コンビニ弁当の完全リサイクルについて 235
昨年12月27日に「コンビニ前から 「要望」と「負担」について」と題したブログを掲載しましたが、昨日、セブン-イレブンが革新的な発表を行いました。
発表内容によると、完全リサイクルを目指し、東京23区内の店舗(約1000店)で9月から、売れ残った弁当などの物販品を100%リサイクルを開始。スーパーのイトーヨーカ堂など首都圏のグループ各店にも拡大する方針。
具体的には、販売期限切れとなった弁当や総菜、パンのほか、おでん、牛乳、デザートなどを対象に回収した上、豚や鶏のエサや肥料などに再生。セブン-イレブンの1店舗当たりの排出量は1日約15キロ。千葉県佐倉市の協力工場で再生した飼料は、周辺地域の畜産業者に販売するとのことです。
セブン-イレブンは2003年から、期限切れ商品を肥料に加工してきましたが、牛乳などの液体は再生できないため破棄していました。今後は、飼料に適さないものだけを堆肥や燃料などとして再利用し、残りは全て飼料にするとのことで、益々企業価値が上がっていくものと思われます。
しかし、成長企業に問題がないわけではありません。バイトを含めた従業員の確保が大変厳しい状況にあり、「なにか良い方法はないか?」と昨日コンビニの店長さんから相談があったばかりです。「格差」社会と言われ、「ネット難民」という言葉が紙面を飾る世の中である一方、生活できるだけの給与を出せる業界でも、人手がなくて困っているという現実があります。
賢明なリーダーのもとに勢いのある会社が、社会問題の解決に真正面から取り組み、社会貢献することで、さらに勢いがつくことは間違いないと思います。後を追う会社は大変ですが、「善」の競争であり、素晴らしいことではないでしょうか。これからも業界を良き方向へリードしてもらいたいと願っています。
しかし、こうした競争の後に生まれる「格差」はどのように捉えるべきでしょうか?この「善」の競争も最終的には、従業員の給与や雇用の「差」に発展することは間違いありません。このような競争を間違っているといえるでしょうか?
不公平な再分配などは問題ですが、今、日本では簡単に「格差」という言葉が使われます。「格差」という言葉にいい意味ははありません。これは危険です。その言葉を使う人の考え方において、「意見(=責任)」なのか、「文句(=無責任)」なのかの違いを明確にしていくべきではないでしょうか。このままでは日本は分別の無いまま、「文句の言いっ放し」国家となり、ストレスが抑制されることは無く、社会への不満が様々な問題として浮き出るばかりとなります。
視点を変えると、商業主義の一部マスコミに「うさ晴らし」を先導されて、気がつけばどこにも相手にされない国になっていくようなことにも危機感を感じます。一人の人格と人間関係に置き換えればわかりやすいのではないでしょうか。マスコミを評価する第三者機関の充実が必要ではないかと思います。
「問題はわかった。現状を嘆くのでなく、現状をどう変えていくかだ」 発展する企業は、現状を嘆く人(=変化を恐れる人)ではなく、問題解決能力のある人(=変化を求める人)を登用して時代をつくり続けています。
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