話題の特定秘密保護法案
議会人として思うこと
「強行採決」・・・あまり良い響きではないが・・・諸悪の根源は「維新」「みんな」「民主」ではないのか?最終盤のこれらの政党の動きが、国民からするとわかりづらいものにしてしまった。
そもそも、国民の生命、財産を守る上で、「国には重要な情報はきちっと管理してもらいたい」「諸外国から信頼されるような体制を敷いてもらいたい」というのが今回の法の趣旨であり、この点、これらの政党は大筋賛成しているはずである。
であるならば、そうした仕組みづくり(法案の成立という結果を出すこと)に全力を尽くすべきである。国会の終盤から、議事を遅らせることが自己目的化して、議論を深める行動から離れてしまったのは極めて疑問だ。
少なくとも今回、「維新」「みんな」についてはそれぞれの主張を取り入れ、修正合意に至ったはずである。ちなみに「民主」は現政権の失点かせぎをしたいとの思惑ばかりが先行し、一体何をどうしたいのかさっぱり伝わってこなかったが・・・。
にもかかわらず、最後にこれらの政党が主張した「審議時間が足りない」というのは、結局それぞれ党内の意思統一が図れず、「党内の意見をまとめるのに時間をくれ」ということだったのではないのか?(反論があるかもしれないが、結果として造反者が出るなど、未だに議員によって見解がバラバラであることがそれを証明している。)
そうだとすると、申し訳ないがそれを待っていたら、国民に対して責任ある政治運営はできない。スピード感がなく、ここ数年続いてきた「決められない政治」と同じだからだ。
また、ないとは思うが世間の顔色を見て決断を躊躇したのだとしたら、それもおかしな話だ。国会議員たるもの、これほど重要な事項について信念もないとすると、そもそもその資格もない。
さて、冒頭の話。「維新」「みんな」が与党側との修正合意に基づき、参院でも賛成をしていたらどうなっていたか?おそらく、「強行採決」などと書かれることはなかったのではないか・・・。単なる党内事情によるものか、政治を混乱させたい意図があると思われても仕方がない。実に罪深い。もっとも「民主」は“その意図”しかないように見えたが・・・。
まず、各政党、議員はそれぞれの置かれた立場をよくよく考えるべきではないのか。
議員や政党は、選挙という最も民主的な手法によって選出されてきた立場である。その時点で多数派と少数派ができてしまうのは、それがまずは第一弾の民意の反映であることをわきまえる必要がある。その勢力図の中で、どうすれば(支持して頂いた人たちからの付託にこたえられる)成果が少しでも得られるのか。それを考え、行動していくのが議員であり、政党であるはずだ。
例えば、自らの考えと異なる方向へ政治が向かおうとしている時にどうすれば良いのか?
大勢不利の場合、自らの意見が通らないからといって「だだっ子」のように執拗に騒ぎ立てるのは単なるわがままに見える。しっかりとぶれることなく、冷静に堂々と論陣をはり続ければ良いことであり、本当に求められる答えならば、時とともに認められるようになるはずだ。主張が通るものとそうでないもののラインがどの辺りかをわきまえ、まずはその一つ上を地道に論立てして勝ち取っていくことが必ず突破口となると考える。
尚その際、そうした政治の地道な部分(議論)を報じることなく、やたらとセンセーショナルな部分だけ報道してしまうマスコミには、その罪の一端があることをよくよく認識してもらいたい。
次に、大筋は乗れるが細部で相違が見られる場合、議会などオープンな場で問題提起していくことも重要だが、水面下での調整が更に重要である。議会の場合、(他の議案との兼ね合いもあり)限りある時間での審議となるだけに、水面下でのより濃密な調整で修正されていくことの方がはるかに多いのが現実だ。有権者の思いを引っさげて議員をやる以上、少しでも自らの主張に近づけさせたという「実」を勝ち取ることが付託に応える道であるはずだ。この水面下の活動をまともに行わず、無い時間を作れと言っているのも、先に述べた「だだっ子」と同じだ。
国で言えば政府、自治体で言えば首長は、様々な批判はあっても最後は答えを出して一歩踏み出さなければならない。もちろん「答えを出さない=廃案」という選択肢もあるが、何かあった時に真っ先に批判されるのを受け入れる覚悟があればの話だ。つまりリーダーシップを発揮していくとはそういうことで、(今の時代、皆が同じ意見などというのはあり得ない話で)多少の反論があろうとも「決断を下していく」という作業を一つ一つ積み重ねていかなければ、新しい時代は開けないと考える。
※今年初めに起きたアルジェリアの事件では、実際に人命が関わって情報を(外国と)共有する必要があったが、情報をきちんと保全する制度がなかった。こうしたことを踏まえ、(法案の)必要性を冷静に振り返ることが必要である。