関孝和没後300年記念シンポジウム

藤岡ゆかりの世界的数学者である関孝和没後300年を記念して、藤岡市でシンポジウムが開催されました

 

 群馬県民なら誰もが知っている「上毛かるた」に「和算の大家 関孝和」と詠まれる、藤岡ゆかりの和算(江戸時代に発展した、日本独自の高等数学)の第一人者、関孝和。彼は甲府の徳川家に仕え、後に幕臣となりましたが、生涯研究に励み、ニュートン、ライプニッツと並び、世界の3大数学者と言われています。今年は没後300年にあたり、一説に出身地と伝えられる藤岡市でも各種の記念事業を行っています。今回、「地域文化と和算の関わり」をテーマに記念シンポジウムが藤岡市民ホールで開催されました。私は正直なところ小学生のころから算数・数学は苦手だったのですが、郷土の偉人のことを知らないというわけにはいきませんので、意を決して参加してまいりました。

 

 関孝和の功績は記号代数を創造した事だといわれています。2つ以上の未知数を含む、高次方程式は算木と算盤では解くことができませんでしたが、彼は初めて代数を用いて、紙の上で式を書いて解くことが出来るようにしたのです。つまり、x.y.z...を連立方程式で求める方法です。そのほかにも数々の実績を残し、鎖国の中で、世界的なレベルの研究を行いました。彼の門下は後に関流と呼ばれ、和算の愛好家は大名から地方の農民まで幅広く広がりました。その基礎の上に、明治以降の西洋の数学の普及も可能になったといわれています。

 

 こんな偉大な先駆者を生んだ藤岡市では、彼の名を冠した算盤の全国大会を59年間開催してきたほか、算聖の碑や坐像の建立、東京の墓所から分骨(土)をうけて墓を整備するなどの顕彰事業を行っています。また、日本数学会が授ける最高賞である、関孝和賞の受賞者に副賞としてブロンズ像を贈呈しています。数学という難しい分野のことなので、やや難しさはあるかと思いますが、「藤岡の郷土の偉人関孝和」として藤岡市民の誇りとするとともに、全国に発信していきたいと思います。今回のシンポジウムに、パネリストとして岩手県一関市博物館の学芸員さんにも来て頂いたのですが、岩手県一関市では江戸時代に関流の和算が広まり、関孝和が尊敬されていた歴史があるということです。まずは一関市と交流を図っていくのも一案かと思います。

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藤岡市 窪田行隆
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