バックナンバー 2010年 11月

・国民からの「支持率が1パーセントでも辞めぬ」どこかの国の現首相と元首相が言ったとか言わないとかさわがれている。いずれにせよ、誰に対しての言葉なのか。間違っても国民に対しての発言などといわないでほしい。

 どこかの子猫がお互いにじゃれあって、お互いの傷をなめあっている。子猫のじゃれあいなら可愛いけれど、それも猫の世界・・・。そのむかし”なめ猫ブーム”があったけど、もう一度、日本の政権与党に対してにらみを効かせて『なめんなよ!』と言ってやってほしい。

 私は今から、本年最後の12月議会に出かける。一般質問も議案質問も堂々と市民の声として届けてまいりたい。

・今国会最大の焦点とされた2010年度補正予算が26日に成立した。公明党は、民主党政権の対応の遅さ、予算規模の力不足などを理由に反対した。反対の第1の理由は、特に緊急の課題である雇用対策は内容、規模ともに不十分で、雇用を創出するための事業は1000億円程度に過ぎない。公明党が求めていた2500億円規模の対策には程遠く、雇用情勢の厳しさを全く理解してないと断じざるを得ない。第2の理由は、中小企業、地方、農業に冷たいからである。第3の反対理由として、デフレ脱却、景気回復にあまりにも力不足である。政府は補正予算の財源として、09年度決算剰余金(約1兆6000億円)の半分しか使わなかった。使える財源をフル活用しないのは、真剣さが足りない証拠と言うしかない。
 
 明日から本年最後の議会が始まる。しかるべき方向性”羅針盤”を見失わないようにいなくてはいけない。

・川渕コミニュティの行事である「あるけあるけ大会」に参加させていただいた。市長のあいさつのもと、およそ6キロメートルのコースを地域の皆さんと歩いた。天気も良く、子供から大人まで”老若男女”みなさんで歩きました。イチョウやカエデの紅葉をみながら、気持ちよく、以外といままであるいたことのないようなところを歩くことができ、楽しかった。やはり、日頃から歩く癖をつけておくことの大切さが身にしみた。そして、日頃お話ができない方とも話ができて何よりよかった!

 何事もゴールを目指しつづけて歩き続けることだ。時として、ゴ-ルがとてつもなく長く感じることもあるだろう。あきらめや、限界も感じるだろう。その時、人は何を信じるだろう。行きつく先、自分自身の可能性を信じるしかない。

 ”千里の道も一歩から”まず目の前の目標に、一歩を踏みだそう! 与党も野党も目標は同じはずだ!!

・彼の生誕、少年時代のことはあまり知られてない。『尾張の大うつけ』と言わしめた彼の素行は生涯にわたると言える。

 織田信長は大名家の生まれではない。信長の父、信秀は尾張国半分をやっと支配する織田達勝3奉行のひとり。彼は、その家来のせがれということになる。信長のライバルだった今川義元、武田信玄、上杉謙信、さらには、近畿の諸大名に比べかなりのハンディがあった。

 11月18日のブログに愛西市とのゆかりを後日としていたので少し紹介します。この話は、知っている人は知っている話なのですが、織田信長の誕生した場所は『勝幡城』です。

 勝幡城は、今でいう愛西市勝幡町と稲沢市平和町にまたがった地に築城されました。城跡は領内側、日光川、三宅川合流点に位置し、現在は日光川で分断され、平和町側に2つの石碑等が残されています。どちらかと言えば、城跡の土地的には稲沢市です。しかし、勝幡という名前が付いている以上、愛西市としてもほかっておくわけにはいかないと思います。ましてや、この「勝幡城 信長生誕説」を発信したのは、我が市の学芸員さんです。今日はここまでにして、また後日・・・。

 追伸 本日、家内と一緒に地域の渕高町四ノ割を私の「ひとと通信」を持って85件の方にお渡しできました。

・11月13日(土)~12月12日(日) 八開郷土資料室において「黎明期のあいさい出身の政治家たち」 -加藤高明・青樹英二・鈴木仙太郎・三輪市太郎・安達臣一 -との特別展が開かれた。いずれも愛西市地域から輩出された近代政治黎明期の政治家たちである。愛知県初の首相となった加藤高明、衆議院議員や県会議員として地域の発展に寄与した青樹英二・鈴木仙太郎・三輪市太郎、地方の首長として特徴ある政治を展開し、全国町村会の発展に大きく貢献した安達臣一 である。

 特に私の心をとらえたのは、1871(明治4)年、海東郡西川端新田(愛西市西川端町)に安達善兵衛の長男として生まれた安達臣一氏である。1921(大正10)年愛知県町村会長が成立し、臣一氏は初代会長に就任した。塁選3度に及び全国町村会長会の副会長も務めている。何がすごいと言って、1910年当時佐織村の財政支出の8割強を教育費が占めていたと言うのだ。彼の村政時代の教育費の比率は郡内随一だったそうだ。ここまで教育に邁進できるのは、人の器が違うとしか言いようがない。他の4氏も比較にならないほどの豪傑・剛腕である。器が違うと言ってはおしまいだが、こうした大政治家が愛西市から出現していることを知ることにより、今の国政、県政、市政等に携わる者は肝に銘じなくてはなるまい。今回の特別展をみて改めて愛西市のすばらしさを知った。なので、あえてタイトルを”愛西の黎明”としたい。

 ・北朝鮮による韓国・ヨンピョン島の砲撃事件に対して”電光石火”の対応をしたのは、オバマ米大統領だった。日本時間23日午後5時55分ドロニン大統領補佐官から砲撃発生の報告を受けた大統領は、李明薄韓国大統領に電話をかけ、北朝鮮の攻撃を強く非難するとともに、韓国防衛に対する決意を改めて表明、同国への全面的な支援を約束した。一方、管直人首相は、23日午後3時半ごろ、砲撃戦発生の一報を秘書官から公邸でうけた。しかし、北朝鮮に対する首相官邸サイドの見解が示されたのは午後9時55分。仙石官房長官が関係閣僚会議後の記者会見で「許し難い」と強調した。砲撃戦の情報を受け、6時間余りたってからだった。これでいいのだろうか?今こそ日本にとって韓国は、文化大恩の兄の国である。管首相こそ真っ先に李明薄韓国大統領に電話をかけるべきではないのだろうか。山口代表が韓国を訪問して直後のことである。今こそ日本の信頼を回復するチャンスではないか。この対応の遅さが、ますます日本の孤立化にならぬよう与野党団結して、臨んでもらいたい。  ”後悔先に立たず”

 ・昨日は、近隣の西川端小学校のなかよし発表会に参加させていただいた。テーマとして『心を一つにみんな輝け』と掲げ、各学年ごとに発表がすすめられたが実にテーマに沿った内容で感動しました。特に、5年生の発表がよかった。”魔界とぼくらの愛戦争”というタイトルで、欲しいものが簡単に手に入る時代の中、次から次へと新しいものを求め、まだ使えるものをどんどん捨ててしまう子供たち。ものに感謝する心を失い、自然破壊があらゆる地域で行われている中で、魔界からためされる時が来る。子供たちは、愛の力を持って”豊かな心”を取り戻しみごと魔界から地球を救うというストーリーである。子供たちの演技は見事で、見ていた大人たちの心に間違いなく警鐘の鐘を打ち鳴らした。

 昨年、話題となった大河ドラマ「天地人」の直江兼続の”愛”の紋章を思い出す。今の世に上杉謙信のように”義”の心で仁愛をもって民を救う政治家に表れてほしい。

 

・朝霧の中を一声吠える狼。その一声の中に幾重もの思いが込められているだろう。中国の孔子と言う人は「九思一言」という。他人に一言話をするのに九回思いを巡らせて、相手に対して一番失礼のない一言を選ぶと言うのだ。

 最近、国家の最高幹部たる閣僚の方たちの”一言”が問題となっている。某法相の国会を軽視する発言。某官房長官の自衛隊発言等々、誰を相手にしての発言か耳を疑う。某法相は、明らかに国民に対しての発言である。国民を愚弄している。

 今の閣僚の方々に、「九思一言」などと言う話をしたら、”そんな事では国会は進まない”と言われそうだ。しかし、失言・迷言だけでも国会は一向に進んでいかない。

 現代のマスメディアは進んでいる。閣僚の方々は、常に自分の前には国民がいると思ってほしい。

 

・しばらくぶりのブログとなりました。11月の1日、2日と文教福祉委員の視察で、東京の葛飾区役所、葛飾中学校のトイレ改修を視察。2日目に新宿歴史博物館を視察しました。歴史を堀下げれば、堀下げるほど人と人とのつながりが深まり、近隣地域とのつながりが分かります。市町を越え、県も越え、やがては、国々のつながりも見えてきます。国政もよくよく考えなくてはいけません。

 東京都もその昔、徳川家による江戸城を中心に今日まで栄えてきた。徳川家は”尾張”である。10月末から今日までに、ばたばたしながら、幾多の地域行事に参加してきた。その中で、歴史好きの地域の方と少し親しくなれた。その中に我が市の学芸員の方がいる。この方は、すごい方だった。実は、織田信長は愛西市とゆかりがあるのだ。(後日、詳しく・・・。)『温故知新』と言われるが、まさにそのとうりだ。”尾張”と言えば織田信長である。今日の東京の発展には、我が市も大きくかかわっていた。『古き卵を温めて 新しき知恵を生み出したい』

 原点回帰 戻るべき原点のある人は強い 本日が私にとって大切な原点の日。

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