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公明党 横浜市会議員(青葉区) 行田朝仁 (ぎょうた ともひと)

マハティール・元マレーシア首相のインタビューについて 1514

未分類 / 2011年4月21日

南方系の顔をしているからではないのですが、大学時代には興味を抱いていた東南アジア経済の勉強をしていました。その後、縁あって在学中にマレーシアの国立マラヤ大学へ交換留学。先方の先生から「交換留学だからマレー人を送ったのに、マレー人が帰ってきた」と言われたほど違和感のない顔をしていました。

異文化を肌身で感じ、平和とは何か、国際人とはなど、多くを考えさせられたたこの貴重な経験が、その後の道を開いてくれたように思います。

総選挙直前に留学し、当時は22年間(81年~03年)続いたマハティール政権の第3次政権が発足した時でもありました。首相の強力なリーダーシップと国民の信頼を集める政治の力というものを感じていました。結果として国は繁栄し、政治は安定し、国民が豊かになるという政治目的が前進していた時期でもありました。

日本の災害対策。個人的には、大臣を3人増やしてもあまり変わらないように感じています。そもそも欠落しているのは大臣の数でなく、リーダーシップ。進むべき道を示すことで反対、抵抗する人がいて当然。国のビジョンとプロセスを示し、リーダーシップを発揮することが何よりも求められていると思います。

日経新聞にマレーシアのマハティール元首相が「与野党が協力し国民導け」と題しインタビューに答えられていました。ご紹介します。

 ――日本が国難に直面しています。
 「経済的のみならず政治的にも難局だ。首相が頻繁に交代するなど最近の日本政治は一貫して不安定だった。それが未曽有の大災害に対処するうえで、足かせになりかねない。いまこそ強力かつ決断力のある政府が不可欠で、態勢を早急に整えなければならない」
 「与野党対立は棚上げし、協力して現状を把握して必要な対策を示す。そのうえで国民に忍耐力と経済的負担を呼びかける。大連立も選択肢に入るだろう。政争にかまけて乗り切れる状況ではないことは明らかだ」

 ――世界経済に与える影響をどうみますか。
 
「日本の経済力を踏まえると復旧・復興は比較的早いだろう。最大の難題は原発事故による放射能汚染だ。完全に封じ込めるまで極めて微妙な問題であり続ける。汚染水を海に流していけば、日本の農業・水産業に打撃を与える。しかも、潮流に乗って外国に流れ着く可能性もある」

 「日本産業の最大の強みはあらゆる産業分野における高性能部品だ。その供給が滞ることで世界経済に一定の影響を与えるのは避けられない。マレーシアに立地している完成車メーカーでも日本からの部品の供給が停滞して生産に影響が出ているケースがある」

 ――今回の大災害はアジアに地政学的な変化をもたらしますか。

 「日本の国力が低下すれば、中国が競争上優位に立ち存在感が高まるだろう。しかし、そもそも中国の急成長を止めることなどできない。人口が多く、優秀な人材がそろう。何より彼らは共産主義だが、ビジネスに精通している。むしろ中国を巨大市場としてフル活用し震災からの復興に利用する、というくらいの発想が必要だ」

 「安全保障面では、日米が中国を敵視したり、封じ込めたりしようとすればするほど、中国は軍備を増強する。その資金力も備わってきた。だが、日本は武器輸出国ではないためアジアの軍拡競争にあらゆる意味で利点がない。マレーシアも中国とのあいだで領有権問題を抱えるが、互いの主張を出し合い対立ではなく、対話で問題を解決に導く路線を打ち出している」

 ――日本は震災前から低成長が続いていました。1980年代に「ルックイースト(日本)」政策を掲げた本人としてどうみますか。

 「この15年間にわたる停滞には2つの原因がある。1つは相次ぐ首相の交代など政治的指導力の欠如。1年や2年ではきちんとした政策を立案、導入できるはずがないし、その政策の善しあしさえ検証できないうちに首相がいなくなる」

 「2つ目は『日本株式会社』の極端な破壊だ。官民連携が日本経済の強さの源泉だったはずだ。それを米欧の批判をまともに受け入れ、連携を遮断した。本来、官民の究極の目標は国力を高めるということで共通だ。官僚は糾弾され萎縮し、企業は行き過ぎた市場原理主義に適応できずに戸惑っているのが現状だ」

 ――日本は果たして復活できますか。

 「日本は戦後ゼロからスタートした。その後も幾多の天災や人災を乗り切ってきたことを私は目撃した。日本国民が再び結束し、難局を乗り切ることを確信する。そしてその経験を将来、直面するであろう難局の教訓にすべきだ」