・信長の父、織田信秀は、天正16年9月3日、美濃の国に侵入した。ところが、帰る途中に、美濃国主の山城道三に襲われ、総崩れとなる。さすがの信秀も『まむし』と呼ばれた山城道三(斎藤道三)にはかなわなかったようだ。

 まむし、山城道三は、織田信長よりはるかに”生まれがあやしい”道三の父は仏僧だったが、ある時、美濃国の守護 土岐氏(ときし)の家臣 長井氏に仕えた。ところが、徐々に、軍権を超えて強大化し、のちに守護大名となった。

 父の後を継いだ道三は、この長井氏を倒し、さらに守護 土岐氏も滅ぼし、自ら美濃国の国主にまで上りつめた。いわゆる下剋上(げこくじょう)で、道三が『まむし』と呼ばれた所以(ゆえん)である。このような道三の素性や実績を憂いた織田家は、家臣 平手政秀の発案で、山城道三との縁組を申し出た。こうして、織田信秀の嫡男 信長と、山城道三の息女 濃姫の婚儀が決まったのである。

 この時代の婚儀は、策略であり、自国を守り強大化する、一つの手立てであった。しかし、それも時の運命であり、一つの”縁”であると思う。当時の女性は、いかに心が強大であったか。自らの運命に一国の存亡を背負ったのだ。そして、男はその”究極の愛”を受け止め、自らの命に替えたのだ。愛あればこそ、命は生きる・・・・。

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