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バックナンバー 2012年 12月
今年もお付き合い頂きまして誠に有難うございました。来年も坦々と歩を進めて行きたいと思います。
 
昨朝、評論家やジャーナリストの並ぶテレビ番組がありました。「なるほど」と思う話もあれば、原発政策については「政府はおかしい」「未来の党の民意はどうなるのか」など反原発の声一色。公明党もゼロを目指すと訴えてきたましたし、そのための議論をしながら「依存度を下げる」という連立合意になっています。
 
選挙制度に問題がある、原発政策に問題がある、といっても現在の法律に基づいた選挙で民意というものが示されているわけです。2週間前の民意です。選挙結果を無視して、批判だけするというのは無責任ではないかと思います。分裂しましたが、未来の党の得た民意は大事です。しかし、他の党の得た民意も大事。言いたいことを言うのが民主主義ではありません。広く国民に正確な情報を伝えるべき役割を担う番組制作者。日本の行方をも左右する責任は重大です。
 
世界を見れば成熟した民主主義の国・日本ではありますが、直面する多岐にわたる日本の危機を突破するには敵も味方もありません。自分の思う通りでないと間違いという偏狭な考え方でなく、それこそ未来のために可能な限り多様な意見を集約し、力を結集して前進することが必要ではないかと思います。現実を見ない評論や批判のための批判は無意味であり、日本がより弱体化していく原因になるのではないかと思います。公共の電波を通じて発信された情報の影響は大きいが故に、現実を直視した、プロセスを明示した責任ある議論を見たいところです。
 
民主主義の「自由」、それは「放縦」とは異なります。厳しく指摘される力がはたらかないのが原因かと思いますが、商業主義とセンセーショナリズムを追求するいつまでも変わらないマスコミ、メディアがあります。繰り返しになりますが、その責務は極めて重く、その使命を自問するとともに、自らのためでなく、日本国民のために働いて頂きたいと願うところです。
 
他でなく自らにも原因を求める中で議論する。他に変化を求める前に自らを問うてみる。それも民主主義の国においては必要なことではないかと思います。
 
民主主義が成熟した結果、自由と放縦をはき違えるという日本の現実もあれば、世界を見ますと民主主義を勝ち取るべく、戦いの続く国もあります。
 
日経新聞のコラム「大機小機」が「『民主化』いろいろ?」と題して指摘していました。
 
 「ジャスミン革命」とか「アラブの春」とか呼ばれた民主化運動の2周年がめぐってくる。
 
 チュニジア中部の都市で露天商の青年が、当局の取り締まりに抗議し焼身自殺をはかったのが一昨年の12月17日。ネットを介し抗議運動が広がり独裁者ベンアリ大統領の国外逃亡にいたった。
  
先月、たまたま訪ねたチュニジアは、街も落ちついて見えた。ただ、モスクの入り口で外国人女性観光客がスカーフ着用を求められるなどの変化もある。民主化とイスラム化が並行している。
 
 風雲急を告げるのは、ムスリム同胞団が政権を握るエジプト。新憲法制定をめぐり野党勢力が街頭に繰り出し衝突が起きている。イスラム色がついた草案では言論・表現の自由など人権が侵されかねないという不満だ。
  
 ムバラク独裁政権を倒した勢力が、イスラム派と世俗派に分かれ正面からぶつかっている。先ごろ来日したエジプトの言論人が「アラブの春は、暑く、ほこりっぽく、砂嵐が起きるいやな季節」と話していたが、政治的砂嵐の視界不良で、民主化の先が見えない。
  
 民主化革命の飛び火を恐れて、ネット上の「茉莉花茶(中国語のジャスミン茶)」まで検閲の対象になった中国は、指導部が「政権交代のある多党制や三権分立、二院制は導入しない」と「西洋型」民主主義を否定し、引き締めをはかった。
  
 だが先月、政権のバトンを受けた中国共産党の習近平総書記が第一声で「一部党幹部の汚職、腐敗」に触れざるをえない現実がある。格差拡大や官の腐敗を背景に、デモなどの集団抗議行動が年間20万件近く起きているともいわれる。政治改革を避けては通れまい。
  
 西洋型と呼ぶかはともかく、民主政という以上(1)成人男女が等しく選挙権を有する普通選挙(2)法の支配(宗教法は論外)(3)言論・表現の自由、の3つは欠かせまい。
  
 「民主主義は最悪の政体だ。これまで試みられてきた他のあらゆる政体を別にすれば」と、逆説的な表現で民主政の優位を説いたのはチャーチル元英首相だった。「中国的」とか「アラブ的」とか能書きをつけても、前述の3点セットの1つでも欠けば、民主政ならぬ「その他」だろう。
  
 どの国も、政治改革が「その他」の領域にとどまる限りは「民主化」圧力を受け続けることになるだろう。」
  
こうした話を目にしますと日本の民主主義に感謝です。
 
もちろん、変えたい、良くしたい、日本の民主主義社会にもそう思いたくなる様々な問題があります。身近な問題も、社会全体の問題も、何かを変えたいと思う時、批判をしたり他に依存する前に「自ら動く」ことが民主主義の基本ではないかと思います。一方、自らの力ではどうしようもできない場合には社会で助け合うことのできる力も民主主義の力ではないかと思います。
  
日本では空気のような存在「民主主義」。自由と放縦をはき違えた放言で日本の民主主義を劣化させることなく、自立した思考と建設的な議論で進化させることが大事だと思います。政治の現場では多様な意見の「合意形成」と「実行力」こそが負託を受けた政治家の最重要の仕事であると思います。
 
いずれにしましても、来年も人生のゴールを目指し、自らの道を坦々と前へ前へと進んでいきたいと思います。引き続き宜しくお願い申し上げます。
 昨日は夕方東京へ向かい、学生時代に共にマレーシア・マラヤ大学へ留学した旧友と再会。その後、別々の道へ。私はサラリーマン。彼はそのままマラヤ大に残り約20年かけ執念で同大Ph.Dを取得。現在、アジア経済学者として活躍しています。
 
彼は昨朝調査先のミャンマーから帰国したばかり。昨日は昔話で盛り上がるとともに、少し大袈裟ですが、アジアの成長と日本の将来についても語り合いました。昔から言われることですが、アジアの国々は日本の経済力・技術力とともに、日本の文化も求めている部分もあるようです。
 
先日、外国人旅行者も驚く、日本が世界に誇れる5つの美点についてCNNが伝えていました。興味湧く視点でしたのでご紹介します。
 
「日本は、まるで現代技術の周りを古き伝統が回っている万華鏡のような魅惑的な国だ。この国には、創造力、奇抜なファッション、古風な美しさ、効率的な事業、そして目もくらむファンタジーがある。日本は、全く予想もしない方法で五感を満足させてくれる場所だ。今回は、私が日本を訪問した際に驚かされた点を紹介する。
 
物価は高いが、手頃な価格のサービスや製品も
 
私の日本に対する先入観の1つに物価の高さがあり、それが訪日を先延ばしした理由の1つだった。たしかに日本は物価が高い。ギフト用の箱に入ったメロンが1個1万500円で売られている。また成田空港から東京までのタクシー代は約2万8000円もかかる。
 
しかし、日本には安くて便利な公共交通機関があるし、比較的安い食べ物がどこでも手に入る。デパートの地下の食料品売り場には、寿司、うなぎのかば焼き、お好み焼きなど、さまざまな食品が売っており、価格も破産するほど高いということはない。
 
見たことのないファッション
 
日本人はおしゃれで、多くの人が大変創造的な身なりをしている。東京の地下鉄や大通りでは、美へのきめ細かな配慮や「人はカンバスである」との哲学が身なりに表れている人を数多く見かける。
 
これは東京に限ったことではない。例えば古都京都の祇園では、文字通り頭からつま先まで、伝統的な足袋と着物に身を包んだ舞妓さんたちが普通に街を歩いている。ただ通り過ぎる人々を眺めるだけでも日本をもう1度訪れる価値はある。
 
ハイテクと伝統(とファンタジー)の融合
 
日本は今でもハイテク大国だ。そして、それを実感できる場所が「電気街」として知られる秋葉原だ。
 
秋葉原では、電器店が迷路のように立ち並び、ロボット、テレビ、ビデオゲームなど、ハイテク製品は何でも手に入るが、ここは単なる電気街ではない。
 
通りを歩いていると、不可解なコスチュームに身を包んだ人々に出くわす。今や秋葉原は、ハイテク、ロールプレイングゲーム、マンガなどに熱烈な関心を持つ「オタク」と呼ばれる人々のメッカとなっている。
 
周辺には無数のマンガ店やメイドカフェが立ち並ぶ。またフレンチ風のメイドやアニメのキャラクターの格好をした少女を数多く見かける。これは「コスプレ」と呼ばれ、彼らは好みのアニメやマンガのキャラクターのコスチュームを着て、そのキャラになりきる。秋葉原は未来と過去、ハイテクとファンタジーが融合している場所だ。
 
高層ビルや高速道路だけではない
 
日本には、世界に類を見ない壮大な高層ビル、素晴らしい幹線道路や鉄道網が作られてきたが、一方で強力な精神が宿る荘厳な建造物も作られてきた。
 
東京から約50キロ離れた古都鎌倉には、これまで見てきた仏像の中で一、二を争う見事な大仏がある。また1000年もの間日本の都だった京都は、日本の他の場所と同様、現代技術と伝統という対照的な2つが共存する場所だ。京都は人口約150万人の現代的な大都市だが、このような都市は世界に類を見ない。
 
京都は、地域全体に数千の神社や寺があり、さらに低層の木造住宅が立ち並ぶ祇園の街がある。祇園では、顔を白く塗った芸者(京都では芸妓と呼ばれる)たちが、音楽、舞踊、茶道などの日本の伝統芸能のけいこに勤しんでいる。
 
また京都は、歴史、伝統芸術、古代宗教の街であると同時に、任天堂のゲーム機「Wii」や小説家、村上春樹が誕生した場所でもある。
 
世界で最も清潔な場所
 
日本人のきれい好きは、日常生活のあらゆる面に見られる。日本は白い手袋をはめている女性(たまに男性も)をよく見かける地球上で最後の場所かもしれない。また、人々が定期的に外科手術用マスクを着けている世界初の場所かもしれない。
 
また日本の美徳を語る上で、トイレへの言及は欠かせない。驚くべき現代技術が詰まった日本のトイレに多くの旅行者が深く感謝している。
 
日本の人々はどこでも、困っている外国人旅行者を見つけると喜んで助けくれるし、先入観を打ち破るような驚きを与えてくれる。そんな美的原則を重視する日本という国に対し、われわれ旅行者もありがとうという言葉とおじぎを忘れてはならない。」
 
外国にはない日本ならではの際立つオリジナリティがあります。ボーダレスの時代と言われますが、何でも同一化するということでなく、長所は伸ばすべく、努力したいものです。

昨日は終日市役所で各種処理と書類整理。世間は仕事納めですが、まだ続きそうです。しかし、夜の雨は冷たかったです。帰宅後につけたテレビが池上彰氏の番組。インフルエンザとノロウイルスを同時に感染・発症することもあるとか。うがい手洗い、体力の維持を心掛けていきたいと思います。

ところで、読売新聞によりますと、中国の全国人民代表大会(全人代=国会)の常務委員会は28日、インターネット上での個人情報管理を強化する決定(法律に相当)を可決。ネット利用者に身元情報の提出などを求める内容で、「事実上の実名制」との批判が出ているそうです。当然ではありますが、そうせざるを得ない事情があるということかと思います。

ネット事業者は、契約時やサービス提供時に、利用者に対して正確な身元情報の提出を要求しなければならないとされ、さらに、利用者が発信する情報の管理を強化し、法規に違反する情報はすぐに発信を停止・削除したうえ当局に報告する義務が事業者に課されることに。違反した場合、罰金やサイト閉鎖、営業許可取り消しなどの対象となるとか。

この決定について、ネット上では、「中国のネットの言論統制は世界の先端を行くのに、さらに実名制にするのか」などの批判が相次いでいるそうです。

良否は別にして、国家の目的が明確ですから、行動も明確。日本社会でも、ネット犯罪、ネットによる人権侵害などの様々な問題を抱えています。同じ対応が必要かどうかは議論のあるところですが、中途半端な対応では問題の解決にはつながらないように思います。

日本未来の党が分党とのこと。。「日本のために」党に結集し、選挙を戦った同志。党内で話し合い、前に進むことはできなかったという結果は深刻。民主政治の基本は話し合いであり、日本の国会議員として基本的な資質が欠落していると言わざるを得ません。たとえ議席は少なくとも、全国342万票の得票。野党は反対するだけが仕事ではなく、合意形成の中で有権者とのお約束の実現に尽力する仕事があります。しかし、野合は野合ということでしょうか。卒原発、生活者等々、双方の放った言葉は軽く空しく、犯した罪は極めて重い。多くの期待は裏切られたと言わざるを得ません。

昨日は地元の各行政機関での打ち合わせや市民相談現場での広聴活動。思っていた以上に寒い今年の冬ですが、日中の晴天はありがたいです。

また、一昨日ご紹介しました詐欺グループに狙われているというご婦人を警察にお連れしました。安心してこの街にお住まいになり、元気で長生きを願っています。

先日伺ったあるお宅での話。「健康保険や介護保険に年金もある。色んなサービスがあるわけだから消費税も必要だろうし、老朽化した社会のメンテナンスにもお金は必要。只、60歳を超えてから仕事がない中で年金を得るまでどうやって生活するか。」すでに年金生活をされている方のお言葉ですが、一般的にも切実な問題として取り上げられており、これからの社会を心配されてのお話でした。

我が党も雇用延長する企業へのサポート等々にきめ細かく力を入れてきました。現状、65歳まで定年延長されている方は約50%と言われていますが、来年度からは65歳までの雇用が義務付けされます。まだまだやらねばならないことがありますが、特効薬というのも難しいものがあります。着実に施策を進める必要があります。

雇用のあり方の変革は、高齢者に限らず若者のためにも喫緊の課題。今回の総選挙でも多くの方々の期待が込められており、我が党としてもこれまでにも増して具体な結果でお応えして参ります。

先日、日経コラム「大機小機」が「長生きへの処方箋」と題しある提案をしていました。

 「50歳を過ぎると老後の生活設計を真面目に考えるようになる。50歳すぎの日本人男性の平均余命はざっと30年である。では、老後に備えるには30年の生活を支えるだけの資金計画があればよいのかというと、そうではない。自分の余命と日本人の平均余命は全く別物だからである。

 生涯60年のケースもあれば、平均余命を超えて長生きする可能性だって十分にある。よほど余裕をもった資金計画でなければ、不安なく老後を迎えることは考えにくい。

 そこで、長生きに対応できるように個人の資産を増やしていくことが必要になる。ただ、世は超低金利の時代で安全運用では資産は増えない。だからと言って、50歳を過ぎて、ハイリスク・ハイリターンの投資に走るのは危険すぎる。おのずと節約重視の資産増大策を取らざるを得ない。

 老後の不安があれば高齢者はお金を使えない。個人資産の多くを保有する50歳以上の世代が消費を抑えていては景気がよくなるはずもない。

 対策として、老後設計を念頭に置いた「長生きするほど得をする保険」も考えられる。保険料100万円の一括払い、30年満期で中途解約禁止、満期に生存している人だけで保険料元本と運用益を山分けするといった保険商品だ。原型を考案した17世紀のイタリア人の名前をとって「トンチン保険」などと呼ばれる。

 100万円の保険料を2.5%複利で運用すれば、30年で約2倍になる。元本と運用益を生存者だけが受け取る仕組みにすれば、満期保険金はさらに2倍になる計算だ。雑な計算だが50歳すぎで100万円払って「トンチン保険」を買い、満期まで生きれば約400万円がもらえることになる。80歳すぎでまとまった金額が受け取れるのならば、長生きに対して心理的に楽になれる。

 途中解約禁止でないと成立しないなどの問題のほか、「亡くなる人が多いほど生存者が得をする反道徳的商品」との批判もあり、日本では売られていない。ただ少子高齢化社会において若い世代に頼るのではなく、同世代の相互扶助制度として評価することもできるはずだ。

 「トンチン保険」は議論を始めるにあたっての一例だ。常識にとらわれず、長寿社会に対応した処方箋を金融の面からも考えるべき時代が来ている。」

この話、成熟した民主主義社会、自由主義の社会にあってどこまで規制を緩和していいものかという話かと思います。規制をすることで国民を守るという側面と、教育を受けた国民なのだから自己責任で考え判断すべきという側面。従来の仕組みや考え方を引き延ばすだけでは限界に来ていると思います。個人的には、ある程度のルールをもって選択できるようにすることも一案ではないかと思います。

昨日、総選挙を挟んで行われた横浜市会第4回定例会が閉会。

本定例会中に横浜市は学校や庁舎など約2500の公共建築物の実態をまとめた「横浜市公共建築物マネジメント白書」の素案を公表。老朽化の状況や、維持に必要な多額の保全費の推計などが盛り込まれており、今月26日まで市民の意見を募り、来春に正式な「白書」として公表するとしています。

公表以前から常任委員会等でも議論してきましたが、メンテナンスは横浜市を持続可能な都市とするための必須の事業です。

タウンニュースの記事をご紹介しますと、横浜市では高度成長期だった昭和40年から50年代の急激な人口増加に対応するため、大量の公共建築物を整備してきた。特に人口急増期に建築された施設の延床面積は約600万平方メートルで全体の6割。また、市民利用施設や社会福祉施設、学校施設の延床面積は約520万平方メートルで、これは大阪や名古屋、神戸市など他の政令指定都市と比べても多い。今後市内の人口減少が想定される中、公共施設管理のコストは、財政の重荷になる可能性が高く、市の大きな課題。

今回公表された白書の素案では、市民利用施設の年間利用者数や稼動率、維持費の状況などが試算されており、道路なども含めた市内公共施設の保全費は、今後20年間で約3兆4千億円と推計。また、2012年度一般会計の保全費は約580億円だが、今後20年間は、年平均で約960億円になると推計。

建物の保全コストを下げようと、市は決められた周期で修繕を行う「時間計画保全」ではなく、劣化に応じて早急な対応が必要な場合だけ修繕する「状態監視保全」を採用。ただ、一部の施設や利用者らからは「点検で劣化が判明してから修繕するのでは遅い」との声も。全体の施設数を減らすために廃止や統廃合も含めた検討が必要との指摘も出ている状況です。

無駄のない説得力のある成案が前提ですが、ひとつの課題に対して様々な考え方があります。立場が異なれば主張も異なります。大事なことは中途半端なことにならないよう、議論の結果決まったことを実行すること。それが結果的に街を市民を守ることになると思います。手をこまねいていては守れるものも守れなくなってしまいます。

地元青葉区は衆議院神奈川第8選挙区。小選挙区ではみんなの党・江田幹事長が大勝。自民党・福田氏が比例当選。選挙では誰が候補者として立つかを含め、過程も結果も各地各様の民意が反映されます。民意を背景に議席を与えられた方は、お約束を実現すべく全力を注ぐことになります。

昨日はクリスマスイブ。街も賑わっていましたが、これを本格的な賑わいにすることが政治に期待する民意であり最重要課題ではないかと思います。各党立場は夫々ですが、良い議論を展開して合意形成しながら、国会の総力で景気回復に全力を注いで頂きたいと思います。

昨日の読売新聞社説には「衆院小選挙区制 得票と議席の差が開き過ぎる」とありました。

「国民の代表をどう選ぶべきか。

 今回の衆院選の結果を踏まえて、選挙制度を根本から見直す必要があろう。

 自民、公明両党は連立政権協議で衆院選挙制度に関し、定数削減を含む抜本改革を検討することで一致した。両党と民主党による合意に基づくもので、通常国会で協議に入る。

 まずは、現行の小選挙区比例代表並立制の問題点を幅広く洗い出してもらいたい。

 2005年と09年の衆院選に続き、今回も、第1党が300議席程度に達し、第2党以下に圧倒的な差をつけた。

 小選挙区では、自民党の総得票数は民主党の1・9倍だが、獲得議席はこれを大きく上回る8・8倍にも達した。小選挙区制の特徴とはいえ、得票数と獲得議席数の隔たりの大きさに多くの有権者が違和感を覚えたのではないか。

 小選挙区制の長所は、民意を集約することで安定した政権ができやすい点にあるはずだった。

 だが、議席の振れ幅が大きかった過去3回の衆院選を通じて、政権党には、一部の有権者の支持を失えば、次の衆院選で敗北し、下野するリスクが高まっている。

 政権党が有権者や業界団体の反発を恐れ、国論を二分する政策に及び腰になるというマイナス面も顕在化した。環太平洋経済連携協定(TPP)への参加について自民、民主両党が態度を明確にしなかったのは、その一つだろう。

 選挙のたびに「チルドレン」や「ガールズ」とやゆされるような新人が大量当選し、その多くが次回選挙で国会から消えていく。

 激戦区でなくても議員が地元に縛り付けられ、国政をおろそかにする傾向があると言われる。

 比例選出や支持基盤の弱い議員たちは、選挙で生き残ることを優先し、大衆迎合主義(ポピュリズム)的な行動に走りがちで、政治の混乱の一因になっている。

 当選を重ね、専門知識を深めることで、官僚を使いこなせる質の高い政治家が育つ。だが、現行制度は、真の政治主導を実現する妨げになっているのではないか。

 菅前首相のように、小選挙区で敗れたのに、重複立候補した比例選で復活当選する仕組みが今なお続くのも納得しがたい。

 与野党からは、こうした問題点を踏まえ、中選挙区制の復活を求める声も出ている。それも排除すべきではないだろう。

 選挙制度改革には党利党略が絡む。政党同士よりも、有識者による客観的な議論が望ましい。」

これから始まる安定政権による景気回復、課題克服には大いに期待していますが、一方で今後のためにも個人的にはこうした見直しに賛成です。国民が主権者であり、その民意が適切に反映されない選挙制度はやはり問題だと思います。

昨日は青葉台でのイベントの後、地元の課題の現場へ。その後は東京へ。

青葉区の地震被害が横浜市内最少であることについてタウンニュースが伝えていました。

横浜市は7年ぶりに見直した市内の地震被害想定を発表。前回想定した地震より、津波や震度の大きい4つの地震で被害を予測。想定によると、市内で震度が最も大きい「元禄型関東地震(M8.1)」の場合、青葉区の揺れや火災による建物の全半壊、焼失、死傷者数が市最少。この想定に市は「比較的揺れにくい地盤が要因の一つ」とのこと。

市は、昨年の東日本大震災を受け、「最大クラスの地震・津波」を想定した被害の見直しを実施。今回想定した元禄型関東地震(相模トラフ沿い震源)は、津波や震動が前回の南関東地震(M7.9)より大きいため対象に選定。そのほか首都直下型の東京湾北部地震、南海トラフ巨大地震、高い津波が予想される慶長型地震を対象とたとのこと。

市は元禄型地震の場合、青葉区の震度は5弱から6弱と想定。揺れによる建物の全半壊は1129棟(市全体13万7100棟)、死傷者は最大で240人(同3万963人・午前5時発生)。震度分布図は前回の地盤データを基に、2万点のボーリングデータ(地質調査)や過去の地震記録などから作成。地盤の揺れやすさを表す「深さ30mまでの平均S波速度の分布図」によると、特に区内北部の岩盤が露出する地域は揺れにくい評価となったとのこと。市消防局危機管理室は「青葉区は震源地から離れ、他区と比べて揺れにくい地盤であることが被害想定の低い要因」とコメント。

元禄型地震では、市の火災による建物の焼失棟数は最大で7万7654棟(午後6時発生)。前回想定した南関東大地震の約11倍に上る。古い木造建物が密集する中区、南区、神奈川区が1万棟以上焼失する想定に対し、青葉区は36棟と市で最少。区危機管理担当は「青葉区は他区より区画整理された面積が多い。建物が密集せず、道路が広いなどの点で、災害に強い街づくりができているのでは」と分析しているそうです。

油断大敵。この年末、大掃除とともに防災対策も行う予定にしています。

昨日、新聞各紙やメディアが高齢者への虐待に関する厚生労働省の発表について報じていました。

NHKニュースによりますと、お年寄りが、一緒に暮らす家族などから虐待を受けたケースは、昨年度、全国でおよそ1万6600件に上り、過去最多だった前の年より僅かに減ったものの、依然として多い状況が続いていることが、厚生労働省のまとめで分かったとのこと。

昨年度1年間に、お年寄りが、一緒に暮らす家族などから虐待を受けたケースは、1万6599件。過去最多だった前の年より69件減ったものの、依然として多い状況。

虐待の内容は、複数回答で、体をたたくなどの「身体的虐待」が64%で最も多く、次いで暴言などの「心理的虐待」が37%、年金を勝手に使うなどの「経済的虐待」が25%、オムツ交換をしないといった「介護放棄」が24%。

虐待したのは、息子が40%と最も多く、次いで、夫が17%、娘が16%。また、虐待を受けたお年寄りのうち、およそ半数に当たる48%に、認知症の症状があったとのこと。

さらに、虐待で死亡したお年寄りは、殺人や心中などを含めて21人。厚生労働省は、「家族による虐待は、認知症の症状にうまく対応できず、追い詰められた末に起きているケースが多いので、自治体の職員が家庭を訪問し、必要な介護サービスの利用につなげるなど重点的に支援していきたい」としています。

朝日新聞でも被害者の半数が認知症であることを大きく取り上げ、厚労省が「認知症を理解してもらう取り組みや、リスクの高い家庭への支援を強める必要がある」としていると伝えていました。
 
様々な角度から介護について語られます。認知症への理解と共に、ご家族も含めケアする側の負担を軽減することも大変重要です。

ところで、先日、地元青葉区のある特別養護老人ホームを訪問し種々お話を伺いました。人気のある施設ほど経営のやりくりが大変な現状があります。

「いい施設は人材を育て、いい人材が辞めることなくスキルを上げ、サービスを向上させる」素晴らしいサイクルではありますが、給与の昇給も当然の流れ。人件費比率が毎年上がるという現実があります。一方、離職率の多い施設は新しい方が入れ代わり立ち代わりで人件費比率が低い。そのため経営が比較的楽であるとも言われます。介護保険制度がスタートして12年。制度は一度作ればいいというものでもなく、また机上で議論するのではなく、常に現場を見ながら改善を続ける必要があります。現場を見れば、制度の課題や必要な施策など色々なものが見えてきています。

介護現場の人手不足。介護ロボットの導入は、国でも神奈川県でも我が党がリードし、導入を促進してきました。先日、神奈川新聞に現状を伝える記事が掲載されていました。

「横浜市港南区の特別養護老人ホーム「芙蓉苑」で、対話型やぬいぐるみ型のロボットが活躍している。高齢者の“話し相手”となり、介護従事者の負担軽減にも一役買っている。

富士ソフト(横浜市中区)が開発した「PALRO」(パルロ)は人の位置や言葉を認識する機能を搭載した高さ40センチの小型ロボット。「遊びませんか」と話し掛けて、クイズを出したり、歩行や踊りもできる。ペット同様に癒やし効果を生むアザラシ型の「PARO」(パロ)とともに、利用者の人気を集めている。

県は「芙蓉苑」などを「介護ロボット普及推進センター」と位置付けて、リース料などを負担。県高齢福祉課は「ロボットが介護の現場で活躍することを感じてもらえれば」と、見学会も開催している。」

これ以外にも、移動をサポートするための介護ロボットなども活躍を始めています。多くのロボット技術は日本が世界を大きくリードしています。介護現場の負担軽減だけなく、日本経済復活への起爆剤になることを期待し、発展への環境を作っていかねばならないと思います。

昨日は終日地元で街の声を伺いました。やはり話題は総選挙の結果と今後について。最重要課題は「景気」。民意に応え、何より経済を好転させなくてはなりません。

衆院選後、様々な総括がありますが、私の先輩が興味深い分析をしていました。

「もし、衆院選を全国1ブロックの比例代表で行っていたら。

政党に対する民意を比較的忠実に反映すると言われている比例区に寄せられた各党の得票を、ドント方式で480議席に配分してみました。

各党の比例区得票をもとに、衆議院の総議席480議席にドント方式で配分してみました。

すると、各党の得票試算は、自民136(▲158)、維新100(+46)、民主78(+21)、公明58(+27)、みんな43(+25)、未来28(+19)、共産25(+19)、社民9(+7)、大地2(+1)、改革1(+1)となり、小選挙区比例代表制の結果とは大きく異なってきます。」

抽象的な話や批判に終始することなく、具体な政策で選挙を戦った自公が安定政権を作るということは、国民にとって具体な行動と結果を得るために大変重要なことだと思います。制度に基づいて政権を得るわけで、その責任をしっかりと果たしていかねばなりません。

只、今回の結果を受け、2大政党で政権を争う日本を主張してきた多くのマスコミも、今は小選挙区比例代表制度の問題は明らかと伝えています。日本において民意を的確に反映できる選挙制度はどのようなものか。国の役割が大きいままで、北から南まで各地各様の地域特性を表現できなくなるような全国1ブロック比例代表が適正かどうかは議論のあるところですが、日本の多様な民意を集約できるのは中選挙区制度ではないかと思います。

連立合意書案には「(自民、公明、民主の)3党合意に基づく選挙制度抜本改革により定数削減を断行」とあります。民意を的確に反映できる選挙制度改革による一票の格差是正はもとより、地方分権改革の推進と共に議員定数の削減を実現しなくてはなりません。

昨日は終日市会本会議。一般質問が行われ、我が党からは安斉英俊議員(港南区)が議場初登壇。防災減災対策、子育て関連、雇用対策等多岐にわたる質疑。特に中学校昼食に関する質疑には力が込められ、前向きな答弁がでました。長年「給食を」との声がある一方、アンケートをすれば「お弁当がいい」という声も多数あります。子ども達のためにどうするか。前進することが最大のポイント。我が党が平成7年から、持参弁当だけでなく、全員一律の給食でもない、低コストで市教委での栄養管理が行われ複数のメニューから選択できる業者弁当を選択できるようにする。夫々の事情に応じて昼食を選択できるスクールランチの実現を推進してきました。最近では、設備や人件費などにコストがかかり全員一律で食べる給食ではなく、多様なニーズに応えるこうしたスクールランチ方式が大阪市、名古屋市、相模原市などの自治体で採用されています。公明党が横浜でリードしてきたこの議論。早期に実現していきたいです。

本会議の休憩時間に友人からメッセージが届きました。大手新聞社の記者で20年来の友人。ある大学受験を控えた高校生からメールを受け取ったとのこと。「〇〇新聞は右でなくていいけど、もっと現実をふまえた左であってほしい」という趣旨だったとか。これに対する彼の返信。誠実な返信に「変わらないな」と思いつつ、誇らしくもあり、匿名を前提に本人に了解を得てご紹介する次第です。

 以下は彼への返信。

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 試験の勉強ご苦労様です。あらかじめお話ししますが、このメールへの返事は後回しでいいから、勉強に専念して下さいね。今は読まなくてもいいくらいですからね。

 さて。君が具体的にどの記事を読んでそう思ったか定かではありませんが、おおよその雰囲気は分かります。

知る限り僕の考えを述べます。

 まず、論の「左・右」ですが、これは君が強調するところの「現実」という言葉と関連があると思います。現在は、イデオロギーをめぐる党派制が薄れ、例えば昔だったら「社会党だから左」とか、グループで分けた瞬間に左右がある程度言えたのですが、今は違います。

 大阪の橋下さん自身は脱原発を唱えますが、だれも彼を「左」とは言わないでしょう。「左・右」という分け方は、すでに輪郭が崩れています。

 ですが、君も感じるように、漠然とではあっても「左右」で色が分かれるように感じるのはなぜでしょうか。

 そのカギは、さっきも言った「現実」にあると思うのです。

 その「現実」をどこに置くか。どこから見る風景を「現実」と定めるのか。

 最初に僕の考えを言うと、現実を「国家」から見るのか、「暮らし」から見るのか、それだけで「現実」はがらっと変わってきます。で、おおむね、国家から見るのが強いのが「右」、「暮らし」から見る傾向が強いのが「左」という感じではないでしょうか。

 たとえば、原発です。国の経済を考えれば、原発を動かす方が「現実的」だと見えるでしょう。一方で、原発事故で暮らしをずたずたにされた立場からすれば、原発ゼロこそ現実を直視したものと見えるでしょう。

 消費税もそうです。国の財政を考えれば、歳入を増やすのに増税は必要だという主張が現実味を帯びるでしょう。一方で、日々の暮らしに必死になる立場からは「これ以上の税金は払えない」というのが現実でしょう。

 誰から見た、誰のための「現実」なのか。客観的と思われるデータさえも、この立場でがらっと変わってきます。

 原発事故前の安全基準もそうでした。事故の前までは、事故が起こることのほうが非現実的だと捉えられていたのです。原発を推進する立場で見ることが「現実的」とされていたために、「ほんとうの現実」を見誤っていたとは言えないでしょうか。

 このような教訓を学んだ以上、いままで「現実的」と受け入れていたことも、ひとつひとつ手にとって「誰のための現実なのか」「何のための現実なのか」を重さを量るように、大きさを比べるように、できれば中身も分解して、丁寧に吟味することは、決して無駄ではないと思います。

 〇〇新聞は、あえて「左」のスタンスを取ろうとしているわけではありません。ですが、現実を「暮らし」の視点から捉え直そうとしているとは言えるでしょう。それが既存の物差しでは「左」と映るのではないでしょうか。国家を視点とする立場からは「非現実的」と見えるのかも知れません。

 「現実的」あるいは「現実路線」という言葉は、国家の視点から述べられていることが多いとは思いませんか。ですが、本来「現実」とは国家が独占する言葉ではありません。国家にとっての現実があるのと同様、暮らしの中にも現実はあります。

 にもかかわらず、私たちは知らず知らず、「国家の視点から考えることが現実的なのだ」という思考になれているのかも知れません。

 本当は、「国家の現実」と「暮らしの現実」を一致させる営為こそが民主主義国家における政治といわれるものです。どうしたらよいのでしょうか。

 ここは一番の悩みどころです。むしろ君たちに一番に考えてもらいたい。

 〇〇新聞も試行錯誤しています。なぜなら、いわゆる「現実的」な紙面をつくることが一番楽だから。

 だから大変です。

 たとえば、戦争中に、「この戦争はおかしい」「日本のためにならない」と主張するとすれば、それは現実的なのでしょうか。非現実的なでしょうか。「この極左め!」と言われて弾圧されたでしょうが、実は、「本当の現実」からは日本のためにはならないのであり、事実ならなかったのです。

 目の前の出来事に合わせることが「現実的」だとは言えません。目の前では逆風が吹きすさんでいても、実は「それこそが現実的」ということがあるのです。

 ですから、「左」とか「右」とか、立場に名前を付けるのはあまり意味はありません。大切なことは、どこから世界を見るかです。君はどこから世界を見たいですか。

 今は、とにかく何でも見て回って下さい。日本を、世界を。そしていろんな人たちを知って下さい。いろんな世界を知るたびに、いろんな人と会うたびに、自分の持つ「現実」は広がります。

 僕も特派員でいろんな人に会いました。6人の息子を紛争で殺されたおばあちゃんは、僕の手を握って帰そうとしませんでした。「ここがお父さんの墓だよ」と教えてくれた坊やは、その脇でサッカーをしようと誘ってくれました。

 いろんな問題を考える時に浮かぶシーンや顔々・・・。それが自分の抱く「現実」の大きさです。

 ヴィトゲンシュタインという哲学者がいました。ざっくり言えば、「ものを見る視点」について論究した人物です。

 例えば、リンゴを見る。この時、見ている主体は「目」か「脳」か。はたまた「リンゴ」か。目は光を網膜に映じて光を電気信号に変える。脳はそれを受け取って処理する。が、あらかじめ「リンゴ」というカテゴライズがなければリンゴと認識できない。そもそもリンゴがなければ、このような関係性は生じない-。

 しょうもない議論というなかれ。現在の画像認識技術では、この「ものごとを認識するプロセス」こそが重要なのです。

 で、ここで決定的なのは、ものごとを認識するとは、他の可能性を排除するプロセスとまったく同じだと言うことなのです。要するに、赤いオレンジだったり、リンゴ型の赤信号だったり、あらゆる他の可能性をそぎ落としながら、「これはリンゴだ」と決めることです。

 人間がものを考える際に、このプロセスは免れません。が、そのようなクセがあることを知るのは無駄ではないでしょう。見落としている要素、そぎ落としている視点があるのではないかという姿勢です。

 多分、人の知性とはそのことに気づくためにあるのではないでしょうか。

 「現実的」というとき、無意識に見落としている要素はないでしょうか。「暮らしの現実」は現実ではないのでしょうか。

 「非現実的な暮らし」はあり得ないと僕は思いますが、どうでしょうか。

 長々とお話ししました。

 ここまで読んでくれたとしたら、付き合っていただいてありがとう。ちゃんと勉強してましたか?

 試験も間近です。読んだとしても、いったんはこのメールのことは忘れて、勉強に専念して下さい。

 全部終わって、思い出してからでいいから。思い出さなくてもかまいません。

 どうか、大きな大きな未来が君の前途にありますように。

 ありがとうございました。」

政治家もマスコミも分かっているようで、分かっていないのかも知れない「政治の役目」。混乱が続く大きな原因ではないかと思います。批判だけでなく、主張の実現のために議論する。多様な意見の合意形成と前進こそが民主主義国家の政治の役目ではないかと思います。

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