カテゴリー(歴史)

 ・茶の道には、「一味同心」という心得がある。お茶にも”濃い味”と”薄い味”があり、”濃い味”は皆でまわし飲みをするという。皆で同じ味をたしなみ、同じ心になれると言うのだ。

 織田信長は「茶の道」をこよなく愛した。その影響は尾張地方に隆々と受け継がれた。曾祖父から祖父へ、祖父から父へ、父から孫へ、脈々と受け継がれ、それが生活の一部となり、習慣となっていった。

 「茶道」は奥が深い。茶の道を極めた者は人生をも極める。信長にはその心得があったに違いない。

 そして今も”愛西の地”でも茶をたしなむ心は受け継がれている。

 ・「率先垂範」 私の好きな言葉である。

 まさに信長は、そのままの人であった。戦場では、一人敵陣へと駆け込んでいく。”死”さえも自分の思うがまま・・・。

 家臣たちは、そんな大将の姿を見て、おのずと士気は上がって行った。

 信長が鉄砲をいち早く使ったことで、軍事カリスマ的な面がクローズアップされるが、彼は戦いにおいて、いかに日本が世界から遅れているかを教えたかったのかもしれない。

 本年を入れて3年後、「織田信長生誕480年」となる。ますます彼の独創性が閉塞感に陥った”日本”を救い出してくれるのではないか!

    「大義とて 信長心 海の果て」 (仁志)

 ・著書「信長と十字架」によれば、信長より二千年前、中国の周の国、武王の「武」は「七徳の武」(春秋左氏伝)によるものであるという。

 「七徳の武」を備えたた者が君主になるという思想は、天の意にかなった者が器量のない者にかわって国王になるという。それが、孔子の教えである儒教の中核思想となった。

 天下思想は、「七徳の武」概念とともに、日本にも、すでに奈良・平安期には渡来して、知識階級に浸透していた。

 今度は、約400年前の、源頼朝の時代におもむく。頼朝の「天下草創」と、信長の「天下布武」はとの関連が確認できる。

 ・「歴史は 真実を 証明する 真実が 歴史である」

 1534年(天文3) 5月28日 織田信長 勝幡城で生まれる。

 昨日の「織田信長のふるさと勝幡城」 信長を育む会シンポジウムにおいて高らかに宣言された!

 平成4年に愛西市学芸員 石田泰弘氏が学会で「勝幡城生誕説」を発表以来、すでに14年。今や定説となっている。

 いよいよ勝幡城から誕生した信長が、「天下布武」を目指して動き出す、そんな活気あふれるシンポジウムだった。

 あの稲沢市民会館大ホールの大舞台で繰り広げられる、「踊り」「太鼓」は圧巻だ。特に、”うつけたい隊連”の歌と踊りは華やかで、陽気な雰囲気を作り出し、さらに会場を盛り上げた!

 信長役の立松君はまさに現代の信長にふさわしい。魅力ある存在感は今後のイベントにも期待を膨らませてくれる!

   「舞い降りた 信長見たり 立松城」 (仁志) 

 ・立花京子女史の著作 「信長と十字架」を読んでいる。副題として”天下布武”の真実を追うとしている。

 本書は、史実に基づいている。生誕の地は、もちろん「勝幡城」である。

 信長の唱えた「天下布武」は、単に”天下統一””全国制覇”と解釈すれば良いのだろうか?

 女史の信長研究は、新風を巻き起こしている。信長の目指すものは、「天下の静謐」との観点。中国の春秋時代にさかのぼり、源頼朝とも合致する”天下布武”私も女史と一緒に考えてみたい。

 いよいよ本日は「織田信長のふるさと勝幡城」のシンポジウムが、稲沢市民会館で開催される。大成功を祈るとともに、西尾張地域の夜明けとなるイベントであると位置付けたい!

 ・「本能寺の変」 明智光秀は、織田信長を討ち果たした。「なぜ?」 お江に詰め寄られる光秀・・・。

 この謀反劇も「天下泰平の世」の一里塚。光秀の行動がなければ、”泰平の世”が早く来ただろうか?

 信長の行動心理は、今も様々。「人生50年」 信長の人生には、何も悔いはないと思う。なぜなら、その後、「天下泰平の世」が来たのだから・・・。

   「泰平は 受け継ぐ者の 心のみ」 (仁志)

・本能寺で織田信長は、この世を去った。

 戦国の世では謀反も”生きる道”

  「天下より 見果てぬ夢は 和平の世」(仁志)

 信長が果たせなかった天下泰平の世は、「お江」に受け継がれ現実のものとなるのが、大河ドラマの主題だろう・・・・。

 ・大河ドラマ 「江」 では、本能寺の変を迎えた。

 今回のドラマでは、信長の人間性の部分を深く掘り下げています。

 安土城の信長の元へ会いにゆく”お江”。信長の真意がわからずにいる彼女に諭すように語る。

 「天下布武」とは、武家と公家と地下が一つになって”天下太平の世”となることである。」「誰かが日本を統一せねば、いずれ他国に攻め落とされるであろう。」「信ずる者は自分のみ、我が戦う!」

   「天下知る 人の心は 民のもの」 (仁志)

・1月23日(日) 川渕コミニュティで行われた「地元の歴史を学ぶ座談会」は反響を呼んだ!

 特に「信長の生誕を育む会」のうつけ囃子連の踊りには皆が圧倒された。信長役の彼(多くの人は女性と思っていた!?)は人を魅了するものがある。

 今はどこか天空から本物の信長が見てくれているだろう。うつけ囃子連の「連」は連なりともよめる。私もそこに連なって、”夢”を追いかけたい!

 ・愛西市には、素晴らしい歴史的遺産があった。

 織田 信定(おだ のぶさだ、信貞とも)は、戦国時代初期の武将。織田大和守家即ち清洲織田氏の家臣。清洲三奉行の一家「織田弾正忠家」の当主。尾張国勝幡城城主。織田信長の祖父である。

 

 信定は勝幡城を築城し、当時、港であった津島を平定し、清州への重要な拠点とした。そして、その息子である信秀(信長の父)は、さらにその勢力を拡大し、尾張地方の統一を成し遂げた。

 信長には、間違いなく信定(祖父)、信秀(父)の3代にわたるDNAが流れている。俗にいう、単なる大うつけではない。現在、放送中の大河ドラマ『江』では、その一端が描かれているように思う。今後が楽しみではある

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