西田まことが政治家としての第一歩を踏み出した2004年。キャッシュカードの盗難や偽造で、預金が不正に引き出される事件が社会問題化していた。被害を届けても、警察からは「被害者は銀行だから」とあしらわれた。銀行も「補償はできない」の一点張りだった。

05年1月、西田は党内で対策チームを立ち上げた。「被害者の声を直接聞くことが先決」。自ら連絡を取り、被害者団体「ひまわり草の会」代表・中林由美江さんたちから実情を聞いた。事態は想像以上に深刻だった。
西田は、預金者保護のための法案づくりへ、行動を起こす。法案作成では、銀行や金融庁から反発があった。その抵抗をはねのけ、同年8月、議員立法による「預貯金者保護法」が成立。被害者には保護がなかったものが、法律で「原則、銀行補償」に逆転。また”法施行前”の被害者救済の道も切り開いた。行動開始から、半年余りという異例の早さだった。
しかし銀行の対応は、すぐには変わらない。「本当の解決まで、徹して取り組む」。その後も西田は、通帳盗難やインターネット取引などの被害に泣く人々の声を、何度も国会で取り上げた。08年2月、ついに全国銀行協会も「原則補償」に方針転換。被害者への補償は加速して進んだのである。

”現場の声”をとらえる西田の姿勢は一貫している。
物流業を営む埼玉県内の中小企業・T社。同社は、メーンバンクの破綻・国有化で、危機に陥っていた。経営は安定していたものの、資産デフレで不動産価格が下落したことで、企業評価を下げられ、銀行からの融資・取引が打ち切られようとしていたのだ。
しかし、手を差し伸べるはずの中小企業金融公庫は、債権放棄を認めない。西田のもとには、こうした中小企業の苦しみの声が数多く届いていた。05年4月、西田はこの問題を国会で追及。劇的に状況が変わる。債権放棄を含む金融支援がなされ、融資の継続が決定。T社社長は「西田さんに命を助けてもらった」。西田の”現場発”の行動が、いくつもの中小企業を救った。