「春の日が差し込んできたような温かさを感じました」

奨学金の拡充

Story

今では希望者のほとんどが受けられる奨学金。
その背景には、公明党の戦いがありました。
1998年夏の参院選。公明党(当時、公明)には、日々、国民の悲鳴が寄せられていました。
「長引く不況で進学を断念せざるを得ない」 「子供2人が大学に進んだが、仕送りで家計は火の車」 何としてでも「学ぶ機会」を守らねば。 この思いで戦った結果、比例区で過去最高得票(当時)を獲得。
そして、99年2月18日。自民・公明両党幹事長会談で交わした「確認書」には、
「両親等の教育費負担を軽減するとともに、勉学に熱意のある本人の希望に応え、新しい奨学金制度を創設する」 と明記されました。
この一文こそ、それまで一握りの英才を育てる「育英」に力点を置いていたわが国の奨学金を、
学ぶことを「希望」する学生すべてに貸与する制度へと大転換させた歴史的瞬間でした。 反響は、瞬く間に広がりました。
「閉ざされていた心の片隅に、春の日が差し込んできたような温かさを感じた」(東京都・女性)
「真剣に生きる庶民の味方の公明党を、これほど身近に感じたことはない」(京都市・男性)
今も、公明党の戦いは続いています。

Fact

1999年度には、有利子奨学金「きぼう21プラン」の導入を推進し、 希望者のほぼ全員が貸与可能に。そのほか、成績要件の事実上撤廃や入学金用の奨学金創設(最大50万円)、 貸与金額の拡充(大学生は最高月額12万円)で、学生生活を経済的に支える強い味方になっている。
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