昨夜、地元の「渕江中学校開かれた学校づくり協議会」の皆様の主催で、マラソンランナーでいらっしゃる、浅井えり子先生を講師にお迎えし、『命の授業―走ることから学んだこと』と題しての講演会が開かれ参加してまいりました。
日本女子陸上長距離選手の浅井えり子先生は、現在国際陸連・日本陸連公認コーチで帝京科学大学客員教授もなさっており、昨年から足立区の教育委員でもあります。
足立区出身で今も足立区在住だそうです。
小・中では特に体育が好きでも得意でもなく、勉強もそこそこで中くらい。
先生曰く「私の小学校中学校時代には”努力”という言葉はありませんでした。」との事でした。
都立足立高校で陸上競技を始められ、その当時の高校女子陸上の長距離種目800Mの選手で、同じ種目の仲間と立てた3年間の目標、2分30秒は、浅井先生だけ3年間で達成できなかったそうです。
このままでいいのか、という自問の後、文教大学で再び陸上競技部に入りその記録を乗り越えます。
そして大学3年には東京国際マラソンに初出場し、12位で完走。卒業時には更に上を目指したい、専門のコーチの教えを受けたいと実業団に進み、あの名コーチの佐々木功氏と出会い、頭角を表します。
86年のソウルアジア大会で優勝、88年のソウル五輪出場など順調にマラソン選手としての実績をあげますが、2時間30分の壁がどうしても超えられません。
他の一流選手が次々に引退し、若い選手がいい記録を出すたびにマスコミからは「ついに浅井、引退か」と何度も言われつ続けるなか、33歳で自分の目標だった2時間30分を切り、その後も数々の活躍を続けられました。
先生はこう言われていました。
「足立高校在学中に800Mで2分30秒を切っていたら、他の仲間たちのように、そこで陸上をやめていたかもしれません。」
「そしてマラソンももっと早くに2時間30分を切って、何度もオリンピックに出ていたら、他の選手のようにそこで引退して、あんなに長くマラソン選手として走っていなかったかもしれません」
自分で立てた目標にあくまでも自分のペースで挑戦し続ける。
一つ一つの壁を乗り越えた経験を地道に重ねる。
本当に良いお話を聞くことができました。
開かれた学校づくり協議会の皆さん、本当にありがとうございました。