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稲毛区 櫻井秀夫
hsakurai2016@yahoo.co.jp

Archive for the ‘8.仙台での3.11を想う’ Category

#平成30年7月豪雨 被災支援街頭募金

千葉県民の会の募金活動に参加。#千葉市 の稲毛海岸駅、千葉駅を始め全国各地で展開。
御協力に感謝です。
本日も猛暑ですが、大変な環境で猛暑に耐えている被災者の方へ、まずは自分自身が想いを馳せる機会になりました。

平成30年7月豪雨災害義援金の受付

千葉市では下記アドレスで案内しております。
https://www.city.chiba.jp/hokenfukushi/chiikifukushi/30-7gouusaigai.html
また、公明党でも下記アドレスで案内しています。
https://www.komei.or.jp/komeinews/p5999/
この連休は私も街頭で募金活動ですが、猛暑の折、振り込み等は安全かつ継続的支援に有効だと考えます。

千葉市稲毛区 の土砂災害(特別)警戒区域

千葉市長が地元のハザードマップの確認を市民に呼び掛けていますが、全く同感。
今回の豪雨で被害に遭った地域の多くは、ハザードマップで事前に被害が予測されていました。
https://blogs.yahoo.co.jp/chibacitypr/13764605.html
この市のサイトから千葉市内の場所を確認できます。
なお、
#千葉市稲毛区 では、写真のとおり緑町2丁目、黒砂1・2・3・4丁目、小中台町、小仲台6・9丁目、稲丘町に #土砂災害(特別)警戒区域があります。

被災地の生の声

広島や岡山をはじめとして甚大な被害がでています。
私は、被災地といえども出所不明な投稿はシェアしないのですが、
被災地に住む信頼している友人からの声なので、ご本人の許可を頂いて以下、生の声を引用します。

なお、
友人は「こんな時に楽しむな」などと言っているのではなく、政治やマスコミや地元テレビまでもが「自分たちを忘れているのでは」、「ちゃんと知ってほしい」という気持ちなのだと私なりに感じ、自らの立場で重く受け止めました。是か非かという次元ではなく、「生の声」。
(後日談:ご本人は東日本や首都圏の方にもっと知ってもらいたい、という気持ちだったそうです。)

「9日の東広島の現状。
物流の状況は変わらず、スーパーは品薄。ガソリンスタンドも長蛇の列。東広島では小学校の給食が出せず、今日は休校。明日からはお弁当持参だそうです。

広島と東広島の交通は、土砂崩れや冠水のために、東広島バイパスのみのため、大渋滞。職場でも、金曜日から帰宅出来てない職員さんや、海田市から5時間かけて通勤した職員さんなど、大変な思いをしています。
それでも、この辺りは幸い断水せず、新幹線で広島まで移動する手段もあるので、本当に恵まれています。買い置きのパンやカップ麺を職場で提供してくれた職員さんもいて、感謝です。

大変なのはこれから。瀬野駅が復旧の見込みがないため、糸崎から広島までの移動ができません。高速道路も広範囲で通行止め。広島、東広島、三原、尾道、福山という広島県内の各都市の移動がほとんどできない状況。このままだと、じわじわと状況が悪化しそうな…。●●●の食事も、今後が心配です。車のガソリンも。

そして、市外では、呉が壊滅的。道路がほぼ全滅で、海路しか移動手段がないようです。三原市の氾濫、安芸区の土砂崩れも被害甚大。
こんな状況なのに、金曜日から今日まで、番組変更せずに普通にテレビが放送されていることにすごい違和感を感じます。金曜日の夜には特別警報の地域が急速に増えていて、すでに被害が出始めていて、土曜日には倉敷で2000人近い人が孤立して夜通し救助を待っていたのに、歌番組やバラエティーって、どうなってるのかと思います。昨日はアイス総選挙?報道番組も、タイの洞窟の救助がトップニュースかい。
さっき、報道番組で、とってつけたように歌番組の司会者が番組前に「被災した方を元気づけたい」って言った場面が放送されていましたが…あの、その瞬間に土砂に埋もれて救助待っていた人が大勢いるんですよ?真備では屋根の上に逃げてタオルを振り続けていた人たちがいるんですよ?って呟いてしまいました。

報道したから人命救助できるわけではありませんが、マスコミも政治家も、今回の反応の遅さと関心のなさって、一体何なんでしょう。
今もまだ、救助作業は続いてます。」

7年

娘が1歳数か月の時に、仙台市で #東日本大震災 に遭いましたが、東北地方の皆様の圧倒的な共助に支えて頂きました。
当時、体育館で知恵を絞り合った同僚と、先日連絡を取り、必ず再会して、また旨いもん食おうや、と約し合いました。

3.11に「天国に届け!ホームラン」を読む

東日本大震災から丸5年となりました。
絶望の淵にいた人から希望や夢を教わる…人生の真髄を見た気がします。
3.11で家族を失いながら、気仙沼フェニックス・バッティングセンターを建設する父子の物語。この本、意外に入手困難でした。
実在するモデルの千葉さんとの写真は、昨年秋の再掲です。ダジャレ大王の千葉さんの笑顔、感化力がすごい!

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気仙沼発!希望ののむヨーグルト

昨晩は午前様の帰宅でグッタリしそうなところ、先日ご紹介した、復興支援の「希望の のむヨーグルト」が我が家に届いておりました。
早速、750ml一本あけて、「被災地も自分もフェニックス!」との心意気で(深夜なので、手をクロスして叫んだりはしていません(^_^;))もうひと仕事こなしました。
この調子だと、すぐになくなる…

本人がフェニックス!千葉清英さん

 石巻市門脇町にある、あの有名な「頑張ろう 石巻!」の大看板。
 その脇に花を咲かせたひまわりの姿は、人々に大きな希望をくれました。その名も「ど根性ひまわり」。

 そのひまわりの種が全国に広がっています。その運動を展開し、自らも「気仙沼フェニックス・バッティングセンター」を作って、復興の先頭に立っている千葉清英さんと、本日、縁あって、懇談させていただきました。
 
 3.11の壮絶な被害、亡くなった奥様、娘さんへの想い、生き残った息子さんとの約束のバッティングセンター、まだ終わらない仮設住宅の生活、それでも従業員や地域の方々を護るために尽きることのない知慧と行動力…

 雑誌や映像(STB!)で拝見してきた千葉さんの生の若々しさ、バイタリティー、誠実さに感銘し、私も思わず個人的な心情を吐露してしまいました。
 
 シリアスな話になりがちですが、千葉さんはとても楽しい方で、そんな一面も含め、全てを夢や目標のために使い切ろうと、生き切っている姿に人間の凄みを感じました。

 千葉市稲毛区という遠いところまでお越しいただいた御礼は、いつか石巻に伺うこと、そして、あの震災を、千葉で風化させないように尽くすことだと心に誓いました。
 御縁をいただいた地域の御婦人に大感謝です。ありがとうございました!

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東北でのコトバ再考とHP御礼

ネットやSNSでの言葉の難しさを、この一週間再認識させられました。
 
 ちょうど一週間前に私は、「仙台での耳の痛い御意見」について触れました。
 それは「一言で言えば、様々な次元での「安全神話」への懐疑であり、それは、どうやって「人間を守る」のかという視点」と書きましたが、「耳が痛い」と書いたことにより、単に安保法案への賛否に関する声であると、読んだ方に思いこませてしまったようです(その思い込みを生むこと自体が、今回の議論をめぐる最大の問題点に感じます。)。
 より意図的に表現すると、この法案に賛成すれば「平和」がもたらされるという「安全神話」に対しても、この法案を廃案にすれば「反戦」になり、戦争から遠ざかるという「安全神話」に対しても、いずれにも懐疑の視線が向けられていたという実感です。(こう書くと、また誤解を招きかねないので明示すると、私は法案に賛成ですが、「平和」や「反戦」って、無関係とは言いませんが、こういう次元ではないと思っています。)
 それは、大震災や原発事故に直面し、「安全地帯」からの無責任な安全神話にはもうウンザリだ、という生々しいコトバ。
 それを、東北を過度に美化せず、謙抑的に表現したかったのですが、私が上手く表現できなかったようです。申し訳ありませんでした。
 そんな稚拙な私のホームページへのアクセス「人数」が、先日1万人を超えました。(アクセス「件数」は当然もっと多く戴いています。)
 一介の新人市議会議員、そんな素人が開設して8か月も経っていないサイトなのに、本当に感謝です。ありがとうございます(泣)
 言葉の難しさと向き合いながら、少しずつでも、確実に前に進んでいきます。今後もどうぞ宜しくお願い致します。

桜井拝

仙台弾丸単独ツアーを終えて

 全く私的な仙台弾丸単独ツアーのさなか、被災地に一瞬だけ立ち寄ることができました。
 現在、被災地と言えば、当然、福島県や岩手県沿岸等が取り上げられますが、普通に都市生活を営んでいる印象の仙台市内でも、昨年末の段階で7千世帯以上の方々が、プレハブ仮設を始め、応急仮設住宅に入居されている状態です。

 そして、たった2年しかいなかった私が言うのもおこがましいのですが、在仙当時に日常的に買い物等の生活拠点だったり、少年院の教官として少年たちを連れて老人ホーム等でボランティア活動をしたり、出院後の社会復帰に向けた勉強を一緒にしにいったり、娘を連れて海岸沿いの砂浜に遊びに出かけたり、ハラコ飯を食べに行ったり等々、思い出深い多賀城、荒浜、そして名取市の閖上(ゆりあげ)が、被災地として常に思い起こされます。
 
 そして、今の季節だと閖上の花火祭りが特に印象的でした。
 地域では有数の花火大会で、観光バスが乗り付けたり、多くの市民が集まったり、その花火も見事でしたが、川沿いの古い町並みと、仙台市に通勤するベットタウン的な道路沿いの新しい閑静な住宅街等の、街あげての雰囲気作りが印象的でした。

 震災では、その逆流した川沿いの家々は言うまでもなく、地域一体が全て津波に飲み込まれました。
 写真は、今回とっさに撮った「現在の」閖上です。
 復興が進んでいるとか、進んでいないとかを言いたいわけではありません。

 とにかく、名取駅のタクシー乗り場で「被災地を見たいんです。」と、ストレートに切り出してよかったと思います。あとは、予算と時間の相談だけ。改めて来て良かったと痛感しました。
 名取駅の駅前に降り立つと、全く普通の生活が目の前で営まれており、自分自身も名取駅には震災直後に行ったことはなく、行ったのは震災前以来だったので、一瞬、その5、6年前と今日の映像が直接つながり、その間に起きた震災の記憶が吹き飛んで、その一言を言い出すのにためらいを覚えました。「被災云々はもう場違いかな?」と感じました。だからこそ、言えて良かった。

 この地域の増田中学校で2,3か月にわたり避難生活を経験された方に、40分から50分程度だけ、一対一でお話を聴く機会が得られました。
 当時、眼前で津波にのみ込まれた人々、避難所で低体温症で倒れた老人、避難所で禁止されていた飲酒におぼれ、乱暴な言動を繰り返した大人、避難所で流行したインフルエンザ、わがままを言わない・言えない震災孤児等々、辛い話ばかりでした。

 帰路で見かけた五叉路のコンビニ。海に遊びに行く行楽客や花火大会のお客で、夏には常にすさまじい盛況を見せていたコンビニが閉店したまま、廃墟となってました。あそこは幽霊の噂が絶たないと、タクシーの運転手さんが説明してくれました。驚いたのは、真面目そうな運転手さんが「私も(幽霊を)見たんですけどね。」と、さらっと言ってました(「ええっ?!」)。

 運転手さんに「今通った、国道4号線って、前と違って、何気に地面が盛りがってませんか。」と聞くと、「よく分かりましたね。皆、慣れてるのか気付かないのか、震災で道路の真ん中が盛り上がったのに、いちいち直せないんですよ。だから、線をまっすぐ引けない…」と。
 そして、駅に戻ると、単なるタクシーのお客に対しては余りにも過分な御礼を繰り返し述べられてました。

 いきなり閖上とは直接関係ない話かもしれませんが、今回、私は仙台で様々なつながりの同志と会えました。
 もっとたくさんの同志と会いたかったのですが、時間があまりにも限られてました。
 「絆」という言葉は何かあまり好きではなかったのですが、自分が立場を変えて仙台で再会し、「同志の絆」こそが人生においてかけがえのない宝であることを、肌身で感じました。

 で、話は戻りますが、今後もやれることをやっていく。自分の身の回りで手いっぱいで、被災地を常に考えることはできないけど、縁に触れた際には真摯に考える。
 東北に限らず、震災に関わった者は、自らがその縁となっていく使命と責任がある。その相手が、隣人なのか、次の世代なのか。いずれにせよ、大事なのは相手に「テーマ」を押し付けることではなく、縁となっていく覚悟を自分が持てるかどうか。
 そんなことを考える機会となりました。

候補①

候補② 候補③ 候補④