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バックナンバー 2011年 10月

防災訓練の週末が増えてきました。昨日は午後から雨でしたが、訓練は大体午前中。昨日は1件お邪魔しましたが皆さん雨に降られなくてよかったです。青葉区ではこれから2月まで各地で防災訓練が行われます。

今月の日経新聞「私の履歴書」は東レ名誉会長の前田勝之助氏の執筆。今日の朝刊で最終稿になるわけですが、昨日10月30日の「あしたへ 世界平和「製造」が急務 理数と人文、均衡ある教育を」には強く共感するものがありました。

「もう一度、7カ月前に起きた東日本大震災の直後に私の脳裏に浮かんだ疑念を振り返ってみる。

 日本人は「自助」と「共助」はできる。事実、混乱の中でも秩序を乱さず行動した被災者を世界が称賛し、多くの国から支援も寄せられた。日本人の清廉さや地域社会の温かさ、高い道徳観が示されたといっていい。

 しかし「公助」はどうか。猫の目のように政権交代を繰り返し、組織とリーダーシップが曖昧になってしまった日本は、これから本格的な復興を成し遂げ、隆々とした国家として立ち直ることができるだろうか。

 世界はいつもどこかが揺れ動いている。中東の政治的混乱があり、地域紛争と宗教紛争の火種も絶えない。複雑で不安定な国際情勢の中で、日本はその進路を定め直さなければならない。

 国家統治の基本は外交と軍事、産業技術、そして税と言われてきた。しかしいまや情報や資本にとって国境はないに等しい。市場の実需を大きく上回るマネーが国境を越えてなだれ込み、金融危機の災厄を瞬く間に世界にばらまいている。

 経済学は、拝金主義とカジノ経済を前に自信を失っているように見える。どうやれば目先の利益を求めて動き回るマネーを制御できるのか。無秩序に歩み続ける人類のゆがみを正す人文社会科学の叡智(えいち)が、いまこそ求められている。

 私は20年以上前から「世界平和製造論」を提唱してきた。これまで戦争と戦争の間が平和な時代と呼ばれてきた。しかし平和は「待つ」ものではなく、意志をもって「製造」しなければならない。政治家であれ宗教者であれ経済人であれ、手をこまぬいていてはいけない。それが技術者としての私の主張だ。

 すべての基本は教育だろう。学校で「宗教とは何か」「民族とは何か」など、国民が自分で判断できるための素養を身につける機会が必要だし、高等教育では偏りのない基礎学力の修養が重要だ。

 若者の理科離れが指摘されて久しい。理数と人文は教育の両輪だ。一方が取り残されてはバランスを欠く。理数の知識に乏しい「サイエンス・ディバイド(科学格差)」世代を作ってはならない。

 一方で自然科学の進歩のスピードに人文社会科学は追いつく必要がある。科学技術の暴走しがちな面をコントロールするためには、歴史学や倫理学も含めて均衡のとれた教育が望まれる。

 いずれにしても次代は子どもたちに託されている。子どものころにどんな本を読み、どんな体験をするかで将来の一部は決まる。私が母校の飯塚市立菰田小学校に「前田文庫」を寄贈したのはそんな思いからだった。
(中略)
 日本の将来を担う子どもたちには、豊かな情緒を持ち、たくましく「姿なき鎧(よろい)」を身にまとって世界に貢献してほしいと願っている。」

「偏りのない基礎学力の修養」 こうした想いを持つ方は少なくないと思います。それを実行し実現できるのは教育を行う当事者、学校の先生や保護者。私も保護者の一人ですが、当事者である大人が他人任せにしないということも大事な基本ではないかと思います。

昨朝、青葉スポーツセンターで行われた「青葉ふれあい運動会2011」に伺いました。主催は青葉区障害者交流レクリエーション実行委員会。3障害(身体、知的、精神)の区別なく、区内の9つの障害者団体が中心となち、区役所や体育協会などの方々のご協力のもと開催されました。さわやかな秋晴れの下、皆さん元気に集われていました。

官庁速報によりますと、東京都八王子市は、障害者に対する市民の理解を深め、差別のない平等な機会を提供する社会の実現を目指す「障害がある人もない人も共に安心して暮らせる八王子づくり条例案」(仮称)の骨子を策定し、市民の意見を募集しているとのこと。今後、条例案を12月議会に提出し、来年4月1日に施行する予定。

以前は横浜市でも先進的な取り組みが目立ち、福祉先進都市と言われたこともあったとのことですが、最近は「?」という声をよく耳にします。横浜市にも「横浜市障害者施策推進協議会条例」などいくつかの障害者をサポートするための条例がありますが、権利擁護の観点では不足を感じます。

八王子市の条例骨子は、条例制定の目的として、障害者への理解の浸透や差別をなくす施策の推進などを提示。市の責務として、市民の啓発や差別をなくすための施策の計画的実施を、市民の責務として、市の施策への協力などを定め、差別行為の禁止を打ち出しているとのこと。

具体的な差別に対しては、悪質な場合や解決が難しい場合、障害者側から市の相談支援機関などを通じて市長に申し立てることを可能とし、市長は事実確認の後、解決のための方法を助言したり、あっせんなどを行うとのこと。それでも障害者の扱いが変わらないときは、勧告することで強く改善を求めるとしています。

条例も結果が伴ってこそ制定の意義もあるというもの。平等な社会とは言うは易し。現実を直視し、社会的に真に弱いとされる方々に対するサポートを充実することで、溝を埋めていかねばならないと思います。

昨日は第3回定例会最終日。各種議案等の議決が行われました。市民福祉向上のための議決。迅速な執行と実効性ある結果を求めていきます。

横浜にも実現したい、昨日そんな東京の施策が報道されました。

読売新聞によりますと、警視庁は28日、自転車の原則車道走行を促す総合対策の骨子をまとめ、新たな安全策として、車道での事故を防ぐために車道左側を独自のイラストでカラー舗装し、自転車の通行場所を明示すると発表。来年1月から実施する方針で、全国の自転車事故の4割を占める東京都内での対策は、全国のモデルとなりそうとのこと。

警視庁は、歩行者と自転車を分離することが事故防止につながるとみて、車道左側走行や歩道での歩行者優先などマナー向上とともに、自転車の通行環境を整備。具体的には、自転車が通行できる歩道を減らすことや、以前からある自転車専用通行帯(自転車レーン)と歩道のカラー舗装に加え、今年度から車道左側のカラー舗装を始めるとしています。

最近の交通マナーの劣化からして大変重要なことです。

車道のカラー舗装は青色で幅約0.5メートル。歩道のある道路の車道左側に設ける。歩道がある道路は都内に約5740キロあり、このうち歩道の幅が3メートル未満で、車道の幅員にある程度の余裕がある駅周辺などの幹線道路について順次実施したい意向。

また、交差点の自転車横断帯について、直進の際に通行しやすいように横断帯を交差点の中央寄りに拡大することも検討。さらに、車両の通行が少ない経路を示す「安全ルート推奨マップ」の作製を全102署に指示。各署は、管内で交通量の多い場所1カ所を選んで自転車が安全に走行できるルートを検討し、警視庁のホームページに順次掲載するとしています。

総合対策は警察庁が25日に全国の警察本部に通達した対策に基づいているとのこと。警視庁は年内にも対策本部を発足させて詳細な推進計画を策定する方針。神奈川県警にも頑張って頂きたいところです。

昨年、全国で発生した自転車と歩行者の事故のうち、都内は1039件で約4割。今年は8月末までに自転車関連事故で全国の約2割にあたる26人が死亡。6月には、世田谷区の交差点を横断しようとした男性(当時81歳)が男子高校生の自転車にはねられ死亡。こうした実態が施策実現を後押ししたようです。

神奈川県警は警察庁との連携で動くわけですが、財政的には神奈川県との動きも極めて重要。県、県警、そして政令市との連携の下、是非とも本県でも実現したいところです。

昨日までの出張で種々学ぶことがあったわけですが、変えてはならないこととともに、何かを変えるということと、そのままではないにせよ昔に帰る、ということも多々あったように思います。

日経の教育欄に「教学相長」と題し玉川大学の小松郁夫教授が教育改革について指摘されてるコーナーがあります。最近の指摘を少しまとめてみました。

<教育改革 記憶型学習から脱却を>

 「産業界におけるイノベーション(革新)やレボリューション(革命)という言葉に触れて、教育システムや学習活動で、そのような変化があり得るのかと考えることがある。

 近代社会が学校システムを19世紀後半に開発してから、すでに1世紀以上が経過した。しかし校地や校舎があり、免許を有した教員が教育を担い、子供は集団で未知のことを習得するという学習構造には変化がない。

 学習活動でも記憶という習得が先行し、それをいかに活用し、探究や考察を行うかが求められている。年号を暗記し、文脈から切り離された英単語の訳語を暗記することに、どれほどの意味や価値があるのだろう。数学でさえ、受験生は解法の暗記に夢中だ。

 日常生活で、私は電話番号をほとんど覚えていない。携帯電話から氏名を探索して直接に電話する。年表にまつわる学習で、世界史の大きな流れの中に日本史の出来事を重ねて学習することは、私の高校生時代にはなかった。大学で数学を学び、ようやく考えることの楽しさを実感した思い出が鮮明に残っている。ノーベル賞を受賞したばかりの朝永振一郎先生の物理学序説という科目を入学したばかりの時に触れて、学問の奥深さを実感したことも忘れられない。

 教育界もそろそろイノベーションに真剣に取り組む時代が到来している。そのためには、まずは抜本的な入試改革に着手すべきなのだろうか。」

<学習と時間の関係 朽ちない知識、人生豊かに>
 
「近代社会で学校は、時間という生活感覚を身に付けた若者を社会に送り出す機能を果たしてきた。小学校では45分、中学校や高等学校では50分という単位で学校生活が組織化され、その集積が子供たちの学校生活を形成する。私たちは、ある単位時間で管理されることで、社会生活と時間のリズムを自然に学習するように仕組まれてきた。

 東日本大震災から半年。メディアは、米国ニューヨークでの悲劇から10年の節目でもあった9月11日を、さまざまな形で特集報道した。それに触れながら、人間の記憶や学習と、時間の関係を考えた。悲しみは時間とともに和らぐだろうか。必ずしもそうではない。いろいろな思い出は時間の経過とともに忘れ去られるだろうか。やはりそうとは限らない。

 何歳になっても、記憶したいくつかの知識は朽ちることなく活用されることがある。脳科学は素人だが、学習行為が人間の豊かな生き方と深くかかわり、その人間らしい在り方が幸福感とも結びついていることを実感できる。厳しくも充実した人生を送りたいがために、私たちは時間を使って学ぶのだろう。

 最近の子供たちは、学ぶ意欲や戦略的に思考する力が弱くなっているという。一定の時間軸で学習し、思考を磨けば、もう少し賢く行動できるようになるはずだ。過去から学び、現在を考え、未来を展望する。学ぶべきは時間軸の中で生き方や在り方を考えることだと思う。」

<教育改革の視点 未来を想像し考察を>

 「教育関連のイベント、第16回「ニュー・エデュケーション・エキスポ」が、東京と大阪で開かれた。

 今年のテーマは「未来の教育を考える」。学習指導要領改訂に伴った「確かな学力」「教科教育」「学校の環境づくり」や、総務省の実証実験であるフューチャースクールをはじめとした先進事例による「教育の情報化」、新しい高等教育の流れである「大学改革」「大学経営」「大学の環境づくり」「就業力」など、教育の将来あるべき姿や今後の展望にちなんだ多彩なプログラムを用意していた。

 「未来の教育」「未来の学校」という言葉に大きな刺激を受けたのは、2000年、青山学院大学や国立教育政策研究所の研究会で、ヘドレー・ベア・メルボルン大学名誉教授の話を聴いた時だ。教授の話は、将来のあるべき姿を構想し、その未来から今後の「未来の教育」を考察するバック・キャスティングの発想を基礎としていた。

 教育改革を議論する際は、現在の教育の姿や課題を分析し、施策を地道に積み上げて改善していくフォア・キャスティングの視点ではなく、子供たちが社会に出て行く時代を想像し、未来社会においてどのような能力が求められるのかを論ずることが重要ではないか。

 例えば、教育の情報化は間違いなく進展する。それを前提に新しい教育方法を研究し、政府は必要な財政支援に早急に着手すべきである。」

長くなりましたが、硬直化した記憶型の教育から柔軟に考えさせる力をはぐくむ教育へ。次の時代を見据えた新たな教育スタイルへの変化を続ける教育へ。政治・経済は外圧によって変化することは多々ありますが、特に教育は当事者が自ら変化していかねば殆ど変わることがないように感じています。

変わらないことほど楽なものはないのかも知れません。どのような世界にも変化にはリスクが伴います。一方、教育こそが国の未来を左右することは歴史が証明しています。教育には変えてはならないものと、変化し続けなくてはならない部分があると思います。「変化しないものは死んだものである」との言葉。教育にも変化は不可欠。現在の教育にこそ当てはまる言葉ではないかと思います。

昨日午後、鹿児島市に到着後、「鹿児島玉龍中高一貫教育校」を訪問。鹿児島市では平成14年度から平成15年度にかけて鹿児島市立の3高等学校の活性化について検討する中で、平成16年に鹿児島玉龍高等学校において併設型の中高一貫教育を導入することを決定。これを受けて、市民や保護者、学校関係者等からなる鹿児島玉龍高等学校中高一貫教育研究会議を設置し、教育理念、学校像、学校規模、通学区域、特色ある教育内容、併設中学校の入学者決定方法等について慎重に検討を実施。さらに、それぞれについて鹿児島市教育委員会が決定し、平成18年4月に鹿児島玉龍中高一貫教育校を開校。鹿児島県内初の併設型公立中高一貫教育校。

文科省が提示している授業時間より13%~17%多い授業時間。これに加えて毎日始業前に英語、数学の基礎学力アップ講座。選抜校でもあり生徒のモチベーションは高く、そこに勤務する先生方の意識も高いわけですが、先生はあくまで公務員。教頭先生としてもサラリーを上げるわけにもいかない状況での公立高校の先生のモチベーションキープは大変とのこと。また、昨日の朝刊には人事院の発表で国家公務員の給与を7.8%下げるとのこと。公立学校の先生の扱いも同じです。「先生なんだから」と言葉でいうのは簡単ですが、他人事では解決できない悩ましい問題。しかし、先生も生徒も凛々しい姿が印象的でした。

横浜市でも2007年に策定された「横浜市立高等学校改革推進プログラム」の一環として2012年4月に市立の中高一貫教育校を設置すると発表。これを受け、来年4月には市立南高校が中高一貫校として新たなスタートを切ります。今、全国でも中高一貫校の設置が拡大しています。公立としては新たな視点で新時代のリーダーをとの思いを込め試み。成功させていかねばなりません。

今朝は「鹿児島市親子つどいの広場なかまっち」へ。こちらの施設、子育て中の親とその子どもが気軽に集い、相互に交流する場を提供することにより、子育てに係る不安感等の緩和を図るとともに、地域の子育て支援機能の充実を図るために設置。施設の5階には、親子体操や紙芝居、読み聞かせなどを行う「子ども広場」、親子同士で気軽に交流し、子育てについて情報交換を行う「憩いの広場」、子育てや子育て支援の研修などに利用できる「研修室」、子育てに関する相談及び援助を行う「相談室」を備えており、6階には、環境への配慮として芝生による緑化を行い、滑り台や砂場などの遊具を設置した「屋上広場」を設けている。また、1階には、相互に育児の援助を図る「鹿児島市ファミリー・サポート・センター」を設置していました。

横浜市でも類似の施設、メニューはありますが、場所の問題もありましてこうした機能は市内各地に散らばっています。まとまっていることのメリットは大きいです。しかし、もっとも大きな違いは人と人との繋がり、コミュニティのあり様。良いところを学び実践することは大事ですが、大都市と地方都市の子育て支援を一緒に議論することの難しさを感じます。

昨日から超党派の議員と共にこども青少年・教育委員会の行政視察で福岡市にいます。ある方も指摘していましたが、「視察」という言葉自体、普通に「出張」に変えた方がいいのではないかと思うのですが。

まず、「福岡市総合図書館」へ。多彩な機能を持つ生涯学習推進の中枢施設として、図書館部門、映像資料部門及び文書資料部門の3部門で構成されており、新しい形の公立図書館を目指しているとのこと。とりわけ、アジアのフィルムセンターを目標とし、アジア各国の貴重なフィルムを収集・保存するとともに、郷土福岡に関係の深い日本映画や実験映画などのフィルムも収集・保存。館内には、これらを市民に対して広く公開することを主な目的として映像ホール「シネラ」を設置しており、定期的に上映を行っているとのこと。

横浜市の中央図書館でも市民の声に応えた試みがなされていますが、視点を変えてアジアの中心となるという目標をもって活動することは様々な波及効果が出ているようです。因みに横浜を真似て様々な施策を展開されているとのこと。例えば、書籍のインターネット予約は全体受付の65%まで上がってきたとか(横浜は75%)。切磋琢磨しながらいいところを伸ばせていければと思います。

その後、ホテルの会議室で以前から懸案となっていた市立保育園の民間移管について説明を受けたのち議論となりました。

本日の午前中は「福岡市立博多小学校」へ。博多部のドーナツ化現象により生徒数が減少したため、4つの小学校が統合し、平成10年4月に開校。平成13年には旧奈良屋小学校敷地に新校舎を建設して移転。地域に開かれた学校、博多の伝統を生かす学校としての特色を有しており、地元の祭りへの参加により地域文化を継承する「博多っ子」の育成を目指しているとのこと。

横浜市においても少子化の流れや耐震化の問題等、総合的に勘案しながら学校統合を推進しているところですが、それぞれの学校には歴史や伝統、地域との連携など深いかかわりがあり簡単なことではありません。単純に統合すればいいというものでもなく、それを円滑に進めるためにも未来を目指す新たな行動も重要となります。その一つが博多小学校のこうした動きともいえます。

新校舎建設に当たっては、プロポーザルコンペ方式を導入し、福岡市出身の建築家である工藤和美氏を選出。コンセプトは「学校はまち・まちは学校」。ガラス面を多用して開放感を演出し、間仕切りなどの明確な「教室」の区分がなく、緩やかに一体化した空間を持つオープンスクール(オープンスペース)構造。第15回福岡市都市景観賞やインテリアプランニング賞2002優秀賞などを受賞。さらに、学校施設としては、階段状の「表現の舞台」、水深を変えられる昇降式プール(プール休止時には屋上グラウンドとなる)、半地下の講堂兼体育館、太平洋戦争時の福岡大空襲で焼け残った旧奈良屋小学校の扉などの戦争資料を展示する平和記念室を備えていました。

オープンスペース、ガラス張りという点。この効果としていじめがないということを強調されていました。

種々学んだ点、今後に活かしていきたいと思います。これから鹿児島市に向かいます。

サラリーマンなどが加入する厚生年金の支給開始年齢を68歳に引き上げるなどの検討案を、厚生労働省が社会保障審議会年金部会に示しました。検討段階の案であり、直ちに68歳に引き上げるものではなく、あまりに唐突。また、厚生年金の支給開始年齢は現在、基礎年金部分は60歳から65歳への段階的引き上げが進行中。こうした話を出す前に政府は65歳までの雇用をどう実現するかの議論こそ先行すべきです。

これに乗じて2004年前後に見られたのと同様に一部マスコミが「年金崩壊」等々の見出しを出し始めました。あの時もまるで明日にでも年金制度がなくなるかのような見出しでキャンペーを張りましたが、結局は発行部数を上げるために不安を煽っただけのことでした。しかし、年金制度はなくなっていないのが現実です。

では本当に大丈夫なのか?という点に答える必要があります。運用益の問題、出生率、経済成長率の見通しについての批判もあります。現時点の数値が悪いので問題になるわけですが、数値が悪くない時にはこうした話は出てきませんでした。やはり、政府は定期的に運用情報を含めた公開をしていく必要があると思います。

そこで、マスコミに厚生年金の支給開始年齢の68歳への引き上げ検討が報じられ、国民に戸惑いが広がっている中、2004年に持続可能な年金制度改革を主導した、公明党の坂口力副代表(元厚労相)がインタビューに答えていましたのでご紹介します。

――政府内で年金の支給開始年齢を引き上げる案などが検討されているようです。

坂口副代表 「社会保障と税の一体改革」の審議会などで、一部意見が出ているのは事実です。しかし、厚生労働省がさまざまな検討項目の一つとして提案したものであり、政府の意思として提出したものではありません。

言うまでもなく、現在の年金制度の維持を前提にするのであれば、支給開始年齢を引き上げる理由はまったくないし、それでも行おうとするなら断固反対です。

――「年金の100年安心」はウソだとの批判もあります。

坂口 2004年の年金改革は、5年ごとに財政状況を検証することになっています。1回目の検証が09年に行われましたが、賃金や物価、合計特殊出生率、積立金の金利――など、総合的に検証した結果、順調に推移しているとの結論でした。

ウソだと言うのは、現在の制度を快く思っていない人や党です。

民主党の具体的な年金改革案は、いまだに示されていませんが、これまでに断片的に伝えられる案を実現しようとすれば、莫大な財源が必要ですし、仮に支給開始を68歳以上にしてもまだ財源が足りないと思われます。このため今回の動きは、民主党案を実現するための動きとも見ることができるでしょう。

第2は、消費税を引き上げる理由に年金を使いたい人たちです。しかし今後、財源を必要とするのは年金よりも医療の方です。

04年の改革は、支給開始年齢を「65歳」からさらに引き上げなくても、揺らぐことのないように設計されています。あらためて強調しておきます。

――今の年金制度を破綻させない条件は。

坂口 一つは合計特殊出生率(一人の女性から生まれる平均子ども数)です。04年改革では、これを50年までに1.39人以上に回復させるとしていましたが、昨年すでに1.39人になりました。

もう一つは、賃金が毎年1%以上に上昇することです。最近、賃金の上昇は見られませんが、一方で物価も下落しているので帳消しになっています。金利の収益もあり、十分にカバーしています。

いずれにしても、賃金の回復は政府の責任。デフレからの脱却こそ急務です。

――現制度はデフレに対応できるのですか。

坂口 デフレに対応するためには、本来、物価下落に対する年金の引き下げが必要ですが、完全に行われていないのが現実です。将来、物価が上昇した時、帳尻を合わす必要があります。そのためにも今、デフレ対策を強力に進めることが重要ですが、民主党政権の対策は不十分だと言わざるを得ません。

――年金積立金は枯渇の心配はないですか。

坂口 積立金は安定して運用されており、心配いりません。自主運用が始まった01年から昨年までの10年間の収益額は、11.4兆円、収益率は1.20%となっています。

――公明党は年金制度の改善にどう取り組みますか。

坂口 制度の前に、非正規労働者もすべて厚生年金に加入できる体制を作ることが重要です。

制度としては現状の根幹を堅持しつつ、低年金所得者の額を引き上げるべきです。その財源は、消費税など税制改正で対応すべきだと考えます。

昨日の午前中のあるご主人との会話。「日本も世界も問題が多い」「欲望の追及の結果なんじゃないかな」「他人だけじゃなくて、家族や友人への思いやりが薄れていることが原因」等々、的を射たお話だなと感じました。

米国経済の行き詰まり感や日本経済の長期低迷、ギリシャでの大規模デモなど資本主義の限界のようなものを感じさせる昨今。どこかでバランスが崩れていて、修復することができるのか、取り返しのつかないところに来ているのか。 

日経コラム「大機小機」が「資本主義の歴史的転換期」と題して指摘していました。

「欧州各地で暴動が起き、米国の反ウォール街デモへの共感が静かに世界に広がる。先進国で高まる社会不安の反映だろう。金融危機に端を発した経済危機は政治危機に発展しつつあり、資本主義の全般的危機ともいえる様相を帯び始めた。

 バブル崩壊後の経済がたどるプロセスはほぼ一様だ。金融機関同士や金融機関と企業・家計などの間の債務不履行の恐れが危険水準に近づくと、政府が金融・財政政策を駆使して民間の債務を肩代わりする。しかし、政府の政策対応にはおのずと限界があり、国民に負担を転嫁してバブルの後始末が終わる。

 30年来の経済のグローバル化、市場化、金融化の結果、債権・債務関係が国境を越えて複雑に絡み合い、金融経済と実体経済の乖離(かいり)が著しく広がったことが問題の処理を難しくしている。

 金融救済が財政を圧迫し、失業や増税などで国民にしわ寄せが及ぶ。貸し手と借り手の双方が、外国(人)のために犠牲を強いられる理不尽だけではない。バブルで利益を得たのは富裕層や支配層で、後始末で負担を強いられるのは一般国民や貧困層という不公正が大衆の怒りを買う。

 中産階級が没落し、貧富の格差が拡大したところにツケを回されれば、社会は分裂して秩序が乱れ、富裕・支配層も安寧を脅かされる。ひと時代前ならば、階級対立が激化して、革命や内戦に発展してもおかしくない危うさだ。

 リーマン・ショック後の金融資本主義の崩壊で想定された変化は着実に起きている。「脱金融」の動きは金融緩和で減速したが、危機の進化で再加速しつつある。一旦は停滞した「再規制」の動きも事態の深刻化で大衆迎合の批判を乗り越えて進むだろう。

 一方で、「再産業化」の動きは遅々としている。雇用最優先のオバマ政権がテコ入れする太陽電池企業が経営危機に直面する米国を見れば、一度失われた産業基盤の再建は容易でないことが分かる。

 状況は1930年代に似てきたが、戦争や福祉国家が解決策だった歴史の単純な繰り返しはないだろう。先進国の経済水準は当時と比べものにならないほど高く、豊かさの中の貧困と格差の問題だ。

 問われているのは強者の論理で国民経済の危機を招いた政治と経済のイデオロギーである。資本主義の歴史的転換期にある世界は、経世済民の新しい「政治経済学」の登場を待っている。」

現在の最大の問題は今と将来の生活に不安を感じてること。これを払しょくし人々が安心して生活できることが基本だと思います。

隅々まで血の通う行政とは教育とは。こうした問題の解決のために地方分権や行政単位の見直しなどが議論されています。少人数学級の効果は実証済みであり、その実現が国を挙げて進め手られているわけですが、地方自治体における教育行政全体の規模のあり方も議論のあるところです。様々な手を打っているとはいえ、現実としていじめは減っていません。

産経新聞によりますと、文部科学省が今年度から来年度にかけ、中学時代にいじめなどが原因で不登校になった20歳前後の若者を対象に、現在の生活実態を追跡調査するとのこと。特にいじめによる不登校生徒は、その後も「いじめ後遺症」に苦しみ、ひきこもりになるケースがあるため、文科省は実態を解明し、長期的な支援策の検討に役立てる方針としています。

以前もいじめ後遺症について掲載しましたが、いじめはいじめた方が100%悪い。断じて許してはなりません。

調査は、文科省が大学教授らを委員として立ち上げた「不登校生徒に関する追跡調査研究会」が実施。平成18年度に中学を卒業した不登校の生徒4万人が対象。不登校生徒らが在籍していた中学に問い合わせて、本人と電話で連絡を取るなどして、現在の状況を聞き取るという方法。

質問項目は、(1)中学3年時に学校以外の方法があれば、勉強を続けたいと思ったか(2)中学卒業時、希望通りの進路に進むことができたか(3)自分の望み通りの仕事に出会ったか、など約30項目。

文科省は不登校やいじめの実態把握は行ってきたが、不登校生徒の卒業後の進路や就職先の追跡調査は、これまで10~11年度に一度調査しただけ。今年5月には、高校2年で自殺した当時16歳の女子高生の遺族が、中学時代のいじめが原因だとして学校法人や当時の担任らに損害賠償を求めた訴訟の判決で、名古屋地裁が4年前のいじめと自殺の因果関係を認定。学校側の責任を一部認める判決(学校、遺族側双方が控訴)。

文科省は、いじめが原因で対人関係がうまく構築できなくなったり、心身に変調をきたすなど、卒業してもいじめの「後遺症」に苦しむ生徒は多いとされ、長期的な心のケアの必要性を指摘。担当者は追跡調査について、「不登校生徒が学校を離れた後、どのような生活を送っているのかを把握し、その後の支援に役立てていきたい」とのこと。

いじめがなければこのようなことも不要なわけですが、卑劣な行為が撲滅できていない現実。また、いじめはこどもの世界だけの話ではない現実。できる限りの支援につなげていかねばなりません。

昨朝のNHKニュース。トップの3項目が海外情報。世界が揺れています。

リビアのカダフィ大佐死亡、ギリシャのデモ拡大、タイの洪水被害。政治、経済、自然との闘い。多方面にわたり世界が抱える問題の象徴として出てきたようにも感じます。これから世界はどこへ向かうのか。政治の無策が叫ばれることも多々あるわけですが、政治にしか解決できない問題でもあります。

「生活できる」「食べることができる」 当たり前のことですが、これが基本にないと不安は広がります。しかし、直面している課題は大きいものがあります。

先日、日経新聞が「70億人が食べていくために」と題した社説を掲載していました。

「国連の推計で、世界の人口が10月31日に70億人に達する。国連は貧困と不平等、環境問題など各国が協力して克服すべき7つの課題を挙げている。最も切実な問題は、70億もの人々の食糧をいかに確保していくかだろう。

国連は各国が報告する人口動態をもとに世界人口をまとめている。1987年に50億人を超え、98年には60億人を突破。その後の13年間でまた10億人が加わった。

人口の増加と同時に、中国をはじめとする新興国の食生活が豊かになってきたことで食糧需要は膨らむ一方だ。食肉の消費が増えれば、牛や豚の餌としても大量の飼料穀物を使う。

米農務省の調べでは、主要穀物の消費量は87年から98年の間に12%増えたのに対し、新興国の経済成長が顕著になった98年から今年見通しまでの増加率は2倍の24%に高まっている。

すでに人口の伸びは鈍り、今後は「世界の高齢化」も進む。しかし食糧需要は新興国と発展途上国の成長で人口以上の拡大が続くと考えられる。アジアやアフリカでも農業の生産性を高め、供給確保を急ぐ必要がある。

国連の指摘する貧富の差などが食糧問題を深刻にしている現実も見逃せない。慢性的な栄養不足に苦しむ飢餓人口は10億人近い。世界全体で見ればコメや小麦などの供給は足りていても、価格が高騰すると経済力の弱い発展途上国では飢餓人口が増えてしまう。

トウモロコシなどの穀物価格は、2000年以前と比べ2倍以上の水準にある。先進国の金融緩和が続く間は、先物市場に投資マネーも流入しやすい。

人口の増加はアフリカ、西アジアなどの発展途上国に集中している。こうした地域で経済が成長し、地域内の貧富の差も是正されなければ食糧問題は解決しない。政情不安が再び原油や農産物の価格上昇に跳ね返る恐れもある。

日本としても当面の食糧支援は大切だが、農業生産や人材育成で協力できる部分が大きいはずだ。」

的確な指摘なのではないかと思います。農業問題は国内課題の解決が大きな論点となっていますが、世界の中の日本を勘案しながらの食糧・農業政策というものの展開が求められているのではないかと思います。

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