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稲毛区 櫻井秀夫
hsakurai2016@yahoo.co.jp

8.15に想う②:ダークツーリズムの記憶(中国)

 写真は、かの有名な天安門広場です。

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    私が大学生の頃、1989年6月4日にいわゆる天安門事件が起こりました。
    許せないという心情が私の中にこみ上げました。若者、特に学生のデモに銃を向けた中国政府に対して。

 私は国際政治の専門書や刊行物なども当時は読んでおり、少しは勉強していたつもりでした。
 「どう考えても、中国政府の対応は許せない。」
 やり場のない義憤は、そのうち自分の大学で中国政府への抗議行動をしようとの欲求へと変わっていきました。自分の意見は絶対正しい!との自信がありました。

 しかし、自分の自信とは裏腹に、周囲は事件への怒りはあっても、抗議行動へは同調してくれない印象でした。それが周囲への苛立ちへと変わりました。
 「こんな自明なことも分からない奴は馬鹿だ。」とさえ思うようになりました。
 平和、非暴力…間違いなく正義は自分にある。しかも10対0くらいの自信で。

 それに対し、自分に賛同しない相手は、世界に関心がない狭い世界のひと、自己中、組織のいいなり、何も考えていない、周囲に同調するだけ、自分の意見がない、平和思想に反している等々、あらゆるタームを駆使して、なぜか見下すようになりました。自分に同調してくれる人だけしか、自分の中に受け入れられなくなっていました。もちろん、自分の考えと異なる人とは頻繁に話してましたが、それは自分の考えに同調させるためだけの目的であり、その自信がある時だけでした。

 敵は中国政府なのか、自分の「素晴らしい」考えを認めない周囲なのか、よく分からなくなっていました。

 そんなときに、中国からの留学生と話す機会がありました。そこには、大陸からの学生も、台湾からの学生もいました。特にその中の二人は印象的で、それぞれの同郷グループのリーダー的存在の学生でした。本国政府は互いに対立している彼ら同士が、同じ大学に留学し、友人として一緒に学び合っている姿自体が奇跡的な尊い実相ですが、当時の私の関心は、彼らが中国政府を非難するのか、かばうのか、それだけでした。

 日頃は人格者だと思っていた彼らは、なんと笑いながら私を責めました(!)。
 「幼稚」「無責任」「自己満足」「自らの言動がどこに向かっているのか、何を目指しているのか、考えたことがない典型的な学生」「で、結局、何がしたいの?」「何を達成したいの?」「そこにたどりつくなら、やればいい」「やりたければどうぞ、勝手に」「でも私や私の同胞に迷惑なので、ことさら大学名は出さないでね」「だれに一番迷惑かかるか」等々。

 今思えば、聞くに堪えない余りにもひどい発言(泣)ですが、私は意外にも素直に聞いていました。
 正直言って、自分でも、こんなに他人に対して「ささくれ立っている心境」や「優越に浸る心境」「変な高揚感」の波が交互に襲うのって、それ自体、全く平和じゃないよな…と、どこかで気付いていました。自分の内面と世界が別物ではなく、連動する平和観なので。

 それに比べて、彼らは、家族や地域、時には国家とか見据えて、自分の立ち位置にビジョンを持っていました。
 完敗?気持ちいいくらい。
 彼らが大人とかじゃなくて、学ぶ目的をちゃんと持ってるというか、自分に課していたというか。その幹があるから、他人の言葉や考えや、時には他人の努力にさえ便乗しちゃう、「それくらい当たり前でしょ、目的地に向かうには。」と言わんばかりに。

 それに比べたら、自分は「自分教」っていう感じでした。大事なのは自分の意見、自分の考え、それらから成る「自分の素晴らしさ」が大事。自分がとっても可愛い、もちろん間違いじゃない気もする。でも、別の美辞麗句で飾りながらも、自己愛が自己目的化すると見苦しい以上に、彼ら「当事者に迷惑だ」と気付かされました…。

 ほとぼりが冷め、しばらくすると、中国への交流団として訪中していた(日本の)先輩から話を聴きました。
 「すごい歓迎ぶりだった。中国も苦しかったんだ。天安門事件で心を痛めている人が多くいたと思う…。」
 私に話してくれた、あの二人の留学生の顔が浮かびました。彼らも苦しんでいたに違いない、きっと。苦しんでいたからこそ、あのような発言を私に浴びせたのでは…。

 それから15年くらい経った頃、今から10年も前でしょうか、天安門広場に行く機会がありました。
 天安門事件のとき、自分は抗議運動をしなかった。意気地なし?行動力がない?でも、中国の人といつもより少し深い友達になれた…、実は、それが国際問題を考える際には、すごく深いところで自分を支えていました。

 さらに、やはり青年時代に、北京にある抗日人民戦争記念館に行きました。少し緊張しました。

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 予想通り、日本人が(文字だけでなくビジュアルでも)かなり悪者で描かれていました。でも、思ったより、違和感なく、その場にいられました。もちろん、私がいわゆる日本人であることに気付いた入館者は、「あっ」という表情で反応しており、一瞬、緊張というか、気まずさが漂った気もしますが,少なくとも罵声もなかったですし(笑)浴びていても、中国語なので理解できなかっただけかもしれません。

 余談ですが、誤解を恐れずに言うと、沖縄に行った時より、よっぽど自分という存在の座りがいいというか…沖縄の方が、はるかに辛かった気がします。先の大戦に関する歴史観が重要であることは言うまでもありませんが、身体感覚として、沖縄に対する後ろめたさの方が、当事者感というか、現在進行形感があるのかもしれません。

 で、また別の話ですが、
 私が東京都練馬区に住んでいた頃、氷川台に行きつけの居酒屋「だいこん」という店がありました。
 そこの女将さんは上海から来た方でした。私も妻も友人も仲良くなりました。私は、隠れメニューの上海餃子をしょっちゅう頼んでました。

 あるとき、夫婦で中国に観光に行きたいという話題になり、上海に住んでいる女将さんの弟さんに会ってくる!などという変なノリになりました。
 で、本当に行ってしまいました。お姉さんが日本の居酒屋で頑張っている様子を、写真と言葉で上海の弟さんに伝えました。大変喜んでいただきましたが、結果的に、現地では申し訳ないくらい、大変お世話になってしまいました(^_^;)
 帰国して、女将さんに御礼するとともに、弟さんの話題で話に花が咲いたことは言うまでもありません。

 結局、私は学生時代に抗議行動をせずに、意見を替えた根性なし、行動力のない根性なしと言うべき男かもしれませんが、抗日人民戦争記念館に行ったり、上海出身の女将の家族に会いに行ったり、実は、そんな行動の方が、自分の平和観には合っていますし、すごくしっくりきています。

 もちろん、中国にだっていろんな人はいると思います。女将の弟さんみたいな人ばかりでなく、おそらく、ウマが合わない人も。
 そして、軍部の一部には、一般論として反日で好戦的な人もいるに違いない、というか、普通に考えればいますよね?いないと考える方が無理があるし、無理に理想的に想定する必要もなく、中国(政府)に自分たちの理想や願望を押し付ける必要もないと思います。

 でも、それは日本の政治にも似たような現象はあると思います。
 そして、時には、天安門事件のように「妙な裏切られた感」を、今後も「互いに」持つ可能性は否定できません。

 それでも平和を追求しようと思います。迷いなく。

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