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稲毛区 櫻井秀夫
hsakurai2016@yahoo.co.jp

18歳選挙権のモヤモヤ

 18歳に選挙権が引き下げられることにモヤモヤしっ放し。
 民法や少年法適用年齢との関係?いや、そういう個別の問題でなく。なんだろう、安保法制であれだけ情緒的にも政権批判があり、特定秘密保護法の流れなんかからみると、ある一定層の現政権不信はかなり強く、その中にはデモに参加する若者や学生の一定層も含まれる。その議論を否定するのではなく、知りたくなるのは、その感覚で18歳選挙権だけは、疑問をもたれることなく、スーッと受け入れられている印象への違和感。
 もちろん政権与党の立場で選挙権拡大の法案成立自体は喜ばしいし、去年の秋には賛成しなかった某政党まで加わる不自然な全会一致も結果オーライですが、安保法制と通底する、妙に中身の議論・吟味にたどりついていない、そんなもどかしさ。今日も私なりに現場で安保法制はお話ししましたが、主戦場はもちろん国会の議論。
 18歳選挙権と安保法制、この二つの現象は、(政策じゃなくて)「政局」上の展開としては真逆ですが、「中身を避けて、レッテルを張って、どっち側?だけを問う」という点で通底している気がします。(平和憲法の理念や過去の政府見解との整合性を保ちつつ、現状に対応可能な切れ目のない安全保障体制を確立するという連立方程式、この解を導くという極めてテクニカルな目的だったはずなのに、いつのまにか合憲か違憲かという、60年前の議論に…)

 海外では選挙権は18歳以上としている国が多いから?日本の国民投票法が18歳以上だから?政策面で若者の意見を取り入れるため?
 これらが理由として挙げられていますが、本当にこれらは、選挙権適用年齢の引き下げという重要かつ歴史的な決定の理由に足りうるのでしょうか。

 要は核心的な議論のないままに、どっち側だけ求められ、安保法制では(戦争加担だ、違憲だと言われ)気持ちよく「イエス」とは言えず、18歳選挙権では(まさか若者の選挙権拡大を否定するわけにもいかず)「ノー」とは言えない、そんな具合に全体の議論が陥っている気がします。(そうであれば、賛成何割、反対何割とか、さほど意味があるように思えなくなる。)
 そして何よりもモヤモヤするのが、新たな選挙制度への対応として、官や上からのシチズンシップ教育、すなわち学校での主権者教育を最優先に考える姿勢です(政策の一選択肢としては当然あり得ますが)。
 高校の恩師であるY先生は「主権者の教育を行う資格があるのは主権者自身」であるとして、文科省や教育委員会が主権者教育を行うという固定観念を払拭すべきと、最近教えてくれました。
 私なりには、権力への監視という意味において、(ウルトラ簡単に言ってしまうと)「自衛隊の運用」ももちろん大切ですが、「主権者の育成」は長い目で見ると、かなり深くて大事に思えます。というか、安保体制も含んだ根底が決まる気がします。
 
 18才当時の自分だったら、イヤだろうなぁ、学校の先生に「主権者とは…」なんて授業で教えられるのは。どこかの高校みたいに新聞2紙だけ渡されて、現在の安保法案に賛否の投票をせよ、なんていう模擬選挙?の授業をやられたら、生理的に耐えられない。吐き気を起こしてしまいます。
 「先生、世論調査やテレビの街頭インタビューと、大切な投票を一緒にしてませんか?選挙を軽く見てますよね?」
 「パソコンぐらい個人貸与してください。情報源が偏った新聞2紙だけって、意見操作する気ですか?」
 「この新聞に政局は載っていても、政策は載っていないですよ。」
 「争点を先生が決めるって、生徒(有権者)を軽く見てますよね?」
これぐらいは言うだろうな・・・ホント嫌な生徒です(^_^;)
 でも、それぐらい「官製有権者」へと育てられることに警戒してしまいますし、国会議事堂を取り巻くデモをテレビやネットで見ると、逆に彼らが権力に対して無関心に思えてしまう・・・こちらが歳をとったのか?
 
 批判だけするなんていう気はありません。これだけ言う以上、自分なりに進めるべき方向は検討しなければなりません。キーワードは、有権者も議員も「民衆の中」、そこでしか確かなものは育たないと思っています。
 授業?国会議事堂周辺?いやいや、「その現場」は近所のお宅やファミレス、公民館等の地域の集会所、そこに絶えることのない流れがあれば、「変わる」「育つ」。
 祭りでは有権者は育たない?育つのはカップル(!)
 私は私の立場なりに、この問題について提案したり、取り組んでいこうと思っています。

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