安全・安心の横浜へ 「何を言ったかでなく、何をやったか!」

公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

長生きへの処方箋について 2216

未分類 / 2012年12月28日

日本未来の党が分党とのこと。。「日本のために」党に結集し、選挙を戦った同志。党内で話し合い、前に進むことはできなかったという結果は深刻。民主政治の基本は話し合いであり、日本の国会議員として基本的な資質が欠落していると言わざるを得ません。たとえ議席は少なくとも、全国342万票の得票。野党は反対するだけが仕事ではなく、合意形成の中で有権者とのお約束の実現に尽力する仕事があります。しかし、野合は野合ということでしょうか。卒原発、生活者等々、双方の放った言葉は軽く空しく、犯した罪は極めて重い。多くの期待は裏切られたと言わざるを得ません。

昨日は地元の各行政機関での打ち合わせや市民相談現場での広聴活動。思っていた以上に寒い今年の冬ですが、日中の晴天はありがたいです。

また、一昨日ご紹介しました詐欺グループに狙われているというご婦人を警察にお連れしました。安心してこの街にお住まいになり、元気で長生きを願っています。

先日伺ったあるお宅での話。「健康保険や介護保険に年金もある。色んなサービスがあるわけだから消費税も必要だろうし、老朽化した社会のメンテナンスにもお金は必要。只、60歳を超えてから仕事がない中で年金を得るまでどうやって生活するか。」すでに年金生活をされている方のお言葉ですが、一般的にも切実な問題として取り上げられており、これからの社会を心配されてのお話でした。

我が党も雇用延長する企業へのサポート等々にきめ細かく力を入れてきました。現状、65歳まで定年延長されている方は約50%と言われていますが、来年度からは65歳までの雇用が義務付けされます。まだまだやらねばならないことがありますが、特効薬というのも難しいものがあります。着実に施策を進める必要があります。

雇用のあり方の変革は、高齢者に限らず若者のためにも喫緊の課題。今回の総選挙でも多くの方々の期待が込められており、我が党としてもこれまでにも増して具体な結果でお応えして参ります。

先日、日経コラム「大機小機」が「長生きへの処方箋」と題しある提案をしていました。

 「50歳を過ぎると老後の生活設計を真面目に考えるようになる。50歳すぎの日本人男性の平均余命はざっと30年である。では、老後に備えるには30年の生活を支えるだけの資金計画があればよいのかというと、そうではない。自分の余命と日本人の平均余命は全く別物だからである。

 生涯60年のケースもあれば、平均余命を超えて長生きする可能性だって十分にある。よほど余裕をもった資金計画でなければ、不安なく老後を迎えることは考えにくい。

 そこで、長生きに対応できるように個人の資産を増やしていくことが必要になる。ただ、世は超低金利の時代で安全運用では資産は増えない。だからと言って、50歳を過ぎて、ハイリスク・ハイリターンの投資に走るのは危険すぎる。おのずと節約重視の資産増大策を取らざるを得ない。

 老後の不安があれば高齢者はお金を使えない。個人資産の多くを保有する50歳以上の世代が消費を抑えていては景気がよくなるはずもない。

 対策として、老後設計を念頭に置いた「長生きするほど得をする保険」も考えられる。保険料100万円の一括払い、30年満期で中途解約禁止、満期に生存している人だけで保険料元本と運用益を山分けするといった保険商品だ。原型を考案した17世紀のイタリア人の名前をとって「トンチン保険」などと呼ばれる。

 100万円の保険料を2.5%複利で運用すれば、30年で約2倍になる。元本と運用益を生存者だけが受け取る仕組みにすれば、満期保険金はさらに2倍になる計算だ。雑な計算だが50歳すぎで100万円払って「トンチン保険」を買い、満期まで生きれば約400万円がもらえることになる。80歳すぎでまとまった金額が受け取れるのならば、長生きに対して心理的に楽になれる。

 途中解約禁止でないと成立しないなどの問題のほか、「亡くなる人が多いほど生存者が得をする反道徳的商品」との批判もあり、日本では売られていない。ただ少子高齢化社会において若い世代に頼るのではなく、同世代の相互扶助制度として評価することもできるはずだ。

 「トンチン保険」は議論を始めるにあたっての一例だ。常識にとらわれず、長寿社会に対応した処方箋を金融の面からも考えるべき時代が来ている。」

この話、成熟した民主主義社会、自由主義の社会にあってどこまで規制を緩和していいものかという話かと思います。規制をすることで国民を守るという側面と、教育を受けた国民なのだから自己責任で考え判断すべきという側面。従来の仕組みや考え方を引き延ばすだけでは限界に来ていると思います。個人的には、ある程度のルールをもって選択できるようにすることも一案ではないかと思います。