父さんから「この校歌、結構歌うのが難しいですね」とのお声掛け。確かに難しい。何と言っても創立140周年目を迎えた同校。横浜の歴史と共に歩んできた校歌でもあります。
140年前の小学生にどのように捉えられていたのかわかりませんが、難しいなどと感じなかったかも知れません。
「昔の子どもは今の大人より大人だった」というお話を伺うことがあります。良し悪しの評価はあるにしましても、地域社会の見守りや躾けなどがしっかりされていた時代でもあったかと思います。
子どもに教育するってどういうことなんだろう、などとはあまり考えたこともありませんが、妻の力で何とか4人が育っています。古いかもしれませんが、我が家では親と子どもが友達のような関係ではありません。上手くできてはいませんが、少なくともうちの子ども達については放っておいても子どもが大人になっていくというものではないと思っていますので、親の躾けやルールなどの忠告を守るように仕向けています。上手くいかないこともありますが、外れたときは厳しくする。また、キチンとできているなどとは全く思いませんが、親は子どもを成長させ、大人に育てる責任があるとは思っています。そのため「やるべきことをやっていれば好きにしていい」という場合もあれば、勉強や進路などについては必要に応じて一緒に考えます。親は親の想いを伝え、子どもは子どもの想いを伝える。主張においては対等。 時に子どもに教えられることもあります。
このように偉そうに言いましても、様々な問題があります。只、こうしたやり取りの中で、子どもの中に生まれる責任感は感じます。先日お亡くなりになった精神科医で作家のなだいなだ氏は「大人というキーワードから想起される属性は二十歳過ぎたらデジタルに獲得されるものではありませんよね?それはアナログな努力によって二十歳に向かって、あるいは二十歳を超えて少しずつ獲得していくものです。自然に身につくというよりも、意識して獲得を目指すものであって、獲得できない、あるいは獲得しようとしない場合は、あるべき姿を実現することは当然できません。」と指摘しています。
子どもが大人になること。それは自らが獲得するもの。私自身は課題満載ですが、役割を果たしたいなと思います。
しかし、あの校歌、歴史を感じさせる一曲でした。