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公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

菅首相介入で混乱拡大 原発事故調査報告について 1827

未分類 / 2012年3月1日

昨日は大雪、積雪。自然災害が都会の交通網を麻痺させる。難しい問題ですが、同じことを繰り返しているようにも感じます。変化一つで帰宅困難者発生のポテンシャルが高まる現実。3.11以降、震災対策は進められていますが、昨年9月の台風による帰宅困難者の大量発生も教訓に、自然災害全般を想定した留置き基準の考え方、帰宅困難者対策が必要ではないかと常々考えています。当局の考え方は異なるようですが。

「だれがやっても、どの党がやても同じだ」。国政で民主党が政権をとってからよく耳にする言葉ですが、それにしもひどすぎると思うことは多々あります。野党の時から、場当たり的、感情的、独善的、裏づけのない思いつき、無責任な言動等々、とても政党、政治家とは思えないパフォーマンス。原発事故の被害拡大は政権による「人災」だとされてきましたが、事故調査委員会によってそれを裏付ける報告書がまとめられました。特に菅直人前首相に対する厳しい評価を各紙が報じています。

読売新聞「東京電力福島第一原発事故に関する独立検証委員会(民間事故調、委員長=北沢宏一・前科学技術振興機構理事長)は27日、菅前首相ら政府首脳による現場への介入が、無用の混乱と危険の拡大を招いた可能性があるとする報告書を公表した。

報告書によると、同原発が津波で電源を喪失したとの連絡を受けた官邸は昨年3月11日夜、まず電源車四十数台を手配したが、菅前首相は到着状況などを自ら管理し、秘書官が「警察にやらせますから」と述べても、取り合わなかった。

バッテリーが必要と判明した際も、自ら携帯電話で担当者に連絡し、「必要なバッテリーの大きさは? 縦横何メートル?」と問うた。その場に同席した1人はヒアリングで「首相がそんな細かいことを聞くのは、国としてどうなのかとゾッとした」と証言したという。

翌12日朝、菅氏は周囲の反対に耳を貸さず、同原発の視察を強行。この際、同原発の吉田昌郎前所長(57)が東電本店とのテレビ会議で、「私が総理の対応をしてどうなるんですか」と難色を示す場面を目撃した原子力安全・保安院職員もいたという。

報告書は、官邸の対応を「専門知識・経験を欠いた少数の政治家が中心となり、場当たり的な対応を続けた」と総括し、特に菅氏の行動について、「政府トップが現場対応に介入することに伴うリスクについては、重い教訓として共有されるべきだ」と結論付けた。」

この報告書について菅前首相は、東電撤退を拒否し統合対策本部を設置したことが評価されたことについて喜びのコメントを出したそうですが、批判に対するコメントは一切なしとのこと。前首相らしい対応です。

その菅前首相。東日本大震災発生から1年となるのを前に時事通信のインタビューに答えました。「東京電力福島第1原発事故について「事前の備えがあまりにも不十分だった。備えがなかったという意味で大失敗だった」と述べ、事故を想定していなかった政府や東電の対応に大きな問題があったとの認識を示した。」

昔から変わりません。信用できません。

「菅氏は「それ(備え)があればもっと事故も放射線被害も大きくならずに済んだと思うだけに、責任を感じる」と指摘。同時に「東電から上がってくる情報そのものが極めて不十分だった」とし、その原因については「全部『3・11』前になる。つまり全電源喪失を一切想定しなかったからだ」と断じた。」

備えを理由に責任転嫁を図るとは言語道断。昔からのクセなのかいつも他人の責任にしようとします。事故調報告の通り「人災」であることは免れません。

「政府の初動対応をめぐり、民間の「福島原発事故独立検証委員会」(民間事故調)は、官邸が過剰に現場に介入したなどとする報告書をまとめた。これに関し、菅氏は「首相が陣頭指揮を執るのは例外だ。今回はやらざるを得なかったからやった。(官邸執務室に)黙って座っていても何も情報が来なかった」と釈明。震災翌日にヘリで原発視察に向かったことについても「黙って見ているときではなく、現場で実際に対応している所長に、きちんと話を聞かないといけないと思った」と語った。」

あの大変な事態が発生したときに、日本のリーダーが彼であったことが、日本の不幸であったと感じるのは私だけででしょうか。普通ならこんなことは思いません。しかし、日本国のトップリーダーの話です。

いつもながらに他の問題として、自身の責任など感じない。こんな人が会社にいたら周りが迷惑だろうなと思いますが、議員辞職するにはいい機会だと思います。