地方議員の立場から衆院選に思うこと
いよいよの国政選挙が近づき、メディアの報道のみならず、街中でも各政党、予定候補者の動きが活発に見られるようになってきました。
ある意味で歴史的とも言える、3年前の政権交代劇を経ての選挙戦ということもあり、「変えなければならない」という国民の高揚感は確実に高まりつつあると感じます。
ふと、3年前の選挙を思い出します。
当時は「政権交代」という圧倒的な「ムード」。冷静にマニフェストの信憑性について疑問符を投げかけても、全くといっていいほど聞き入れられることはありませんでした。何はともあれ、「一度やらせてみよう」といった声には、何の反論も通用しなかったことを今でも鮮明に覚えております。
さて、その後の展開は皆さんご承知の通りであります。
経験不足に人材不足、理念の不在、官僚を使いこなせず右往左往・・・
半年後には「あの夏の やらせてみればを 悔やむ冬」といった時事川柳も流行りました。
経済も外交も迷走を続け、最終盤には政権与党は100名もの離党者を出し、まさに国政は混乱を極めております。
それぞれに立派に思える人たちが集まって何で?といった声もよく聞きます。
読売新聞特別編集委員の橋本五郎氏は、この3年間の政治について、
「統治とは何かという政治の基本をわきまえていない」
「政治でできることの限界をわきまえ、様々な利害関係を調整し、多くの人の協力を得ながら、一歩一歩辛抱強く進むのが基本だ。それをわきまえる謙虚さが欠けている。」
「全能の幻想を抱いていたと同時に、政治手法は傲慢だった。事業仕分けがその典型。」
と述べておられます。
ともあれ、そうした混乱を反映してか、今回は12(現時点)もの政党が乱立しております。いわゆる「第三極」を標榜して、公示直前の現在に至っても新党結成や政党間の合従連衡は止まりません。価値観が多様化する中、誰もが現状を憂いていればこその結果でもあるとは思います。
しかしながら、3年前と同じような空気を感じるのは私だけでしょうか?
3年前は「政権交代」、今回は「第三極」。
第三極を唱えるそれぞれの政党は、今の日本の現状(慢性的なデフレ経済、世界一のスピードで進む人口減少と少子高齢化、震災復興の遅れ、諸外国との信頼関係の失墜・・・)の打開を担うだけの責任感と経験、能力を持ち合わせているのだろうか?また、そうした勢力に淡い期待を寄せる時間的余裕はあるのだろうか?特定の一個人への人気や期待ばかりが先行しすぎてはいないだろうか?
国の再建をかけた政権選択の選挙。「やっぱりダメだった」では許されません。
少々話は変わりますが、地方議員をしていると実に様々な相談、要望を頂きます。
子育てに教育、若者の雇用に住居の問題、商店や中小企業の経営上の相談、高齢者福祉に年金・介護・医療といった社会保障の問題、まちづくりに地域コミュニティー、環境問題に安全・安心の問題・・・他にもまだまだあります。
そしてそれらは、市政レベルで解決できるものから、国政でなければ対処できないことまで多種多様です。
当然ながら、お役所は国、県、市(議員も同様)と分かれていても、有権者にとっては一つの問題であります。
つまり政治とは、私たちの暮らしの周り、360度に渡って実に多岐多様なテーマを対象とすることを痛感する毎日であります。
一人の地方議員として、そんな毎日を振り返りながらここ最近の報道を見ると・・・
「脱原発」「反増税」「反TPP」「既得権益にメス」・・・
いずれもごもっともですが、しかし「政治はそれだけではない!」ということを声を大にして叫びたくなります。
本当に政治の全体像を理解した上で旗を掲げているのか?
現に、有権者が(世論調査で)最も関心があるとされる「経済対策」や「福祉政策」について、第三極を標榜する勢力からは残念ながら具体的なビジョンは見えてきません。
(「政治主導」「コンクリートから人へ」「政権交代」等々)スローガンばかりが先行した3年前と同じように、政治に臨む際の軽さのようなものを感じてしまいます。
政治学者のマックスウェーバーは「政治とは、情熱と判断力を駆使しながら、堅い板に力をこめてじわっじわっと穴をくり抜いていく作業である。」と示しております。
本当にその通りだと思います。
総選挙は人気投票であってはなりません。
私たちの暮らしと未来を託す政権選択選挙です。
また、一つ二つの共通政策で政党を立ち上げても、(理念があいまいなまま)国民の厳しい視線にさらされ、究極の選択を迫られた時にバラバラになってしまうような無責任な政治は、この3年間でこりごりであります。振り回されるのは地方であり、イコール生活者、国民、市民であります。
東日本大震災で被災した宮城県。
今もその現場で陣頭指揮をとる村井嘉浩知事が、今回の選挙について次のように語っておられます。
「原発やTPPなど、様々な重要政策を語ることも重要であるが、最も大事なことは一人一人の国民、有権者を大切に、寄り添うように政治を行っていく姿勢があるのか、実行できる政党なのかが問われる。」(概要)
今我が国で最も辛い思いをしている地域の、現場の悲痛な叫びを、現実の最前線で受け止めてきたリーダーの生の声であります。
(どこかの知事とは違う重みを感じます。ちなみにこれは、震災後に国会議員、地元の地方議員が一体となって現場に入り、仮設住宅を一軒一軒回り、被災者が本当に必要とする政策を政府に、そして地元自治体に提言し、問題解決にあたってきた公明党を評価して頂いてのコメントです。宣伝になってしまいますが、このコメントの後、「14、15の政党の中で間違いなくそのナンバー1は公明党である。」とおっしゃって頂いております。)
難題多き政治の世界にあって、(今後はますます)地方に、そして暮らしの現場に根を張り、地方と国が一体となって多様な声をまとめ上げていく力が必要な時代であると考えます。そろそろ、ブラウン管の向こうだけで行われているかのような政治に終止符を打たなければならない時であると思います。
最後は宣伝ですが…
地方議員数第1党、公明党。
現場に目と耳を持つ政党、公明党。
「大衆とともに語り、大衆とともに戦い、大衆の中に死んでいく」
ちょうど50年前に掲げられた立党精神は、今でも3000名強の公明党全議員共通の行動理念です。
※ついでに直近の有識者のコメントも紹介しておきます。
北海道大学大学院 山口二郎教授
「政党は理念や価値観を共有することなしに、統治能力は持てない。」
「政界は政党政治の液状化という現象になっている。日本の政党の中で液状化せずに影響力を持った政党は公明党しかない。」
政治ジャーナリスト 岩見隆夫氏
「政治の大転換期には舞台回しの役割を果たす存在が必要。」
「一定の見識と経験を有した人的集団がその役割を果たすだろう。それが、公明党だと考える。」
「今、公明党は最適のポジションに位置し、舞台回しを担う力も有している。それができる政党は他には見当たらない。」