東日本大震災が起きたあの時、私は仙台市に在住し勤務していました。私の記憶では、携帯電話はすぐに使えなくなったと思います。
初動対応中でテンテコ舞いの最中、廊下に出たほんの一瞬のタイミング。アテにしていなかった私の携帯が鳴りました。

 

「あれ?つながってる?」

 

携帯電話がつながっていることに驚いたのを、今でもハッキリ覚えています。

 

「桜井君、大丈夫か?生きてるかぁ?」

 

遠く離れた地から電話を掛けてきてくれた、懐かしい関西弁の人は、法務委員会の委員長をされた公明党の山下栄一・元参議院議員でした。法務委員長と法務省矯正局少年矯正課職員としての関係?、私にとっては高校の世界史の先生?不思議な関係です。

 

「家族のことは分かりませんが、とりあえず私とこの建物は大丈夫です、連絡ありがとうございます。」

 

とだけ手短に伝えた山下元議員との会話が終わって、すぐに私の携帯電話はまたもや不通になりました。

 

充電の不備も重なって、使えない日がしばらく続きました。
だからこそ、この千載一隅のタイミングで掛けていただいた山下元議員に感謝するとともに、その一念のすさまじさに震えました。

 

他にも電話をしてくれた方がいたと思いますし、被災云々以前に、同じタイミングで一斉に掛けるから、回線がパンクするんだという意見も当然ありです。
ただ、自分からは妻や実家にも連絡できなかった状況下で、たった1人でも自分の安否を報告できたことが、その後の体育館等での活動に専念する上で、かなり大切なことだった気がします。
ありきたりですが、改めて安否確認の方法を決めておくことの大切さを思い出すとともに、危機場面での公明党の在り方、教育の在り方を考えさせられました。

 

 

ちなみに、山下先生は法律畑でなく、教員出身の法務委員長という独特の視点から、少年矯正、特に医療少年院の教育・医療体制に強い関心を持って御支援いただいたのみならず、少年鑑別所にとっても、育成的処遇通知の発出前から観護処遇だけのために、わざわざ現場に足を運んでいただいた稀有な方でした。この場を借りて、改めて御礼申し上げます。ありがとうございました。(写真は、震災前年に仙台駅で再会したときのものです。)

 

 

(後日談)
千葉に転勤後、山下先生と再会した際に、震災当日の携帯電話のあの不思議な体験を御礼とともにお伝えしました。
当の山下先生は、全く気にかける様子もなく、「当たり前や(創価学園の)教師がドンだけ、おまえらのこと祈ってると思ってんねん。」と、私は軽くあしらわれてしまいました。
(当たり前の現象ではないと思いますが…)
そして、その話よりも、山下先生にとっても後輩の石川ひろたか現・参議院議員の話題を先生は持ち出し、その成長ぶりを感嘆し、誇らしげに語っていました。
・・・山下先生らしいです。(改めて御冥福をお祈りいたします。)

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