昨日、港北公会堂で「港北区戦没者慰霊祭」が行われ参列しました。無宗教の献花方式で区が運営。遺族会の皆様を中心に厳かに行われました。二度と戦争を引き起こさないためにも、こうした行事を決して風化させることなく、引き継いでいかねばならないと決意した次第です。
ところで、毎年、終戦記念日が近づくと、首相や閣僚の靖国参拝をめぐる論議が繰り返されます。私はだれもがわだかまりなく追悼の誠を捧げ平和を祈念することのできる無宗教の国立追悼施設を創設する必要性を強く感じています。福田首相が小泉内閣の官房長官であった時に私的懇談会「追悼・平和祈念のための記念碑等施設の在り方を考える懇談会」(座長・今井敬経団連会長=当時)の初会合が首相官邸で開かれたのは、2001年12月19日。追悼・平和懇は、01年8月13日に小泉純一郎首相(当時)が靖国神社を参拝した際の談話の中で「内外の人々がわだかまりなく追悼の誠を捧げるにはどうすればよいか、議論をする必要がある」と述べたのを受けて設置されたものです。
追悼・平和懇は、1年間の集中的な熱い論議を経て、02年12月24日、福田長官に最終報告書を提出。報告書の内容は、「戦前の日本の『来し方』や戦後の国際的な平和のための諸活動について、戦後の日本は必ずしも十分なメッセージを発してこなかった」との認識に立って、「過去の歴史から学んだ教訓を礎として、死没者を追悼し、不戦の誓いを新たにして平和を祈念する」国立の無宗教施設の建設を提言したものでした。
この報告書に対し、公明党は「首相や閣僚の公式参拝が憲法、外交上の問題を抱える中で、かねてから公明党は『特定の宗教によらない国立の追悼施設を創設すべきだ』と主張し、党内に検討委員会を設置し、精力的に議論を積み重ねてきた。今回の最終報告の方向性は、概ねこれまでのわが党の主張にも合致しており、大いに評価できる」との談話を発表しました。
無宗教の国立追悼施設の創設がなぜ必要なのでしょうか?追悼・平和懇の座長代理を務めた山崎正和氏(劇作家、東亜大学元学長)は、「この種の施設が日本にはなかったということ。あるべきものがないままで来たから今つくる、ということです」と述べています。
また山崎氏は、「本来は単なる『私』の宗教施設である靖国神社が『半国立・半国営』のようなイメージで捉えられ、歴代の首相が参拝するたびに公的参拝か私的参拝かといった不毛の議論が繰り返されてきたのも、結局は明確な国立の施設がなかったからです」と指摘し、今後、公式の追悼施設ができ、そこで年に一度、戦没者追悼の記念式典が行われれば、靖国問題も収まるところに収まっていくにちがいないとの展望を語っています。
靖国神社は、1869(明治2)年、明治天皇の勅命によって創建された「東京招魂社」を起源としています。そもそもは明治維新の際の戊辰戦争で亡くなった殉難者(国家のために亡くなった人々)を慰霊するための施設。その後、1879(明治12)年に「靖国神社」と改称、陸軍省と海軍省の共同管理にゆだねられ、外国との戦争・事変などで亡くなった戦没者を護国の英霊として合祀する「国家神道」の象徴的な施設となったという経緯があります。
戦後、靖国神社は国家管理を離れ、独立の宗教法人となりましたが、1978(昭和53)年には極東軍事裁判(東京裁判)で戦争責任を問われ有罪判決を受けたA級戦犯14人が合祀され、アジア諸国から強い危ぐの念が寄せられました。
こうした靖国神社が持つ戦前の軍国主義的拡張主義と切っても切り離すことのできない歴史的意味合いを考えると、国家機関の代表として首相が靖国神社に参拝すれば、かつて日本の戦争行為によって甚大な苦痛と損害を被った中国や韓国はじめ周辺諸国の中から、A級戦犯に対して礼拝したのではないか、戦争を美化する行為ではないか、といった反発が起きてくるのは自然なことと思います。
私はそろそろ公明党が長年提唱してきた、米国のアーリントン墓地のような無宗教で開放された明るい国立追悼施設の創設に向けて本気で取り組むべき時が来ているのではないかと思います。毎年、靖国参拝をめぐって非生産的な議論を繰り返すよりも、国立追悼施設の創設に向けて具体的な進展を図っていく方が、生産的であり、国益に適うものと思います。
世界では、どの国も戦没者や国家のため犠牲となった人々を追悼し、平和を祈り、それによって自国の心のかたちを表しています。追悼の在り方を見ると、三つに分けられます。一つは、「無名戦士の墓」など国立墓地(共同墓地)への埋葬、二つには寺院などへの埋葬、三つには戦争(戦士)記念館の建設や記念碑の建立です。
国立墓地といえば、代表格として挙げられるのがアメリカのアーリントン墓地です。ワシントンの西を流れるポトマック川の対岸沿いにあり、敷地面積は約250万平方メートル。東京ドームの53倍という広さで、墓地内は観光バスが走り、ホワイトハウスやスミソニアン博物館などと並ぶ観光スポットともなっています。
墓地内には、南北戦争、中南米戦争、第1次世界大戦、第2次世界大戦、朝鮮戦争、ベトナム戦争、湾岸戦争など、アメリカ建国以来の戦争で戦死した兵士や国民的英雄など27万人以上もの人々が眠っています。1963年11月にテキサス州ダラスで暗殺されたジョン・F・ケネディ第35代大統領の墓もあります。アーリントン墓地には、年間400万人以上の人々が訪れ、ワシントンを訪問した外国の元首も必ずといっていいほど訪れ献花を行っています
アーリントン墓地への埋葬の費用は、すべて国費でまかなわれますが、埋葬の際にどの宗教を選択するかは故人と遺族の自由です。プロテスタントでもカトリックでも、ヒンズー教でもユダヤ教でも仏教でも、無宗教でもかまいません。
アメリカでは、アーリントン墓地のほか、ハワイのホノルルにあるパンチボール太平洋国立墓地も有名です。同墓地の追悼対象は、第1次世界大戦以降の戦没将兵となっています。
ヨーロッパ諸国に目を向けますと、イギリスでは、ロンドン市のウェストミンスター寺院内に「無名戦士の墓」があり、毎年11月11日の休戦記念日に国家的追悼式典が行われます。また、同じロンドン市内のホワイトホール街には「戦没者記念碑」もあります。
一方、フランスでは、パリのシャンゼリゼ大通りに凱旋門があり、凱旋門の真下に「無名戦士の墓」があります。ドイツには、ベルリンの元プロイセン王宮護衛所跡に「戦争と暴力支配の犠牲者のための中央追悼所」がありますが、追悼対象をドイツ人に限らず、すべての戦争と暴力支配の犠牲者としているのが特徴的です。
ロシアでは、モスクワのクレムリンの壁に面して「無名戦士の墓」があります。墓には、サンクトペテルブルク(旧レニングラード)の「11月革命無名戦士の墓」より採火された永遠の火が輝き、花輪や花束が捧げられています。
アジアでは、韓国のソウル国立墓地「国立顕忠院」が有名です。ソウルの中心部を東西に流れる漢江の南側にあり、敷地面積は約144万平方メートルと広い。朝鮮戦争での戦没者を中心に、国のために亡くなった人々が埋葬されています。埋葬者と位牌を合わせた数は16万4000人に上っています。
様々な議論があることは承知しています。そうした中でも、二度と戦争を起こしてはならないという決意を新たにし、日本でも、外国の方も追悼できるような、国立の施設を早くつくれるよう取り組んでいく必要がある強く感じています。
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