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 シルクカントリーぐんま絹の国サミットin藤岡が藤岡市みかぼみらい館で開催され、参加してきました。これは上毛新聞社と藤岡市が共催する事業で、「富岡製糸場と絹産業遺産群」の構成資産である「高山社跡」のことを、もっと多くの人に知ってもらおうというのが主眼です。世界遺産となって2年余り、高山社の果たした役割をもっと多くの人に理解してもらうことが大切と、改めて強く考えさせられた一日でした。

 

 藤岡中央高校和太鼓部の力強い演奏によるオープニングに続き行われた開会式の後半では、「絹の詩」作詞コンクールの入賞者の表彰と、大賞に選ばれた渋川市の小学5年生、山崎君の作品に曲をつけての合唱の披露がありました。一般、高校生、小・中学生の各部門の優秀賞の朗読は素晴らしく、中でも対象に選ばれた山崎君のやさしい作品は素晴らしい合唱曲となって、こちらまで優しい気持ちになれました。

 

 その後の美九里東小の五年生による、高山社学の成果発表も本当に素晴らしいものでした。子どもたちが一生懸命に学んだ内容の発表は、大きな声で分かりやすく高山社と高山長五郎の功績を紹介していました。

 

 午後は作家の童門冬二先生の講演に引き続き、パネルディスカッションが行われました。童門先生は主に富岡製糸場の開設に大きく関わった渋沢栄一の生き方を中心に話され、孔子のいう「恕」の心、すなわち相手の立場に立ってものを考えようとするやさしさと思いやりの心と、それを孟子が「忍びざるの心」として、人の悲しみや苦しみを見て、何とかしてあげたいと思う本能的な衝動、これを渋沢はとても大事にしていたことを語られました。

 

  これは現代でもリーダーの資質として非常に大事なものであり、これに加えて「グローカリズム」の視点をもつべきで、渋沢には当初この視点が欠けていたが、徳川慶喜に仕える中でこれを身に着けた、静岡での茶づくりによる武士の救済、更には富岡製糸場の開設に活かされたとのお話でした。高山社や富岡製糸場も、単なるモノづくりではなく、作り手が他人に対する思いやりと忍びざるの心をもっていくというヒューマニズム、日本人が古くから持っているあたたかい心が脈々と流れている、誇るべき遺産だとのことでした。

 

 パネルディスカッションでは、高山長五郎がつくった高山社と、その弟である木村久蔵がつくった埼玉の競進社が、明治から大正の日本で果たした大きな役割と、また高山社と競進社で養蚕にかかわった指導者たちが、高山長五郎の残した「国利民福」の言葉に象徴されるように、民衆の生活をなんとかして向上させようとの思いから行動していたことが紹介されました。また高山社の社員や授業員たちの足跡は全国、また海外にまで及び、その影響は今も兵庫県養父市にも色濃く残っていること、高山社は大正期には一代交雑種の蚕の普及でその隆盛の時代が終わったが、一代交雑種を全国の養蚕農家が受け入れたのは、高山社が清温育の普及によって農家に基本技術を普及させた後だったからであり、その基盤があったからこそ新しい技術が受け入れられたもので、民間主導の効果は大きいことなどが紹介されました。

 

 秋の一日、藤岡の誇りである高山社と高山長五郎をはじめ、先人たちの思いと行動に深く感動し、改めて高山社の重要性を認識することができました。

 

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藤岡市 窪田行隆
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