8・11 加治木空襲の日・平和のつどい
戦後65年。戦争体験の風化が指摘される中、鹿児島県姶良市加治木町の市立錦江小学校体育館で11日、地域の小・中学生や住民が多数集い、「8・11空襲の日・平和の集い」(錦江小校区公民館主催)が開かれた。この集いは、後世に「空襲の日」の体験を語り継ごうと企画された。5回目となる今回は、提唱者である市議会公明党の新福愛子議員が実行委員として企画・運営に当たり、同僚の竹下日出志議員も参加した。
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加治木町は、終戦4日前の1945年8月11日、午前10時30分ごろに飛来した米軍機による大空襲で一面焼け野原となった。登校していた中学生15人を含む28人が死亡し、罹災者は約3000人に上った。
今回の集いでは、実行委員長の永井和則・同校区公民館長が「戦後65年がたち、戦争体験が風化しつつある。生き残った者が、戦争の悲惨さ、平和の尊さを後世に語り継がなければならない」とあいさつした。
続いて空襲当時、錦江国民学校(現、錦江小学校)5年生だった谷村和夫さん(76)が、凄惨な爆撃の状況や終戦直後の悲惨な模様を語った。中でも、焼け残った錦江小学校が戦後、引き揚げ船で海外から引き揚げてきた人々の収容所となり、同校舎を使って小学校と中学校の2部授業が行われたことを紹介し、「平和の尊さを知ってほしい」と訴えた。
犠牲者の冥福と平和への願いを込めて、全員で1分間の黙とうの後、加治木中学校の3年生有志による「ふるさと」の劇が上演された。加治木空襲の体験談を基に創作された舞台は参加者の胸を打ち、深い感銘を与えた。
「平和の集い」は、錦江小学校区の青少年育成町民会議のメンバーであった新福議員(当時、加治木町議)が、2006年4月の第1回校区部会で提唱し、同年8月から毎年実施されている。当初は、地域行事としてスタートしたが、年を追うごとに拡充。今年3月の市政施行後、初となる今回は、校区公民館主催となり、笹山義弘市長をはじめ多くの来賓も参加した。
また、町議時代から議会で平和教育の実施や町独自の平和集会開催などを訴えてきた新福議員は、今年6月の市議会でも同様の提案を行い、その結果、今年から「空襲の日」には、市庁舎と総合支所(2カ所)に半旗が掲げられることになった。