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公明党○○支部 平野充
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Archive for 2012年 9月

地域大運動会

9月29日(土)晴れ

今日は緑ヶ丘小学校で開催されました地域大運動会に参加させていただきました。

解放委員会をはじめ、地域の役員の方々が何日も前から準備に携わってきてくださいました。

今日は、緑ヶ丘小学校の校長先生はじめ、副校長、教員の先生方も一緒になって参加されて

いました。子どもたちも嬉しそうに地域運動会を楽しんでいました。

地域運動会の凄いところは「景品」

プログラムは朝9時45分からお昼休みをはさんで夕方4時頃までビッシリ。

「魚つり」競走や「じゃがいも運び」競走など、

高齢者の方々も楽しめる種目を多く取りいれられ、知恵や工夫を感じました。

すっごく盛りだくさんの内容なのに種目ごとに景品がズラリと来賓テント前の机に並びました。

協賛者の方々には本当に感謝申し上げます。

子どもたちも大人の方も一人一人がたくさんの種目に出ます。

朝、お家を出てくるときに景品を入れる大きな袋を持参したほうがいいのではと感じるほどに。。

私が最も感動したのは最後の閉会式のときでした。

この写真がそうです。

子どもたちは皆、手にお菓子のいっぱい入ったビニール袋を持っています。

てっきり私は、参加賞として、このお菓子をもらって終わりかと思っていましたら、

何と、このお菓子のビニール袋にはマジックで番号が書いてあるではないですか。

最後のクライマックスは「福引き」でした。

次々と番号が読み上げられ、当たった人は来賓テント前の机に並んだ景品を

自分の好きなものを「1つ」もらえるという楽しさ。

景気の低迷が続く中、今日はものすごく「あったかい」ものを感じた日でした。

子どもたちの嬉しそうな顔は何にも代えがたい。

夕方、学校を後にお帰りになられる保護者や地域の方々の表情も、みな笑顔だったように感じました。

学校関係者・役員の方々をはじめ、陰で支えてくださる方々に心より感謝いたしました。

平成24年度調布市敬老会

9月17日(祝・月) 午前10時からと午後2時からの2回に分けて

調布市敬老会が開催されました。

75歳以上の方々が参加対象者となっていました。

調布市民の約1割の方が75歳以上です。

戦争の悲惨さを肌身で知っておられる貴重な方々。

また、戦後、我が国の復興再建、高度成長に多大な貢献をされてきた方々。

心よりご尊敬申し上げます。

このたびの調布市敬老会ではゲストに水前寺清子さんをお迎えいたしました。

実は、今日の敬老会には参加したくても参加できなかった方々が多くいました。

市が郵送した敬老会の「案内はがき」には9月6日(木)・7日(金)で

市役所にて「当日の入場整理券」を配付すると記載されていました。

しかし、「当日の入場整理券」は6日ですべて配付済みとなり、7日に来られた方々は

「すべてお断り」となりました。(6日の時点で既にお断りとなった方も)

7日夕方、私のもとにも無念の声が届きました。

痛いほど残念な思いが伝わってきました。本当にかわいそうなことをしてしまいました。

今日は私も敬老会に参列(第一部の式典のみ)させていただきましたが、

舞台から場内の方々へ「おめでとうございます」と胸中にて祝福申し上げながらも、

涙ながらに今日来れなかった方たちのことばかり考えていました。。。

 午前10時40分。

午後2時からの敬老会に並ぶ方々のお姿が愛しくてなりませんでした。。。

「いじめ根絶」への対策

9月7日(金) 午前9時10分~

調布市議会の平成24年 第3回定例会にて一般質問を行いました。

(質問の大要は11月10日(土)発行の市議会だよりに掲載)

その中で、「いじめ根絶に向けた具体策」を市に提示し、実行を求めました。

連日、ニュースや新聞等で報道されているいじめ防止対策ですが、

いじめられている子を守る対策は次々と出てくるが、

いじめる側をどのように正しく導くかの対策は乏しい。

本気でいじめ「根絶」を目指すならば、いじめる側を正しく導くことこそ重要である。

ここに踏み込まない限り、それはあたかも栓の抜けた風呂桶に水をためているようなものである。

本会議場にて具体策を真剣に訴えました。

昨今、学校側の「いじめなどの諸問題隠ぺい体質」が大問題になってきています。

教育力の低下という“恥”を隠そうとするものなのか、あるいは、諸問題が起きることによって

評価が下がるのを恐れてのことなのだろうか、

いずれにせよ、「いったい何のための教育なのか!」と怒りがおさまらない。

子どもの幸せを願い命を懸けて教育に取り組む“本物”はいないのか、

本物の校長はいないのか!

声を大にして叫びたい気持ちだ。

“教育のための社会”を構築しなくてはならない。